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ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

危ないデッカちゃん。(このタイトルと内容は一致しません)

2016-09-25 | 雑念
余計なことを言う。

余計なことを言う指導者にだけはなりたくない。
研修ならば知識のひけらかし

身につくより、鼻につく

そういう学びの場には決してしないよう。
言葉を選びたい。

削りに削ってシンプルなもの

それはほとんど文字数も意味も
よもや存在さえ消えてしまいながら

波動だけを残す。

こうなると確かに武道に近いのかもしれない。

僕は本物の武道は習ったことはない。
でも高校の授業で剣道を選択して
臭い面や小手に四苦八苦したもんだが

その剣道における「残心」とはまさにこの「波動」ではないだろうか。

見えない影響

長くそして大きな影響は目に見えないのかもしれない。

僕はその目に見えないものを追いかけていきたい。

だから僕が昔から興味がある「旅の影響」

旅をすれば何やら金もヤル気も吸い取られたような雰囲気に。相当なエネルギーを使い果たすのだろう。

そこで得られるもの

それは大したものでは無く
ただ単純に「変化」だと思う。

自分自身の目が変わる。

見る目が変わる感覚だ。

当然、感じることも変わってくるのだが…

目が圧倒的に変わると思う。

色が変わる。
大きさが変わる。
時間の感覚も。
そして長さや重さでさえ変わる。
それは体重が減っただけ?

とにかく変わる。

その変化は漠然としていて
原因は定かじゃなかったのだが
ひょっとしてその土地や人間の波動が影響している?

そんな風に思った。

素直な心でその土地や人間と接した時に
変化が大きいのも
その波動を受け入れる度合いによるものなのかもしれない。

僕は今何を言っているのだろう?

変なキノコでも食べたかな?

僕は研究テーマを
もう少し目に見えないものにシフトしていこうと思っている。

危ない哲学が始まりそうな予感


一夜明けて

2016-09-25 | 雑念
早速、朝起きてコネプラやってみました。

やってる姿は見られたくないかも。

僕は布団の中で。
自分が少しだけ落ち着いたように感じる。
この感覚は間違っていなかったようで
すーっと楽になる感じは
昨日の成功から復習に

落ち着いた感じは今朝も

この精神的なアクションは
今までやったことなかったから
ひとつの武器を手に入れたような感覚

自分のことを別の角度で見つめるきっかけにも

昨日の入門コース
見せてくれたスライド
それを見ると奥の深さも感じた。

その中で1日経って印象に残ったのは
そのコヒーランス状態ともう一つ

共感する

その体験の話

僕たちファシリテーターも「共感」は大切なスキルの一つだし、世の中圧倒的に共感が足りないのも知っている。

共感する

出来そうで難しいことをまた知った。

その入門コースの指導者の方が僕に共感してくれているのは感じたし、とてもいい雰囲気を出していた。

そういうことだろうね

共感って。

いろいろ自分のことを話したくなるし
自分のことに集中できる。

これから少しずつ「共感できる男」を目指すことにする。

どれほど嫌な人だろうが、関わりたくない人だろうが、いったん落ち着いて

多くの人と共感するという練習をしてみることにする。

結構難しいよ。

逆に普段の会話で行っている共感ではないことリストも見せてもらった。

それを見たら自分が「共感する」ではなく別の事をしていたことに気づかされた。

「教育する」「批判/評価する」「一枚上手になる」「情報を集める」「同情する」「分析」「指図する」「物語を語る」「アドバイスする」「感じさせない」「話を避ける/そらす」

確かに自分が振り返りなどで行っていたのが
「共感する」ではなく、何らかの別のものであったのだ。

参加者が主役

その本当の意味は、参加者自身が考える手助けをするということ、それすなわち「共感する」ということだと。

「教育した時点で主役は指導者に移る」

「アドバイスした時点で教育者が支配してしまう」

「時間がないから、話をそらす」

「同情してしまう(これは違いに苦しんでいるが…)」

云々

「真の振り返り」とは、「共感する」ということが大切なのだと思う。

漠然と「共感する」ではなく、
そう感じてもらう必要がある。

これができる指導者っているのだろうか。

カウンセラーだよね、これって。