犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

結論先にありき

2008-06-21 21:08:38 | 言語・論理・構造
環境保護団体のグリーンピース・ジャパンのメンバーである佐藤潤一容疑者が、鯨肉入りの段ボールを青森市内の運送会社から無断で持ち出した容疑で逮捕された。佐藤容疑者は逮捕前、取材に対して、「不法領得の意思はなかったので窃盗罪は成立しないと考える」との見解を示していた。しかし、日本大学法科大学院の板倉宏教授は、「当然窃盗罪に当たる。告発のためといっても、何か目的があって盗んだということで、不法領得の意思が認められる。社会的相当な行為として違法性が阻却されることはない」と述べている。これに対し、龍谷大学法科大学院の村井敏邦教授は、「外形的には窃盗に当たるが、告発のためやむを得ずやったという行動が正当行為にあたり、違法性が阻却されるという議論はありうる」との見方を示している。

法解釈とは、客観的なものである。特に刑法は厳格な解釈が要求され、論理学のように正確でなければならず、人間の主観が混入してはならない。従って、グリーンピースの主義主張への賛否そのものとは関係なく、今回の犯罪の成否は独立したものとして考えられなければならない。そのような観点から、専門家は刑法235条(窃盗罪)や35条(正当行為)の条文を解釈し、過去の判例の類似点と相違点を検証し、法的な見解を述べる。それにもかかわらず、板倉教授と村井教授の見解は分かれている。この差異が生じる原因は何か。ここを突き詰めれば、最後はグリーンピースの思想に賛成か反対か、この点に行き着かざるを得ない。これは極めて主観的なものであり、個人の価値観・人生観に関わるものである。どんなに客観的な法解釈であっても、その客観性を裏付けるためにソースやデータを集めて理論武装する行為は、主観的でなければできないことである。知性のトップである大学教授でも、人間である以上、この点だけは逃れられない。

板倉教授は板倉教授の脳内において窃盗罪を成立させており、村井教授は村井教授の脳内において窃盗罪を不成立にしている。抽象名詞は、このような形でしか存在できないものである。人間の脳を離れて、抽象的な「窃盗罪」なる何かが存在するわけではない。社会科学の客観性は、自然科学の客観性に比べれば、はるかに主観的である。その意味で、法解釈の客観性とは、「結論先にありき」である。「罪になる」のではなく、「罪にする」と表現したほうが正確である。また、「犯罪が成立する」のではなく、「犯罪を成立させる」と表現したほうが正確である。数年前に自衛隊官舎へのビラ配りが問題になった「立川テント村事件」においても、刑法130条前段(住居侵入罪)の客観的な解釈の問題は、実際にはイラクへの自衛隊の派遣に関する賛否によって決められていた。その上で、罪になるとの見解も罪にならないとの見解も、お互いに「刑法は厳格な解釈が要求され、客観的でなければならない」と述べており、ますます話がわかりにくくなっていた。

近代文明は、人間の脳内の抽象名詞を絶対化し、人工物である法律の体系を構築した。言葉を細かくして、抽象名詞を沢山作ることによって、「それ」はこの世に存在するようになった。この意味で、どんなに罪刑専断主義を否定し、人の支配を否定しても、犯罪の成否を一義的に決定することはできない。法律学は客観性を至上命題とする社会科学であり、論理実証主義の手法を持ち込んで法実証主義を確立した。しかし、その語り得ぬ部分については、沈黙するのではなく、自然法論と天賦人権論によって語ってしまった。法実証主義と自然法論は相対立するものでありながら、実務的な法解釈の現場においては、両者が妙な形で組み合わされている。このような状況にある限り、法解釈には明確な答えは出ない。人間の脳内に言語が回っているだけの話だからである。従って、どんなに条文を細かく解釈しても、スッキリと決着がつくわけではない。現代社会はますます条文を細かくしすぎて使いこなせなくなり、右往左往するだけである。


グリーンピース部長 鯨肉窃盗罪「成立せぬ」 開き直り、専門家は「犯罪」 (産経新聞) - goo ニュース

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