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情報の概念を核とした生命体の科学

2020-04-26 07:51:29 | ブログ
 将棋、囲碁、チェスなどどのようなゲームをとってみても、ルールというアルゴリズムが決まっていて、そのプレイヤーが勝手にそのルールを変更することはできない。しかし、それらのルールだけでゲームの勝敗が決まるかとなると、必ずしもそうとは言い切れない。例えば、将棋の局面が千日手と呼ばれる状態になることがあり、その場合には勝負は決まらない。

 ゲーデルやチューリングは、同一のアルゴリズムに基づいて操作を繰り返すような問題において、真か偽か決まらないような命題、すなわち「決定不可能な命題」が必ず存在することを示した。将棋の場合には、そのルールの適用によって勝敗が決まるか否かという命題が挙げられる。コンピュータが実行する計算の場合には、コンピュータが真または偽という答えを出力して停止するか否かという命題になる。コンピュータが答えを導き出せなければ、無限ループとなる。参考文献は、この種の決定不可能な状態を指して「自己言及のパラドックス」と呼んでいる。

 アラン・チューリングは、任意のアルゴリズムに従って動作する万能の計算機を提唱した。このチューリング・マシンは、現行の汎用デジタル・コンピュータの理論的基礎になっている。

 周知の通り、地球上のすべての生命体の細胞は、アミノ酸の並びをコーディングしているDNAから遺伝コードを読み出して特定のタンパク質を作っている。DNAから遺伝コードを読み出す機構をDNAマシンと呼ぶならば、DNAマシンは、チューリング・マシンの一種に他ならない。テープなど記録媒体上の制御コードを読み出して部品を製作するプログラム制御方式の工作機械も一種のチューリング・マシンの部分を内蔵している。細胞は、デジタル・コンピュータというよりもこの種の工作機械により近いのかもしれない。

 DNAマシンがチューリング・マシンであるならば、DNAから遺伝コードを読み出すという操作はアルゴリズムとはならないから、DNA上に記録されたアミノ酸の種類を示す遺伝コードの並び自体がアルゴリズムに相当するだろう。そうすると、このアルゴリズムが未来永劫不変であると仮定すると、何が「決定不可能な命題」となるのだろうか。何らかの理由でアルゴリズムの実行が終了しないので、所望のタンパク質は製造されず、生物はその子孫を残すこともなく死滅する他ないのだろうか。

 現実には、DNAから読み出した遺伝情報をmRNAという分子に転写してから特定のタンパク質を作るまでの間に、転写エラーなど様々なエラーが起こる可能性がある。ありふれたエラーは校正、編集、訂正プロセスによって訂正・修復される。このようなプロセスによって、ゲノム変異の確率は100億回に1回のように極度に抑えられている。細胞内で予想外の出来事が生じたとき、ゲノム(遺伝情報)の修復が行われることもある。例えば、通常はDNAから遺伝情報を転写されるRNAが、ときには自身の配列をDNAに書き戻すことがある(いわゆる逆転写)。このような逆転写の際にDNA上の遺伝情報が変異する可能性がありえる。また、染色体が破断された場合にその再構成が行われるが、その際にも遺伝子組み替えのような変異が起こる可能性がある。

 生物が増殖するときには、DNAの複製が行われる。このときの複製エラーは10億回に1回程度であるから、エラーが起こりやすいと言える。そのエラーがさらにコピーされると、その複製プロセスは進化可能になる。

 フォン・ノイマンが提唱した「万能構築機」というマシンは、生物というものをよく模擬している。このマシンは、プログラム制御方式により各種の部品を組み合わせて自分自身という物体(ハードウェア)を組み立てる機械であるという点では、一種の工作機械である。しかし、このマシンは、通常の工作機械とは異なり、このマシンの作り方を指示するためのテープ上の制御プログラムを新しいテープにコピーして、製作した万能構築機のレプリカに搭載しなければならない。これは、制御プログラムというソフトウェアのコピーに他ならない。

 フォン・ノイマンは、生物の増殖が単純なコピー作業とは大きく異なることに気がついた。DNAの複製には、頻度は少ないが必ず複製エラーがついてまわり、この複製エラーが生物進化の原動力となる可能性があるということである。

 つまり、生物は、このような複製エラーによる突然変異と自然選択によって目まぐるしく変化する環境にも対抗するよう進化してきたということである。その結果、総じて堅牢な生命体をつくり上げ、30億年以上もの期間に亘ってしぶとく生命の聖火を継承してきたのである。その過程では、「自己言及のパラドックス」を避けるような「適応的変異」もあったであろう。「適応的変異」と言うとき、ランダムな突然変異とは異なり、代謝に必要な栄養物の欠乏など予想外の出来事に対処するための変異のように目的をもった変異を意味する。「適応的変異」であっても、自然選択あればこそ有益な遺伝情報として長く子孫のDNAに残るのであろう。

 フォン・ノイマンの自己複製マシンのアイデアを表現する数学モデルとして、セルオートマトンと呼ばれるモデルが提唱され、情報と生命との結びつきを調べるためのツールとしてよく使われている。特に、コンピュータの画面上でプレイする「ライフゲーム」というゲームが有名である。このゲームは、表示画面上にマス目の並んだ盤を用意する。それぞれのマス目は、塗りつぶされているか、または空白である。塗りつぶされているマス目は「生きている」、空白のマス目は「死んでいる」と表現する。はじめは、生きているマス目と死んでいるマス目からなる何らかのパターンからスタートする。そこから何かを起こすには、このパターンを変化させるためのルールがなければならない(ルールは任意であるが、具体例の説明は省略する)。

 ランダムなパターンからスタートすると、さまざまなことが起こることが報告されている。しばらくのあいだ発展したあと、最終的にパターンが姿を消して画面は真っ白になるかもしれない。あるいは、動かない形状で行き詰まったり、数世代ごとに同じ形状を何度も繰り返すサイクルに入ったりするかもしれない。もっと興味深い場合として、実際の生物のように永遠に発展して、新しいパターンを際限なく生み出すかもしれない。ライフゲームは、囲碁と似ていなくもない。

 ライフゲームの結論として、ある初期パターンが最終的に静止するか永遠に発展しつづけるかを何か体系的な方法を使って前もって見極めることは不可能である。まさにライフゲームは、チューリング・マシンの原理に従って動作するコンピュータであり、ゲーデルやチューリングが言う決定不可能性をもつのである。この「決定不可能性」には、対象の絶滅ばかりではなく、新たな秩序が生まれ出る可能性を残しているのである。

 アダムズとウォーカーは、セルオートマトンに環境の変化を組み込むことによって、もっと現実に近い形の生物を表現しようと考えた。つまり、環境の状態に応じてルールが変化するように更新するのである。その結果は、予想されるように、際限がなく(最終的に静止したりループ状態になったりすることがなく)、しかも創造的な進化的振る舞いをするケースが増えるようである。このようなオートマトンを「疑似法則のゲーム」と呼んでもよい。すなわち、ゲームを支配する法則が対象の系の状態に左右されるのである。囲碁は、疑似法則のゲームに近いのだろうか。

 状態の関数として変化する法則は、「システムの振る舞いがシステムの状態に依存する」という自己言及の概念を一般化したものと言える。アダムズとウォーカーの試みは、自己言及的で状態に依存するルールを組み込むことにより、生命と関連づけられる無制限の多様性という重要な特徴を示したのである。

 参考文献
 ポール・デイヴィス著「生物の中の悪魔」(SBクリエイティブ)
 野田春彦など著「新しい生物学」(ブルーバックス)