教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

肉声

2006年10月09日 | 話題
おはようございます。教育相談員です。
いつもは、校区の皆さんに書いている記事ですが、今日はブログをご覧になっている皆さんを対象に書きます。

私の記事は、先ほども言いましたが、ほぼすべてが「東町中学校区教育相談室」が発行している新聞「かけはし」の記事です。いわば学校が発行している公的な新聞記事です。

私は、事前検閲を要求することもなく、このような新聞の発行を認めている校区3校長の度量の深さに感心しているのですが、それでも公立学校が発行する新聞としての「自主制約」をいつも自分の心の中に置き、原稿を書いています。

そのため私の記事は、言いたいことの一歩手前で終わっていることも多く、後から読んで自己嫌悪に陥ることもあります。そして何よりも、新聞記事として書かれた文章の冷たさを感じます。これはほかの方のブログにおじゃまさせていただいた時に感じることです。

こんな地味なブログにもかかわらず、毎日60人ほどの方が訪問し、一日に100を超える閲覧数が記録されているのは、うれしいことです。このブログの記事が、みなさまの何かのヒントになれば幸いです。またこのブログを通してお互いの教育論議が深まることも期待しています。ご意見・ご異論・ご質問を歓迎します。

たかが言葉の言い換え

2006年10月08日 | 人権
私が教職に就いた70年代には、教育現場で「欠損家庭」という言葉が残っていた。それがしばらくして「母子家庭」に変わった。しかし父親と暮らしている家庭の子どもも含めなければ、ということで「母子・父子家庭」という言葉に変わった。最近では「ひとり親家庭」という言葉が使われだしている。

私にとって、欠損という言葉には冷たく暗いイメージがある。小指の欠損、片足の欠損、片目の欠損・・・それは、幼いころ街角で見かけた傷痍軍人さんの思い出に重なる。そこにあるべきものが、戦争という大きな暴力で奪い取られてしまった、そのぽっかりあいた空間が、傷痍軍人さんの苦しみを表しているように思えたのである。その冷たく暗いイメージが、家族という暖かな言葉とくっついていることへの違和感があった。

言葉の言い換えは、家族の在りようの変化とともに始まった。今や日本の総理大臣だって離婚を経験するようになったのである。両親いるのが普通で、そうでなければ「欠損」という時代は過去のものとなっている。その変化にふさわしい言葉を選ぶことが必要だと思う。

学校では過去にも「父兄」を「保護者」に、「保護者呼び出し」を「保護者面談」に、「内申書」を「成績調査書」に言葉を変えてきた。その背景には、社会の成長に遅れまいとする学校の努力があった。そして言葉を言い換えることによって教員の意識改革にも役立ったのである。

たかが言葉の言い換えと言われるかも知れない。しかし意識が変わったからこそ、使う言葉が変わったのだとも言える。意識が変わるからこそ、使う言葉を選びなおすのではないだろうか。「ママ」「お母さん」「ババア」。「パパ」「お父さん」「オッサン」。これらの言葉には、「たかが言葉の言い換え」と済ますことができないような大きな意識の差があるのとおなじように。

いじめの加害者になると想定できる力

2006年10月07日 | 子育て
ある日の学級懇談で、担任から「このクラスに深刻ないじめが起こっています。」と告げられると、保護者のみなさんは、どう考えるでしょうか。私も含め多くの人は、「わが子がいじめの被害に遭っているのではないか。」と不安に思うのではないでしょうか。

いじめには、いじめる側といじめられる側があります。この関係は、完全に固定化しているわけではなく、いじめる側にいるものは、いついじめられる側に「転落」するかも知れないと考え、その恐怖感がいじめをより深刻なものにすることがしばしばあります。

しかしいじめる側といじめられる側に分けると、わが子がいじめの被害に遭うか、加害の立場になるかは、フィフティーフィフティーのはずです。いえ、いじめる側が多数のことが多いことを考えれば、わが子がいじめる側になっていることが、被害を受けるより数倍は多いはずです。(もちろん、いじめの被害・加害のどちらにもかかわっていない子どももいます)

しかし現実には「このクラスに深刻ないじめが起こっています。」と担任が沈痛な面持ちで口を開くと、多くの人はわが子が被害に遭ってないかと考えるのです。この思考が、いじめの解決を困難にする一因になっていると思うのです。いじめを加えている子どもの周りの大人たちがいじめと向き合わないと、いじめの解決は困難です。

わが子が被害を受けたときは深刻に悩み、加害のグループにいると言われたときには「そんなはずがない。」「相手の思い過ごしでは。」「先生は相手をひいきしている。」と考えわが子を「擁護」してしまう。それでは被害・加害双方の溝は深まるばかりです。

極論すると、いじめに被害と加害の関係はありません。自分のことを好きな子どもは、いじめをおこしません。いじめをおこすのは、自分のことを好きではない、自己肯定感を持つことができない子どもたちなのです。(大人も!)いじめをおこす子どもは、自分を肯定できるように大人社会から育てられていない被害者でもあるわけです。そして子どもをいじめに追いやる周りの大人たちも、激化させられている競争社会の犠牲者だと思うのです。

