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敗戦記念日は、「八月十五日に吹く風」

2024-08-15 | Weblog
ズルズルと、決断もなく、戦争を継続し、多くの将兵を失い、玉砕という愚策を続け、特攻隊で多くの若者を失い、民間人も巻き込み、挙げ句の果て、広島 長崎に、投下されてしまった原子爆弾。
無策、無能と評価されるべき、日本軍大本営。
その中にあって、人命尊重を貫き、アッツ島玉砕により、取り残された、キスカ島の陸海軍兵士5181人を無償で、退避させることのできた、木村昌福少将の英断の物語。
 ミッドウエー作戦で、完敗した日本軍、時を、同じくして、アリューシャン列島の占領を実行。しかし、占領翌年1953年には、アメリカ軍が、アッツ島の奪還作戦を実施。
日本軍は援軍を要請したが、大本営は、見捨てる決断と、玉砕を促す命令。2638名の兵士たちは、万歳攻撃、手榴弾自決により玉砕。
アメリカ軍は、5200人の将兵が守る、隣のキスカ島を包囲。
その時、大本営の評価低い、木村少将が、作戦指揮をとり、気象予報士、橋本少尉を任命、科学的気象情報分析により、霧の中、5181名全員を救出できた奇跡。
読むと、救われた気持ちになれます。
また、この作戦に従事した、樋口孝一郎陸軍中将は、終戦時、千島列島北端、占守島にいて、ポツダム宣言受諾、敗戦決定、武装蜂起を命令されたにも拘わらす、15日、午後から、
占守島に、攻撃を仕掛けてきたロシア軍と交戦。
まずは、女子工員を船で避難させ、2000人の民間人を救出避難させた、もし、この戦闘がなけれ、あロシア軍は、千島列島を南下し、北海道を占領したでしょう。
こんな、素晴らしいリーダーも、痛んだと、感動を覚えます。
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