えらいもんで「これを読んでFBの友達から外してください」とFBに投げかけたらアクセス数が増えましたよ。
意外に友達は減らなかったけど。
読んでないんだろうね、殆どの人は。
でも僕は結構本気です。
新しく繋がろうとしてくれる人にも
今までの人たちにも
FBでつながっていることには
それほど意味はなくて
一緒に話がしたい
その約束を取るためのツールだと思っている。
そーなると結局
遊びのお誘い(告知)と僕の人と成りを公表する場になる。
「リア獣」ですわ
だって僕は「リア獣」ですからね。
人にどう思われたって構わないっすから。
とにかく自分自身がカッコいいと思うことのみを追い続けますから
それを僕は
リア獣
と呼びます。
当然「リア充」でもありますから。
それはそれでそう捉えてくれて構いません。
先日ある人に「なんかわざと嫌われる人を演じてたよね」
と言われました。
演じていたと思われていたのなら
恥ずかしいかぎり
でも別にそう意識していたわけではないと思う。
ただ一回初対面で嫌われておきたいとは思っているかもしれない。
そしてその壁を乗り越えてくる人のみと話したい
コレが僕がリア獣たる所以である。
めんどくさくないのだ。
人間関係、全員と仲良く分け隔てなく対応していたら、僕の大切な時間を奪われるのだから。
しかしこの方法
諸刃の剣であって
そこが悲しくせつない。
本当はこの人と仲良くなりたいという時もあるのだが人見知り発動により、そしてさらにリア獣も発動するとそのチャンスは激減する。
到底、近くに寄ることもない。
それは縁だと諦める。
大切な時間の方が大切だ、という価値観
あと面白いことにFBにこのブログの記事をリンクしたら、「いいね」が男子だけという結果になった。
不思議
僕は男子にウケる
女子には不評
コレがFB社会実験の結果である。
まぁ、前々から薄っすらわかっていたけどね。
リア獣!
リアル野獣!
そりゃ、女子が近づくはずがない。
危ないからね。
人間界に潜む本当の「人狼」
自分が人間を喰らうことを知っている。
だから「満月の夜には僕に近づかないでね」と伝えておく。
それでも近づいてくる人が本物の仲間であろう。
喰われる可能性があるのに
当たり障りのない人間とのみ付き合うことに飽きた人間たち
そこには自信もあって
怖いもの知らずなのかもしれないし
単純に僕と仲良くしたい(野獣でもいい)
噛まれても痛くない
そうこういう一風変わった人間が好きだ。
あからさまに僕を警戒する人間もいて
それはそれで全くもって僕からは興味がない。
うまいこと出来てる。
コミュニケーションが大事とか
人間関係に問題があるとか
人と関わることで成長できるとか
「1人じゃできないことができるように」とか
そんな体験をしてもらうような仕事をしているのに、自分は何をやっているのだろう?
僕は人一倍その重要性を知っているから
その歯がゆい気持ちも人一倍わかる。
そこだけが僕の「共感」できる部分
難しさや寂しさを共感できるから
プログラムにおいての言葉がけや雰囲気作りが工夫できる。
ほんの小さな些細な言葉がけが参加者の不安感を誘うのだ。
僕もおそらく不安の中で生きているのだろう。
FBの中でも
その雰囲気に耐えきれなくなると
急に「僕のこと嫌な人はさっさと友達から除外してくださーい」と叫んでも無反応
SNSの無反応に潰されそうになるのだ。
だから僕はFBを閉鎖したことがある。
この感じに我慢ならなくなるのだ。
そして自らブロックする。
結局もがき苦しんで最後はFB閉鎖に
「友達ってなんやねん」
「FBってなんやねん」
書きたいことも書けないSNSって
僕が勝手に遠慮してるだけか。
その点、このブログは大好き
書きたいことを自由に書いてるしな
誰に気兼ねなく書けるやん。
何故ならブログを読む人は、
読みに来てくれているから。
勝手に自分のタイムラインに入ってはこないでしょ?
わざわざ僕の場所に来てくれるんでしょ?
