「ていねいに読み返してみましたが……」

2013-08-05 10:05:11 | 日記

「ていねいに読み返してみましたが……」

 安倍首相は、島根県津和野町で、麻生副総理が「ナチス政権の手法の、あの手口に学んだらどうか」という発言に対し、麻生氏が発言を撤回したことを理由に責任を問わない考えを示したそうです。

大臣クラスともなれば、公の場での発言が、世界的にも問題視される内容であったとしても、『撤回』さえすれば、責任は問われないのでしょうか。

高市早苗政調会長の「原発事故による死亡者はいない」発言のときも、発言の『撤回』だけで何の責任も取らず終いでした。

もし、ある人が、とんでもない非社会的発言をしてしまったら、単に、発言の『撤回』で済むわけにはいかないのが一般社会の常識というものです。

私は、あらためて、麻生副総理の発言内容を丁寧に読み返してみました。(朝日新聞デジタル 8月1日)

≪……憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね≫

どう読んでも、ことばの意味としては、ナチスのあの手口を学んだらいい、それも、だれも気づかないで”としか受け取れないのです。

〈ある日気づいたら、だれも気づかないで憲法が変わっていた〉なんて、真っ平御免です。

そのような意味でいったのではないと言われても、納得いたしかねます。

まして、発言の『撤回』ということでチョンにすることは居直りではないでしょうか。

≪……しかし、私どもは重ねて言いますが、喧騒のなかで決めてほしくない≫とも言っていますが、何を持って『喧騒』というのでしょう。

自民党は、首相や閣僚が国会で答弁する機会を減らして、外国訪問などの公務に取り組みやすくする改革案を近くまとめるとの方針を固めたとか。

『喧騒』と言われようとも、「憲法を変えたくありません」と、私は声を上げ続けたいと思っています。

また、国会での答弁は注視していくつもりです。そのことは、一国民としての私の権利でもあり、義務でもあると考えています。

もうすぐ八月十五日。

幼い頃、戦禍の後で手にした憲法第九条は私の財産です。宝ものです。孫たちへの大切な遺産です。

安倍総理が、麻生氏が発言を撤回したことを理由に責任を問わないと、穏やかな声で言うことは『喧騒』より悪質な権力者の『暴力発言』ではありませんか。

                                                     〈げに、腹ふくるる心地の〉ばーば