・・・気が付けば、自分は彼より一年長く生きている。
カープでがんがん投げていたときは、正直、憎たらしかった。
というか、昔のカープの野球って、「トータル・ベースボール」で
隙がなかったわけで。
で、しまいに出てきて完璧に抑える。
他球団のファンにとっては憎たらしいことこの上ない。
フルフォームのとき、リリーフしくじったのは
優勝争いの大一番で駒田に一発喰らったことと、
日本シリーズで当時ライオンズの工藤にサヨナラヒット喰らった「だけ」か。
そんな彼が病に倒れたとき、正直、びっくりした。
はじめは「水頭症」とか言っていて、野球は無理でも
まあ生きて帰っては来るだろう、とは思っていた。
しかし、1年経っても、2年経ってもいい知らせは来ない。
そうなると、いままで持っていた憎らしさはいつの間にか消えて、
「お願いだから、生きて帰ってきて」という思いになってきた。
しかし、それはかなわぬことだった。
それから、NHKのドキュメント番組を見ることと、それを文字化した本を
読む機会に恵まれたことで、表には見えない壮絶な現実を知ることとなった。
「水頭症」というのはファンを「安心させる」ためのエクスキューズで、
実際は本当に手の施しようのない「脳腫瘍」だったこと。
それでも何とかしようと奥さんが「マクロビオティック」中心のやり方で
懸命に看病したこと。(だから、彼の「終の棲家」は広島ではなく福岡なのだ)
一時症状が瓦解したときの現役復帰に向けた執念。
自分はあれからことあるごとに彼の闘病生活を想い、
「自分は、果たしてどれだけのことができているのか?」
「自分は、自分がやろうとしていることに妥協を許していないか?」
「自分は、安易に享楽や快楽に走ってはいないだろうか?」
ということを自問自答している。
・・・今年も生きて夏を迎えられた。