RSSで読み込んでいる人もいるかもしれないけど、基本的には足を運ぶことだから
離れたところ
一つ壁があるから
それがいい
そこを乗り越えてきてくれた人だけが読んでほしい。
僕の毎日のブログはまだまだ続きますよー
読者がゼロになっても
今日からファシリテーターフェス@神戸市立自然の家
夜だけでも遊びに来て
コスプレしとるで
意外に友達は減らなかったけど。
読んでないんだろうね、殆どの人は。
でも僕は結構本気です。
新しく繋がろうとしてくれる人にも
今までの人たちにも
FBでつながっていることには
それほど意味はなくて
一緒に話がしたい
その約束を取るためのツールだと思っている。
そーなると結局
遊びのお誘い(告知)と僕の人と成りを公表する場になる。
「リア獣」ですわ
だって僕は「リア獣」ですからね。
人にどう思われたって構わないっすから。
とにかく自分自身がカッコいいと思うことのみを追い続けますから
それを僕は
リア獣
と呼びます。
当然「リア充」でもありますから。
それはそれでそう捉えてくれて構いません。
先日ある人に「なんかわざと嫌われる人を演じてたよね」
と言われました。
演じていたと思われていたのなら
恥ずかしいかぎり
でも別にそう意識していたわけではないと思う。
ただ一回初対面で嫌われておきたいとは思っているかもしれない。
そしてその壁を乗り越えてくる人のみと話したい
コレが僕がリア獣たる所以である。
めんどくさくないのだ。
人間関係、全員と仲良く分け隔てなく対応していたら、僕の大切な時間を奪われるのだから。
しかしこの方法
諸刃の剣であって
そこが悲しくせつない。
本当はこの人と仲良くなりたいという時もあるのだが人見知り発動により、そしてさらにリア獣も発動するとそのチャンスは激減する。
到底、近くに寄ることもない。
それは縁だと諦める。
大切な時間の方が大切だ、という価値観
あと面白いことにFBにこのブログの記事をリンクしたら、「いいね」が男子だけという結果になった。
不思議
僕は男子にウケる
女子には不評
コレがFB社会実験の結果である。
まぁ、前々から薄っすらわかっていたけどね。
リア獣!
リアル野獣!
そりゃ、女子が近づくはずがない。
危ないからね。
人間界に潜む本当の「人狼」
自分が人間を喰らうことを知っている。
だから「満月の夜には僕に近づかないでね」と伝えておく。
それでも近づいてくる人が本物の仲間であろう。
喰われる可能性があるのに
当たり障りのない人間とのみ付き合うことに飽きた人間たち
そこには自信もあって
怖いもの知らずなのかもしれないし
単純に僕と仲良くしたい(野獣でもいい)
噛まれても痛くない
そうこういう一風変わった人間が好きだ。
あからさまに僕を警戒する人間もいて
それはそれで全くもって僕からは興味がない。
うまいこと出来てる。
コミュニケーションが大事とか
人間関係に問題があるとか
人と関わることで成長できるとか
「1人じゃできないことができるように」とか
そんな体験をしてもらうような仕事をしているのに、自分は何をやっているのだろう?
僕は人一倍その重要性を知っているから
その歯がゆい気持ちも人一倍わかる。
そこだけが僕の「共感」できる部分
難しさや寂しさを共感できるから
プログラムにおいての言葉がけや雰囲気作りが工夫できる。
ほんの小さな些細な言葉がけが参加者の不安感を誘うのだ。
僕もおそらく不安の中で生きているのだろう。
FBの中でも
その雰囲気に耐えきれなくなると
急に「僕のこと嫌な人はさっさと友達から除外してくださーい」と叫んでも無反応
SNSの無反応に潰されそうになるのだ。
だから僕はFBを閉鎖したことがある。
この感じに我慢ならなくなるのだ。
そして自らブロックする。
結局もがき苦しんで最後はFB閉鎖に
「友達ってなんやねん」
「FBってなんやねん」
書きたいことも書けないSNSって
僕が勝手に遠慮してるだけか。
その点、このブログは大好き
書きたいことを自由に書いてるしな
誰に気兼ねなく書けるやん。
何故ならブログを読む人は、
読みに来てくれているから。
勝手に自分のタイムラインに入ってはこないでしょ?
わざわざ僕の場所に来てくれるんでしょ?
RSSで読み込んでいる人もいるかもしれないけど、基本的には足を運ぶことだから
離れたところ
一つ壁があるから
それがいい
そこを乗り越えてきてくれた人だけが読んでほしい。
僕の毎日のブログはまだまだ続きますよー
読者がゼロになっても
今日からファシリテーターフェス@神戸市立自然の家
夜だけでも遊びに来て
コスプレしとるで