今回の、震災復興教育支援のために同行したニュージーランドカメラマンと原子力発電について話をする機会があった。「何故、日本は世界で一番地震が多い国なのに、危険である原子力発電があるのか不思議でならない」と聞かれた。「ニュージーランドに原子力発電はない理由の一つは、地震が多い国だから。」
3月11日以前であれば、誰もが日本の世界に誇る科学技術のおかげであると,胸をはっている人々のことと紹介したかもしれない。しかし、そんなことはまやかしであったことに,多くの人々が気づいた。世界中の人々の心配をよそに政策を打ち出し、国民はそのことを知らず,ただ政府を疑いを持たず信用してきた.
そして,日本は地熱があるではないかと、当然の考えを説明されたあとに、「日本政府は常に何か裏がある。核開発の為に行ってきた(原子力開発)のではないか」と疑念を持っていた。
確かに、N元首相のインタビュー記事によると、1950年代は原子力開発とともに、科学技術の発展に大きなねらいがあったようである。原子力開発と科学技術の発展に関わりがあるというのは、当時この分野での日本人科学者によるノーベル賞受賞など脚光を浴びた分野であることと関連があるであろう。
今まで莫大な国家予算が注ぎ込まれ、これから起こるであろう、環境汚染の代償は計り知れない。国民が負担することになるのである。最終的に責任を負うのは、政府でもなく、東電でもなく、国民なのである。
3月11日以前であれば、誰もが日本の世界に誇る科学技術のおかげであると,胸をはっている人々のことと紹介したかもしれない。しかし、そんなことはまやかしであったことに,多くの人々が気づいた。世界中の人々の心配をよそに政策を打ち出し、国民はそのことを知らず,ただ政府を疑いを持たず信用してきた.
そして,日本は地熱があるではないかと、当然の考えを説明されたあとに、「日本政府は常に何か裏がある。核開発の為に行ってきた(原子力開発)のではないか」と疑念を持っていた。
確かに、N元首相のインタビュー記事によると、1950年代は原子力開発とともに、科学技術の発展に大きなねらいがあったようである。原子力開発と科学技術の発展に関わりがあるというのは、当時この分野での日本人科学者によるノーベル賞受賞など脚光を浴びた分野であることと関連があるであろう。
今まで莫大な国家予算が注ぎ込まれ、これから起こるであろう、環境汚染の代償は計り知れない。国民が負担することになるのである。最終的に責任を負うのは、政府でもなく、東電でもなく、国民なのである。