うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

特異天体....(1039)

2010年02月16日 22時04分41秒 | うべプラネタリアン
1/19に、このページで核のない彗星の話を採り上げた。
これは、今年最初にリニアプロジェクトが見つけた天体で、周期彗星とされ
仮符号(P/2010 A2)が付けられた。
1/29に、ハッブル宇宙望遠鏡はこの周期彗星の詳細な姿をとらえ、写真に撮った。
なんと、彗星のような尾は引いているが、広がるガスも光り輝く中心核もない。
いや、核はあるが、中心から外れた小さな光点にすぎない。
頭部の形も異様だ。
チリの尾の長さも、わずか地球月間の半分くらいの小ささだ。
しかも軌道は火星木星間の小惑星帯にある。
このことから、(P/2010 A2)は、どうやら小惑星同士の衝突した痕らしいと見られ、
小惑星の衝突ダストが太陽風に煽られて尾を引いて見えているのだとされている。
いま、ふたご座にあって一番見やすい位置だが、なにせ明るさは19等と、
とてもじゃないが我々の望遠鏡の手に負えるものではない。
画像はNASA提供。

原城趾 2 ....(B101-2)

2010年02月16日 17時31分10秒 | 史跡散歩
原城は島原半島の南端にある。
もともとこの地を治めていた有馬氏の城だったが、有馬氏は小西行長につながるもので
関ヶ原後宮崎に転封され、あとにきた松倉氏が島原に城を建てた。
その時彼の地の6万人の農民は、6年間で延べ100万人が動員され、過酷な労働と租税が掛けられた。
島原城が完成すると一藩一城の定めで原城は取り壊された。
過酷な年貢取り立てと労役と無体なキリシタン弾圧に抵抗して立ち上がった農民達の一揆は
あっという間にふくれあがり、ある場所は全村挙げてはせ参じ、総勢3万7千人が
16歳の益田(天草)四郎時貞をいだいて、廃城の原城に立てこもった。
時は、三代将軍家光。
鎮圧に乗り出した九州各藩は、難攻の名城だった原城の地形や、攻め手側の足並みの乱れもあって、
多大な犠牲を強いられたが、事態を重く見た幕府は老中松平信綱ひきいる12万の軍勢で取り囲んだ。
兵糧責めや、オランダ軍の艦砲射撃、はたまた内通者の潜入など手を尽くして大がかりな攻城戦を展開し、
女子供までことごとく斬り死にするなど惨殺の果てに3ヶ月に及ぶ一揆は鎮圧された。
今でも埋められた城の石垣の間からは白骨が出るという。
原城本丸跡に小さな一尺五寸程度の石塔が建ち、摩耗したかすかな字は天草四郎時貞之墓と読める。
有明海の寒風の中で、そこはひときわ風が重い。