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サーフィンをするがごとく

2018-01-07 08:20:23 | ブログ
 新年が始まった。高度成長期が終わった後、テクノロジーの急速な進歩が社会的、経済的な変貌をもたらすことになった。今年も、激動の時代が続いていくことであろう。世界は、このまま加速度的な変動を続け、2045年ごろと言われるシンギュラリティの状態に陥るのだろうか。

 シンギュラリティとは、数学で言えば特異点のことである。こうなると、ブラックホールの特異点を始めとして、数学的な特異点が出てくるような対象が面白い。

 激動の時代という話題に戻ろう。

 米国では、奨学金を受けながら四年制大学を卒業したとしても、首尾よく就職でき、奨学金ローンの支払いができるという保障は何もない。また、四年制大学を卒業しても、職業的な訓練を何も受けていないので、一人前の職業人になるまでに時間がかかり、その間に雇用が保障されるとは限らない。

 そのため、四年制大学と並んで、二年制の専門学校を卒業し、一年程度の職業訓練を受けた後、普通に就職するか起業するというコースが重要な選択肢となる。もしキャリア・アップのために大学程度の勉強が必要になったら、その時点で大学に入って学べばよいではないか、という考え方である。もちろん、このコースを選択しても成功するという保障は何もない。

 言うまでもなく、就職しても解雇やリストラのリスクがあり、起業しても倒産のリスクがある。

 英文雑誌を読んでいたら、ある米国人が「人生はサーフィンをするようなものだ」と言っているのに注目した。新たにやってくる波にうまく乗るためには、サーフボード上の立ち位置を維持しようとして守備的になってはだめであり、むしろ積極的に足を運んで波に乗ろうとする努力が必要である。しかし、それでも転落のリスクを回避できるとは限らない。

 この記事を読んだとき、サーフィンとはうまい比喩だなと思うとともに、いかにも米国人らしい発想だなと思った。

 人がサーフボード上に立ったら、すべて「自己責任」で行動しなければならず、助けてくれる人は誰もいない。そのため、家族とかコミュニティのような共同体の存在を完全に無視していることになる。

 こうなると、どうしても銃の規制ができないために、銃の乱射事件によって罪のない犠牲者を産み出す米国社会というものに思いが至る。また、どうしても麻薬の取り締まりを強化できないために、一部の麻薬が事実上解禁状態になることを容認する米国がある。さらには、自分と異なる人種、異なる宗教や文化のために不寛容となり、自分が属する島宇宙の人としかコミュニケーションしない分断された米国社会と受け取ることもできる。

 これをもって、西洋伝統の個人主義が悪い方向に収束していくような病める米国と考える人がいるだろう。あるいは、島宇宙は銀河のことであるから、これも自然の理と考える人もいるだろう。

 さらに、日本と日本人は、世界の国々の中でどのような位置づけになるのだろうかと考える。

 日本人の多くは、西洋流の個人主義を信条としておらず、むしろ親族以外の他人のため社会のために貢献しようと考えている人が少なくないようにみえる。

 テレビ放送を通じて、アフリカなどで私財をなげうって何の関係もない赤の他人のために学校を建てたり、農業指導をしたりする日本人の姿が紹介されることがある。世界的にみて他国の人々に対してこのような奇特な貢献をする外国人は日本人以外にいないのではないだろうか(莫大な財産を有するひとにぎりの実業家や、資産家の寄付に依存するNPOを除いては)。

 ケント・ギルバート氏のベストセラー新書を読んでいて、親族などの小コミュニティの利益以外にはほとんど関心がない中国人や韓国人にとって、篤志家になることはほとんど考えられないだろうと思った。

 ギルバート氏の著作では、儒教に支配されるがために自己中心主義に陥った中国人・韓国人が描かれている。

 こうなると、ギルバート氏が言う「日本は、東洋でも西洋でもありません!」の文言がよく理解できる。また、かつて言われた「日本は世界の文化の中心から離れた辺境の地」というより、「日本は独自の文化圏をもつ国」という方が日本の実像に近いと言える。