p.73~ 「もし言葉が」
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が 一つの小石の沈黙を忘れている位なら
その沈黙の 友情と敵意とを
慣れた舌で ごたまぜにする位なら
黙っていた方がいいのだ
一つの言葉の中に 戦いを見ぬ位なら
祭りとそして 死を聞かぬ位なら
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が 言葉を超えたものに 自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために 歌おうとせぬ位なら
p.95~ 「カベと叫び」
ワルソーのカベをこわしたひとが ベルリンにカベをつくり
ワルソーにカベをつくった人が ベルリンのカベをこわそうとし
ヒトラーと叫んだ人が ケネディと叫び
ヒトラーと叫ばなかった人も ケネディと叫び
ケネディと叫ばなかった人は フルシチョフと叫び
どこにもカベをつくらず 何も叫ばなかった人は
カベに閉じこめられて 助けを叫ぶよりないのか
p.164~ 「空に小鳥がいなくなった日」
森にけものがいなくなった日 森はひっそり息をこらした
森にけものがいなくなった日 ヒトは道路をつくりつづけた
海に魚がいなくなった日 海はうつろにうねりうめいた
海に魚がいなくなった日 ヒトは港をつくりつづけた
街に子どもがいなくなった日 街はなおさらにぎやかだった
街に子どもがいなくなった日 ヒトは公園をつくりつづけた
ヒトに自分がいなくなった日 ヒトはたがいにとても似ていた
ヒトに自分がいなくなった日 ヒトは未来を信じつづけた
p.137~ 「大きなクリスマスツリーが立った」
キラキラ光っていて この世じゃないみたいにきれいだけど
これも人間がつくったものだよ
夜のあいだに大いそぎで ビニールテープを巻いたりして
時々ビリッと感電したりして
つくった人は寒くて寒くて きれいかどうかも分らなかったよ
キラキラ光っていて 永久に消えないみたいにまぶしいけど
いつかはこわしてしまうんだよ
すぐに新しい年がやってきて これもあっという間に古くなる
きれいなもののいのちは短いのさ
ほんのちょっとにぎやかな気分になって あとは夢のように忘れてしまうんだ
キラキラ光っているものは どうしてもどこかに影をつくる
影しか見えない人だっているんだよ 影のほうがいいとすねてる人だっているんだ
そんな人にかぎってほんとうは もっともっとキラキラと明るいものに
それが何かはよく分らないくせに もう泣きたくなるほどこがれているのさ
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谷川さんは昭和60年5月の著作の中で、「これだけ情報があふれ、危機にみち、人間のエゴイズムが複雑にからみあった現代の地球上の人間社会に、ひとつの全体的なヴィジョンを回復するなんてことは至難のわざだ」と語っています。詩が主観を通した万人に当てはまる言葉を獲得しようとするとき、情報と欲望の増大に伴う大量の言葉に飲み込まれれば、これは言葉そのものの危機に他ならないと思います。
この世には「詩」という名称があり、「詩」という形式があるがゆえに、詩ではないものが詩のような顔をしていることも多いようです。このことから、詩人の夢想というものが、現実から離れた夢想の意に捉えられがちだとも思います。しかしながら、形而上において詩的な言葉でしか説明できないような「そのもの」を語る行為が、形而下において真理を示す言葉でないわけがないですし、世の中を正しくする活動でないわけがないと思います。