犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

川上徹也著 『独裁者の最強スピーチ術』

2012-11-15 00:02:32 | 読書感想文

p.122~

 独裁者やカリスマになりたければ、聴衆の声が聞けるテレパシーを身につける必要がある。聴衆が一番聴きたいのは、自分が心の奥底で思っている言葉だ。心の奥底で思っているのだけれど、うまく自分で言語化できなかったり、口に出すのがはばかられるような言葉が聴きたいのだ。特に日頃から不満を抱え爆発しそうな状況になっている時、その効果は大きい。

 ヒトラーは、民衆の心の中にある「言いたいこと」「爆発しそうになっていること」「理想」を探しあて言語化することが天才と言えるほどにうまかった。ヒトラーはただ自分の思っていることを気ままに語ったのではない。ドイツ国民が心の奥底で思っている「願い」を語った。思っていながら、そんな「願い」はかなうわけないよな、と打ち消してしまうようなことを堂々と語った。


p.222~

 独裁者ヒトラーと橋下徹の演説・スピーチの手法には、共通する部分が多い。もちろん、それだけで「橋下が独裁者になる、ヒトラーになる危険性がある」というわけではない。もちろん時代が違う。そんなことが今の日本で本当にできるとは思わない。思わないけれども、頭の隅にはその懸念を常にもっておいた方がいい。たった1人の考えだけで、物事がすべて動いていくのは、危険であることは歴史が証明している。

 正直に告白しよう。私は橋下徹に期待している。大阪はもとより、日本の政治を少しでも変えてもらいたいと思っている。我々が政治家を評価する時、大切なのは「政策」でもないし、「実行力」でもない。彼や彼女が語る「言葉」なのだ。もし、橋下の政策や手法が気に入らないという政治家がいたら、ただ批判するだけではなく、対抗するだけの「言葉力」「スピーチ力」を身につけて、彼とは別の魅力的なストーリーを語ってほしいと思う。


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 橋下徹の演説とヒトラーの演説は似ていると言われます。ここから、橋下氏とヒトラーが似ているという推論がごく自然になされるのは、「言葉はその人そのものである」という言語の性質をよく表しているように思います。口が上手い、レトリックに長けているという評価は、通常は中身がないという評価を前提としています。しかしながら、これらは全く別の問題であり、中身があるかどうかは別に判定されるべき要素だと思います。むしろ、「口先だけだ」「騙されてはいけない」という警告それ自体に中身はないと思います。

 橋下氏とヒトラーの類似が語られる際には、「現在のところ民主主義よりも優れたシステムは発明されていない」ことを前提に、ヒトラーは民主的かつ合法的に独裁者となった事実が挙げられるのが通常だと思います。いわゆる「人類の苦い経験」と、なおかつ信じられるべき民主主義の可能性です。そして、民主主義は統治機構の原則論である以上、この話は必ず形式的になり、抽象論に流れ、庶民が日々苦しんでいる具体的な問題と乖離するように思います。これでは、橋下氏の演説に完敗するのは当然だと思います。