だとしたら、子どもたちの置かれている状態をしっかり見つめ、大人と子ども、子どもと子どもの関係をどう変えていくのかというように問題をたて、その解決を共同作業で取り組まない限り、いじめの真の解決につながらないのではないでしょうか。

わが子が「誰かをいじめたくなるまで追い詰められていないか」「自己肯定感が育てられているか」と考えてみて下さい。子どもたちのいじめを前にし、すべての大人がそう考えたとき、解決に向けた大きな一歩が踏み出せると思うのです。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉⑦

2006年10月06日 | 子どもたちの声
【男子テニス部 3年3組 ○○○○ 北町小学校卒】 
7月27日に、3年生は中央大会出場の切符をかけた最後の大きな大会で全力を尽くしました。しかし1回戦で負けてしまいました。でもみんなものすごく頑張ったから後悔はないです。2年生は少し悔しがっていました。でも次があるから頑張ってほしいです。7月31日、個人戦最後の大会がありました。この時の東町中は絶好調でした。1年生は大会を体験することを目標に試合に参加しました。2・3年生は目指せ優勝という気持ちで試合に臨み、1回戦を突破しました。2回戦では負けもあり、2回戦突破は3ペアーでした。その後2ペアーが負け、最後に残った1ペアーにみんなの応援が託されました。ベスト8まで進みましたが、おしくもベスト4進出はなりませんでしたが、最後まで力を出せました。この成績は、とても立派だと思いました。8月1日、これが3年最後の大会です。団体戦なのでみんなの絆をかたくし、試合に臨みました。4回戦中、1勝しかできませんでした。でも3年生全員、悔いなく全ての大会を終えました。

後輩たちへ。2年生は技術をもっと高め大会優勝を目指して頑張って下さい。1年生は2年生に負けないくらい努力をして頑張って下さい。今まで学んできたことをいかし、これからも頑張って下さい。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉⑥

2006年10月05日 | 子どもたちの声
【バドミントン部 3年3組 ○○○○ 北町小学校卒】
私達バドミントン部には目標がありました。それは「団体戦で勝ち進む」ということでした。私達は、3年生になって初めて団体戦で勝つことができました。1年の頃は、個人戦で勝てたらいいと思っていました。でも顧問が○○先生になって、私は「このチームで勝ちたい!」と思うようになりました。そして大阪大会で3回戦までいけたことが、私には本当に良い思い出として残っています。引退での団体戦では、良い結果が出ませんでしたが、みんなは本当に最後まで頑張りました。そしてみんな引退の日は泣き泣きでした。さびしい、もっと部活がしたい……きっとみんなもそう思っていたんだと思います。

部長というのは、正直本当につらかったです。でも、いろんなところで副部長が支えてくれて、部員のみんなが支えてくれて。本当にいろんな人が支えてくれたから一年間部長を続けることができました。部員全員に感謝です。私達3年が引退してバドミントン部は5人という少ない人数で、団体戦もギリギリ出られるという状態です。でもそんな中、頑張って練習している後輩たちを私達は応援したいと思います。部活動は引退しましたが、たまには部活動をしに行こうかと思います。でも3年なので勉強も頑張ります。そして高校に行って、またバドミントンをしたいと思います。

先輩から後輩へ~各部長から贈る言葉⑤

2006年10月04日 | 子どもたちの声
【サッカー部 3年3組 ○○○○ 北町小学校卒】 
私がこのサッカー部で残した思い出はたくさんあります。思い出とは意味が違うかもしれませんが、私達東町中サッカー部には、他の学校ではありえない環境の良さがあります。例えばグランドが広いことです。これは東町中ならではのことだと思います。他には、サッカーの中身の違いがあります。今、話題になっているオシムと同じような、頭を使うサッカーです。そんなサッカーが私たちの入学する前から東町中にはあり、サッカー部は数々の賞をもらってきました。そんなすごいクラブでサッカーができたことがすごく心に残っています。 

私はまだクラブを続けています。まだ引退する気はありません。3年生が出場できる大会は、秋に一つだけあります。今、すでにその試合に向けた準備が始まっています。私はまだ続けているので後輩に贈る言葉ではありません。でも少し言うとすれば、私達3年がぬけるとチームの人数がとても少なくなり試合をするのもギリギリです。しかし、人数が少ないから勝てないとか、面白くないとかは思わないで下さい。人数で、面白いとか勝てないとかが決まるのではなくて、それを決めるのは自分達だからです。だから努力をおこたらず、頑張ってください。そしてあくまでもチームだから上下関係は必要ありません。サッカーをしている時は、仲間でありライバルです。仲間同士でもめることもあると思います。しかしそこを切り抜けて一段大きく成長して下さい。 

