最後よければ、全てよし。お骨の処し方から考える

2013-08-15 10:44:09 | 日記

  最後よければ、全てよし。お骨の処し方から考える

「人生いかに終えるか」・「老いの過ごし方」などをテーマにした書籍や講演会などは多くある。しかし、「死後の始末」である「弔い方」、とりわけ、お骨の扱い方についての話は表には出てくることは少ない。テーマにしにくい課題でもあり、提起の内容によってはひんしゅくをかう場合もあるからだろうか。

かつては長男がいれば長男。それでなければ「婿養子」の縁組により「家」を継ぐという習慣があった。そして、代々の墓を管理、継承すると言うことが、良かれ、悪しかれ整っていた。しかし、少子化と、職場と居住地の分散が、親の面倒が看れない、をはじめとして死後の後始末、とりわけお骨をどうするのか、遺産の管理と処分をどうするのかが問題になってきている。

そこでお骨については、「散骨」とか「風骨」などが一時は流行語になるような場面があった。かく言う私も「散骨」で良いと思った。そのことが先進的というか、「はやり人」的意識の中で家族に述べていたのである。その私が、65歳を過ぎたある日、母親の夢を見た。その日の午後、私の足は自然と墓に向わせていた。ワンカップと線香を手にして。我が息子も、年になってそんなことがあっても不思議ではない。そのときに「親父の骨は撒いてしまった」ということは、60代になった息子の精神にどのような影響を与えるだろうか。それが「合葬式墓地」の建設を行政に求めるものとなった経緯である。お骨は20年保管され、その後は地下の合葬場に埋葬され、見知らぬ皆さんと共に土となる。市は今年度の予算に「調査費」を計上し実現の運びとなった。私にとっては「間にあった」ということだろう。

ここに、東京山谷地区にある「在宅ホスピスケア・きぼうの家」の施設長、山本雅基さんの報告がある。「数人の路上生活者から声をかけられた。『きぼうのいえで亡くなった人には墓があるんだってね。いいなあ、俺たちは生きているときもホームレスだけど、死んでもホームレスだよ』と、行く末に留まる処を持たない者のわびしさと痛切な寂寥を感じ取って胸が張り裂けんばかりであった。そんな思いから、希望者には、誰でもきぼうの家のお墓に入れる、その意志を示すカードを炊き出しの場に並ぶ人たちに配った。(こころの友「日本キリスト教団出版局2013・8」より)

今、多くの高齢者が被災地から避難している。故郷の墓は放置されたままが多い。「俺の骨」はどこに。そして子や孫は「墓参り」をしてくれるだろうか。できるだろうか。そんな想いをいだく高齢者も少なくなかろう。

「行く末の留まる処を持てない、持たない者のわびしさ、寂寥感」は誰もが共通するものである。

おりしも今日は「お盆」、そして「敗戦の日」(私は終戦の日とは呼ばない)8月15日である。

68年を経ても今なお、海、山、ジャングルに眠る約115万柱(2009年発表)のお骨はそのままになっている。

「先の大戦時、私はフィリピン(ルソン島)で死ぬべき生命を永らえて、来る1月14日には齢88歳となります。今年もまた、少しでも生き甲斐のある日を送りたいと願っています」。これは昨年、最長老の従兄から頂いた年賀の挨拶である。極限の地獄を見たその従兄も今年の4月に他界した。

安倍晋三首相が、いかに述べようとも、表現しようとも、戦争は今もって終ってはいないのである。そのことを肝に銘じる日にしたいものである。