汚染水処理 国主導で
知事、28日にも申し入れ
これは、福島県の地方紙(8月23日)の一面トップの大見出しである。
何かがおかしい
「なんども徹底したリスク管理を申し入れているはずなのに極めて遺憾だ」と語気を強め「汚染水対策は国が責任をもってやって欲しい」と述べてきた県知事も。ここに至っては堪忍袋の緒が切れたのであろう。また、避難を強いられている立地地区の首長も「国が前面にたつべきだ」と政府の対応を求めている。当然である。過日も述べたが、東電の制服姿の者が国民の前に絶つべき「時」ではない。
もちろん、調査、研究は専門である東電や学者諸氏によらなければならない。首相や理工学出の官僚が情勢の把握はできても判断はできない。これも当然である。では何ができるか。それは関係部門にある実務者、専門家、所轄政務官を一同に集めた対策会議の招集であり、その英知を集めた結果としての対策を「政府の方針として打ち出すこと」。それが司令部の最高責任者としての「イロハ」ではないだろうか。
東電は、350基のタンクの緊急点検に入るとの方針を出した。それを受けて、立ち入りを実施した規制委員会の代表は、「点検マニアル」もないことに驚き、しかも点検記録もない「ずさんさ」を指摘している。さして知識もない素人が、過日の投稿で「タンクが原因の疑い」というなら緊急に全タンクの点検をすべきと述べた。また「マニアル」があるのだろうかとも指摘した。それが本日の新聞記事で「マニアル」もないことが見事に証明されている。
このようなこと一つをとっても、実務者東電には、もはやその処理体制がないということであろう。となれば国「政府」が出なければならないし、「政治」が責任を持たなければならないところまで来ているというものであろう。今さら知事に言わせることでもない。
何故、政府は出てこないのか
住民の補償問題や住宅、あるいは健康管理、そして除せん、自治体行政支援などについては関係大臣も姿を、必要以上に大きく映し出す場面はある。「敏速に、具体的に」をキャッチ・フレーズとして誕生した政権だから当然である。その割には「足は鈍く、具体性に欠ける」。それでも「姿」が見えるし「声」も聞こえる。
しかし、こと現場の収束処理については「東電」任せであり、専門家頼りである。
「何故、出てこない」
これについて「素人」の言葉で、大胆かも知れないが次のように表現してみたい。
◆やばいことには、顔を出すな、口を出すな
◆収束は困難だ、できないかも知れない。もしかしたら放置ということもあるかもしれない
◆となれば、再稼動も、ましてや原発輸出外交も投げ出さなければならなくなる
◆東電に任せておこう。専門家に委ねておこう。その限りでは金を出す
◆近づくな。「そっと、そっとで時間を稼ぐ」、その間は補償や除せんで存在を見せる
麻生副総理の「静かに、そっと」の発言は、案外と自民党安倍政権の本音なのかも知れない。
今、この時代が、大変な政治の危機をむかえているように思うが、どうだろうか