犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

司法エリートの思考の枠組み

2008-03-20 20:26:13 | 言語・論理・構造
平成16年度 司法試験・論文式試験問題  憲法・第1問

13歳未満の子供の親権者が請求した場合には、国は、子供に対する一定の性的犯罪を常習的に犯して有罪判決が確定した者で、請求者の居住する市町村内に住むものの氏名、住所及び顔写真を、請求者に開示しなければならないという趣旨の法律が制定されたとする。この法律に含まれる憲法上の問題点を論ぜよ。
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/h16ronbun.html


予備校や受験団体による解説を見ると、概ね次のようなことが書いてある。問題となる人権はプライバシー権(憲法13条)であり、「宴のあと」事件判例(東京地裁 昭和39年9月28日)の正確な理解が不可欠である。この判例における3要件、すなわち①私生活上の事実であること、②知られることを欲しないという秘匿性、③未だ知られていないという非公知性を暗記していることは、受験生としての最低条件である。その上で、結論としては、このような法律は違憲無効と考えたほうが法律家としての資質を示せる。なぜならば、「二重の基準」における「厳格な合理性の基準」によって判断するならば、対象として刑務所で完全に反省した者まで含まれてしまうこと、情報化社会では請求者を絞ったところで全世界に漏れてしまうこと、氏名や顔写真を知ったところで犯罪を予防できないことを考えると、立法目的と手段との間には実質的関連性がなく、プライバシー権の侵害に該当するからである。

法曹界は、なぜ加害者のことばかり考えて、被害者のことは全く考えようとしないのか。上記の司法試験の問題、それに対する解説を見てみると、その理由が非常によくわかる。法曹界には法律を扱う人々が集まっており、このような問題を作る人も、解く人も、採点する人も、解説する人も、すべてある特定の視点で固まっている。まずは条文、そして判例の規範であり、文字通り「自分の頭で考えた答案」では永久に受からない。大前提として、人権論としてのプライバシー権の方向から見なければ憲法の答案にならず、性犯罪の被害を受けた女の子の心の傷の方向から見てしまえば、形式的に門前払いである。性犯罪の前科がある者に対する個人的な感情、倫理観はともかくとして、受験生は試験委員に対してリーガルマインドをアピールしなければならない。このような思考の枠組みに向いている人は合格して法曹界に入り、向いていない人はすぐに受験から撤退する(この私のことである)。

上記の司法試験の問題は、現在でも難問かつ良問であるとの評価が高い。いい答案を書くことが難しい。憲法学的にも非常に難しい。この難しさは、興味深い難しさ、悩むのが楽しい難しさであって、性犯罪を防止する難しさとは異なり、ましてや性犯罪被害者の心の傷の難しさとは異なる。人間を扱う法がいつの間にか人間から離れ、専門家のエリート集団が大多数の庶民を軽視する、これは犯罪被害者の見落としの構造と同じものである。国民がその真摯な倫理観から加害者を重く罰することを望み、被害者を救済することを望んでも、そのための法律を作るとなると、必ず司法エリートからダメ出しを食らってしまう。いわく、知識のない素人の戯言に付き合っている暇はない。法曹界はなぜ加害者の味方をして被害者に冷たいのか、このような問いを突き詰めて見るならば、答えはこの辺りの思考の強固な枠組みに求められる。

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