先輩の死・そして人生70年代をどう生きる

2013-08-13 09:12:22 | 日記

  先輩の死・そして人生70年代をどう生きる

  会のニュースを持ってお邪魔をしたときは、元気な姿で言葉を交わした先輩であったのに、二日後の未明1時45分。近くの国道で車に接触し亡くなられた。その時刻は晴れ、上下4車線の見通しの良いところである。前方を確認していれば歩いている人の姿は見えたであろうに。そして、まさかこの時刻に、人が車道を歩いているとは考えてもみなかった油断があったのであろう。そこに人がいるかも知れない。飛び出してくるかもしれないの「確認不足」が一人の命を奪ってしまった。

   まだ未明、目が覚めて「ふらっと」家を出てしまったのであろう。軽い認知症の状態にあると聞いてはいたが残念でならない。それにもまして、目が届かなかったご家族の無念と悲しみはいかばかりかと察っする。享年85歳。

   例年もそうだが、7月から8月にかけて戦時の特集番組が企画される。今年は「零戦・搭乗員たちが見つめた太平洋戦争」(前編・後編)があった。記録の中では零戦闘機と共に命を落とした少年特攻兵17歳とある。この先輩にとって、校庭を走り回り、鉄棒にぶら下がった1年、あるいは2年上の上級生がいても不思議ではない。そのような少年期を過ごした85年の人生であった。そのことが一教員として、平和運動や教育の民主化運動にたずさわってきた人生でもあった。

  交通事故のみならず、火災や災害による高齢者の犠牲は耐えない。火災のニュースには必ずと言ってよいほど高齢者の死亡がついてまわる。火災の避難訓練に参加したことがある。煙が充満した部屋から逃げ出す訓練であるが、平時の状態で、部屋の広さ、壁、窓、そしてドアの位置を確認して目を閉じる。そして発炎筒をたかれる。目を開けて逃げることを指示されるが、確認したはずの窓やドアがどこにあるか見当がつかなくなる。ガラス窓であるから容易に破り脱出は可能である。目を閉じる前はそんなことを考え甘く考えていた。煙につつまれた状態の重要さは感じなかった。それがどうだろう。その窓辺やドアにたどり着けないのである。ガス窒息死は二呼吸半と言われている。

人生70年から80年代に入ろうとしている今日。病死などの自然死は受容できるとしても、事故死だけは避けたいものである。

   今年も我が家の庭から「蝉」が飛び出していった。一週間の精一杯の「生きる」を目指して。

  いろんなことを痛感した一人の先輩の死であった。そしてお盆を迎えた。