「介護談義」・高齢者はますます生きづらくなるだろう

2013-08-26 19:26:35 | 日記

    「介護談義」・高齢者はますます生きづらくなるだろう

本日の新聞2紙が「介護問題」について二つの報告をしている。

一つは、特養「要介護3」からという・見出しで特別養護老人施設などの入所については要介護3以上とする。要介護2以下は「在宅」でというものである。しかも要介護の1と2の新規入所は、法律で制限するとなっている。

二つは、都市部の介護施設の絶対的不足から、地方の施設への移動を促すものである。

現在も、要介護1.ないし2の認定者は、待機者の増大の中で入所順位が落ちている。あるいは入所不可能と言うのが実態である。しかし、それを「法律」をもって制限するというのは言語同断である。介護の実態はどうか。それは「老々」か「認知者同士か」。あるいは病気治療など本人が置かれている状態はさまざまである。もちろん家族の状態や住居の地理的状態などもある。それを法律で、画一的に規定するというのは近代法には馴染まない。大岡裁判ではないが、「一件落着の妙」があって、そこに人間の生活にある情けや同情、そして寄り添う心があるというものではなかろうか。

さらに、その制限策が「介護サービス費」の削減、抑制にあるとするなら、選択をする「在宅介護」は、.サービス費(公的給付)の抑制ということを意味するだろう。要介護2の方が認定される介護サービスは、掃除、身の回りの世話、あるいは歩行、動作への手助けという形での訪問介護がある。またディーサービスは週2日から3日なども選択できる。果たしてこのサービスが維持できるか。ましてや「在宅介護・24時間体制」などはどこの地域にあるのだろうか。大きな疑念を持つものである。多分ここにも、公的費用削減の手が伸びることは間違いない。全額自費負担で介護を受ける者、自己負担さえも困難な者、介護の中にも貧困の格差が増大するだろう。

二つ目の「都市部から地方」への移動である。「近代姥捨て政策」という批判もある。大都市では、もはや高齢者、とりわけ要介護者は生きていけない。だから村へ(山へ)というのであるからそうも呼びたくなる。しかしどうだろう。「新宿での施設入所は1000人待ち」と言う。それを解決するには、施設の増設が必要である。それも一つ、二つの世界ではない。土地の確保、そして建設費。これを考えればまず不可能であろう。仮に土地の確保も含め膨大な建設費により施設が実現できたとする。しかし、それは全て同地域の各自の保険料に跳ね返る。だからと言って都市部に限り公的負担を支援増額するということは「公平」に反する。到底国民が受け入れるものではない。

よって都市からの要介護者を受け入れる地方市町村があるなら、受け入れをしても良いのでなかろうか。「新しい終の棲家」の環境が整っていれば、戦中、戦後の混乱を生き抜いてきた人々である。どの地域でも晩年は過ごす経験と智恵と工夫は持っているだろう。私はそう思う。問題は、受け入れたことにより、地元の高齢者がはみ出されるのは困る。介護保険財政が圧迫されるのは困る。自分たちの負担でつくった施設に入所できないのであれば反対となる。

そこで、今ある特例法(住所地特例)を考えてみたい。他所から入所した者の介護サービス費(公的給付費)は、それまで住んでいた自治体の介護保険財政から支出する。それが前記の特例法である。そこに「嫁入り費用」を付け加えたい。施設に入所するのであるなら「今まで住んでいた介護保険財政から持参金を持参する」。そのことによって「入所」の権利を有する。受け入れた自治体は、その費用で新たな施設の新、増設をはかる。送り出した側は、施設の新設に費用を掛けることはない。ならば、その費用を受け入れ側に「持参金」として渡せば良い。決して損はない。「良い関係」ではないか。

これが、35万人地方都市に住む.76歳の考え方であるが、どうだろう。