犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その21

2013-08-03 22:56:44 | 国家・政治・刑罰

 およそ現代の世の中で車を運転する際に、運転の上手・下手の問題とは別次元で、「自動車は人の命を奪う道具であることを一時たりとも忘れない」という認識を持ち続けられる者が存在するのか。この純粋な論理は、車社会において教条的であるに止まらず、物事を甘く考えすぎだとの不快感の対象ですらある。

 人の生命が地球より重いとして、いかなる行為をする際にも常に生命の重さを考えつつ、その原則に従って行動できる人間がいるのか。もし、厳密にこの義務を自らに課そうとすれば、人の精神は簡単に潰れる。生命の重さを前提にした反論不能の言説は、破壊的な力を持つからである。

 私はこれまでの仕事の経験の中で、この純粋な論理が炸裂する場面に何度か触れた。いずれも刑事事件ではない。労働事件において、運輸会社や運送会社の経営陣が、現場のドライバーの不手際を激しく叱責する場面である。そして、会社がいわゆるブラック企業であるほど、この論理の純粋さは際立っていた。

 「我々は常に人の命を預かっていることを肝に銘じなければならない」という真実は、低賃金で長時間勤務に従事する者の心に対し、破壊的な力を有する。勤務条件が過酷であればあるほど、この社会に通用しない真実は、反論できない者を容易に自殺に追い込むだけの悪意を伴うということである。

(フィクションです。続きます。)

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