2013年8月15日を1945年以前に貼り付けてみた、同じ光景だ。

2013-08-16 11:26:33 | 日記

 2013年8月15日を1945年以前に貼り付けてみた、同じ光景だ。

もう一度、お盆にかかわる報告をお許しいただきたい。

孫の話は、爺・婆の馬鹿さを表現するものと言われている。確かにそうだと思うが、昨夜の光景はどうしても語りたいと考えた。

その日の朝刊(毎日新聞)の社会面トツプの記事を見ていたからである。「不戦 次世代へ・3人の兄、疑問を抱いた戦争の犠牲に・・・・」 戦死した長男から三男まで、そして見送った長女の写真も掲載されてあった。

話は前に戻る。15日の夜、私の住む町内会が主催する「盆踊り会」が開催された。夜になっても気温はさして下がらなかったが、月のある夜であり、子供づれの町民も夜店や踊りの輪に加わるなど楽しい場面であった。爺も「馬鹿よろしく」団扇を手に出かけた。それは同じ町内に住む孫がやぐらの上で太鼓を叩いているとの電話が入ったからである。長男23歳、次男19歳の二人が向き合って叩いていた。子ども太鼓をやっていたと言うこともあってバチさばきはなかなかである。馬鹿談義はこれくらいにして、どうしても述べ伝えなければならないことがある。

朝刊の記事では長男、次男は大学在学、三男は専門学校在学と書かれている。となれば、今、やぐらの上で太鼓を楽しく叩いている孫の年令であろう。

あの戦時中でも、「盆太鼓」は叩かれ、やぐらの周りは人で賑わった。叩き手も踊り手も、そしてそれを見物する人々も明日を信じて生きていたであろう。しかし、戦争は、それをまっぱたつに絶ってしまった。子どもだけではない。父を失った家族もいた。2013年8月15日の盆踊りの場を、そのままコピーし1945年以前に貼り付けても少しも変わらない光景となる。そのダブリの中で、バチを振り上げている孫の未来に「戦争と言う化け物」を決して出してはならないと痛感し家路についた。

折も折、幾つかのテレビ番組は戦争についての特集を組んでいた。「攻めてきたらどうする、黙って引っ込んでいるのか」。「尖閣に大量の漁船が押し寄せてきたらどうする。海上保安庁ではどうしようもない、やはり軍隊が必要」などの声が報じられる。「軍隊が必要。それは国防軍(自民党草案)なの、それでは済まない覚悟があなたにあるの。あなたが、子や孫が「召される覚悟」はあるの」。私は「この身体をはっても孫を守ると意気込むものの、その時はすでに遅し」。そのことは歴史が証明するところである。

最後に、2003年8月15日に再放映された「戦争を伝える昭和万葉集から」の2編を紹介したい。

「帰らざる 17人程の兵ありて 静かなる村の嘆き 80軒の」

               若い村の青年が根こそぎ応酬され死んでいった80軒嘆き。

「生きて再び逢う日がありや 召されゆく君の手をにぎる 離さじとにぎる」

               握り合う手は妻のか、恋人のか。それとも子か、孫か。