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退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#595:  デヴィッド・ボウイが逝ってしまった。

2016-01-11 21:40:49 | アメリカ便り
私の大好きなイギリスのシンガー、デヴィッド・ボウイが今日69歳で亡くなりました。
非常に残念で悲しいです。
癌と18ヶ月も戦っていたそうですが、そんなこと私たちはまるっきり知りませんでした。
デヴィッド・ボウイと言えば、格好だけ見ていれば“あの変なやつ”と言う感じがするかもしれませんが、“人と同じ”ではいたくない私にとっては、アイドル的存在の人でした。
本当にすべてがかっこよかった。

もちろん歌はどれをとっても最高、と思っているのはもちろん私だけではないようで、生涯を通して1億4千万枚のアルバムが売れたそうです。

実は私はデヴィッド・ボウイと個人的に面識があるのです。
時は20年前、年1回の子供をつれての実家訪問時。
場所は成田空港税関。
セントルイスからシカゴ経由で成田空港について税関で待っていると、隣にスキンヘッドやら、ピアス、きつきつの皮の服を着た異様な1団が、これまた税関審査を待っていました。

当時5歳と3歳の子を連れた長旅で疲れきっていた私は、その1団を見てもしばらくなんとも思いませんでした。
そして突如あのデヴィッド・ボウイ様の顔が目に入ったのです。
もちろん走り出しました、子供をおいて、デヴィッド・ボウイの方へ。
デヴィッド・ボウイも突如、1/8の小さなチェロを背負って走りよってきた日本人を不思議に思ったようでした。
それ以上に子供たちも急に走り去った母親にびっくりしたようで、呆然と立ち止まっていました。
いざ、デヴィッド・ボウイの前に立つと何もいえませんでした。
抱きつくかキスなんか(もちろんほっぺたです)でもすればよかったのに、と後で後悔しましたが、そのときはもうどきどきわくわくで握手しかできませんでした。
ペンを探す暇もなかったのでサインももらえなかった。
あの時サインをもらっていれば、みんなに見せびらかすこともできたのに。
と後悔ばかりのめぐり合わせでした。
せっかくした握手も税関通過後入ったトイレで洗い流してしまったし。

今思えば懐かしいです。
先ほど死の直前にリリースされたアルバムから一曲を見ましたが、面影がわずかに残っているだけでした。
死を覚悟していたアルバムで、ベッドに横たわった姿や遺書を書いている姿までを歌いながら演出していたデヴィッド・ボウイ、死の直前、いや死んでもかっこいい。

これでまたひとつの時代が去った。

ハブグレジュンタのマミー