最後に、次のキャプテンの言う事をしっかり聞いて、従ってください。

「言葉は勇気」になれるか・・北海道滝川市いじめ遺書に思う

2006年10月03日 | いじめ問題
《言葉の力》
「言葉はつばさ」「言葉は未来」「言葉は現実」「言葉は夢」「言葉は~」みなさんもよくご存知だと思いますが、テレビで放映中のある新聞社のCMです。わが子が初めて「ママ」としゃべってくれたのを聞いた親は、「言葉は夢」とこたえるかもしれません。同じ人が「子育て大変そうだね。もう会社に来なくていいよ。」と社長からクビを言い渡されたら「言葉は刃物」と感じるかもしれません。言葉は人に勇気を与えることもあるし、人を傷つけることもあります。この新聞でも、先輩から後輩に贈る言葉の連載を始めました。これらの言葉を通じて、3年生は同級生の、1・2年生は先輩の思いに触れ、力をもらったのではないでしょうか。

《遺書を読んで》
10月3日の朝刊各紙は、昨年9月9日、教室で死を遂げた小学校6年生の少女の遺書を掲載しました。親でもある私にとって命を絶った子どもの遺書を読むのは、とてもつらいことです。しかしこの遺書を公表しなければと考えた保護者の無念の思いと教育への期待を考えると、この遺書からも私たちは言葉の持つ意味を学ばなければならないと思います。 死を選んだ小学校6年生は、殴られたり、蹴られたりといった暴力を受けていたのではありません。「無視」と「言葉」(キモイと言われた)でいじめを受けていたといいます。

「みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。」

みなさんはどのように読むでしょうか。この少女は、生きていれば中学1年生。みなさんと同世代で、ひょっとすればどこかで出会えたかもしれないのです。言葉は人の命を奪うこともあるのです。

《いじめの形態》
いじめには、暴力という非常にわかりやすいものもあれば、言葉・態度・無視・強要というように静かな形をとるものもあります。暴力という形をとって現われるいじめは、分かりやすく大人に発覚しやすいがために、指導が行われやすく、またいじめを行った側にも罪悪感があり、長期化するケースは少なくなります。しかし言葉・態度・無視といういじめは、大人には見えにくく、しかもクラスの多数を巻き込んでいることが多いため、いじめている側に罪悪感が薄いのが特徴です。またいじめを受けた側も、いじめの「証拠」を出しにくく、いじめが発覚するまでに時間がかかることもあります。

《いじめを解決できる学校・クラス》
いじめは私の子ども時代にもありました。私は、今思えばバラ色の子ども時代を送っていたように思いますが、それでもいじめに加わった辛(つら)い記憶と、いじめを受けた苦い記憶があります。しかし私の周りでいじめによる殺人や自殺が起こらなかったのは、クラスや子ども集団の中にいじめを解決できる力があったからだと思います。保護者のみなさんもまたそうではなかったでしょうか。自分の周りでいじめが無かったという人は、まずいないと思います。それぞれ違いはあっても、何とかいじめを解決してきたのではないでしょうか。

私は以前「中学校にはイジメがありますか」という小学生からの質問にこんな風に答えました。「イジメは上級生が教室に乗り込んで来ておこすのではありませんね。今みなさんが仲良くできていたり、誰かにイヤな思いをさせていなかったら、中学校になってもイジメはおこらないかもしれません。これから先、みなさんの間にイジメがおこるかどうか分かりませんが、イジメがあっても、生徒のみなさんと私たち職員とが力をあわせ、解決できる学校を目指しています。」

「いじめはありません」と言うから、いじめを隠そうとする気持ちが生まれ、真の解決が遠のくように思えるのです。

中学校見学会へ向けた小学生の質問と回答②

2006年10月02日 | 小中連携
小学生のみなさん、こんにちは。今日は東町中学校に来ていただきありがとうございます。私はこの見学会を準備しながら、みなさんが中学校へ寄せた質問を読ませていただきました。その質問を読むと、みなさんの中学校生活への期待と不安がよく伝わってきました。みなさんが書いてくれた質問はすべて書き出し、それに対する私なりの回答をいたします。

中学校生活の過ごし方は一通りではなく、十人いれば十通りの中学校生活があります。だから質問への回答は、テストの解答のように、これが○で、あれは×というものではありません。あくまでもみなさんの質問に対する私なりの返事と考えてください。みなさんの先輩にあたる生徒会の役員も、また彼らなりの回答を用意してくれています。みなさんはそれらを聞いても、ピンと来ないかも知れません。経験しないとわからないこともあるかも知れません。本当の答えは、入学した後、みなさんで出してください。

中学校見学会へ向けた小学生の質問と回答①

2006年10月01日 | 小中連携
Q 小学校と中学校で一番ちがう点は何ですか
A 小学校を卒業すると、中学校への進学が保障されています。北町と東町に住む皆さんは、全員が東町中学校へ入学できます。しかし中学校を卒業すると、その後の進路は自分で考えなければなりません。小学校が義務教育の入り口であるとしたら、中学校は義務教育の出口です。社会がみなさんに要求する教育は、中学校で終わるのです。義務教育というのは、①自分自身の将来の生き方を身につけると同時に、②将来の主権者にふさわしい知識と判断力を身につけるところです。そのため中学校を卒業すると、これらの力があると判断され、その後は義務教育9年間でつけた力をもとにして自分でその後の生き方を考えなければなりません。高校に進学するのか、就職して社会で働くのか、自分で自分の道を考えなければならないのです。卒業後の道を自分でつくる、それが小学校と中学校が一番異なる点です。