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ジェンナーって誰

2012-05-05 | 毎日いんふぇくしょん(編集部)
第2 回「天然痘の根絶-人類初の勝利」-ラムセス5 世からアリ・マオ・マーランまで
(モダンメディア 2009年)に紹介されているエピソードによると、

"ある県立医科大学で微生物学を出張講義したウイルス学者加藤四郎先生から聞いたエピソードがある。医学部学生(専門課程の1 年目)に「ジェンナーを知っている人?」と聞いたところ、知っているのはクラスのわずかに2 人だけであったという"



世界初の予防接種・・・・ではジェンナーが紹介されることが多いですが、別のエピソードがあることを感染症の関係者は知っておいたほうがよいです。


ジェンナーが牛痘種痘法を成功させる6年前に、筑前秋月で種痘を成功させていた医師がいました。

"当時、大変恐ろしい病気として怖がられていた天然痘は、幼少の子供たちが多く罹患し、大変難治で亡くなる者が多かった。免疫を持たない村にひどい天然痘が進入してくると、その八割の人びとが天然痘に罹り、罹った者の三割が死亡したという。たとえ一命を取り留めたとしても顔面にあばたが残って醜くなってしまう。痘瘡、疱瘡とも呼ばれていたが、対症的な治療法しか無く患者を隔離することが最善の対策であった。
 春朔は、天然痘が流行して多くの子供たちが亡くなっていくのに遭遇し、何とかならないものかと考え思案する日々を悶々と過ごしていた"

緒方春朔 -わが国種痘の始祖-

こどもを救いたい、という強い思いが多くの人を動かしてきた、というのが予防接種の歴史です。

江戸時代の種痘の方法の図解。


天然痘予防に挑んだ秋月藩医 緒方春朔
海鳥社


越前の藩医 笠原良策もそのひとり。

"良策は、幼い頃から人命をすくいたいと願って医学の道に入ったが、天然痘については他の医師と同じように手を拱(こまね)いている以外に方法はなかった。これといった治療法はなく、神か仏にすがるほかはあるまいと諦めきっていた。"

(笠原白翁 天然痘と闘った人)

雪の花 (新潮文庫)
新潮社


地域の取り組みが国全体、そして、世界へのとりくみとつながっていきます。

西から伝わってきた種痘は江戸でも展開されます。

手塚治虫氏のご先祖は江戸で種痘を広める事業にかかわり、漫画でも紹介されています。
陽だまりの樹 全巻セット (小学館文庫)
小学館


まだ政府がその重要性を認知していなかったため、江戸の蘭方医らがお金を出し合ってつくった種痘館は半年で火事で焼けてしまったのですが、そのときお金を支援したのが千葉のヤマサ醤油の濱口梧陵。当時の医療を支援するパトロンでした。

津波とたたかった人―浜口梧陵伝
新日本出版社


(時間は流れまして)

WHO総会で天然痘を根絶しようと提案が行われたのは1958年。

そして1980年にWHOの会議で根絶が確認されました。

日本人でこの壮大なプロジェクトにかかわった蟻田先生を紹介する2011年5月の記事。(マイタウン熊本)

プロジェクトXでも紹介されました。

ジュニア版 NHKプロジェクトX〈11〉いのちを守れ!医師たちのたたかい
汐文社



歴史についてもっと知りたい方はこちらのページがおすすめです。
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