犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

本村洋、宮崎哲弥、藤井誠二著 『光市母子殺害事件』 その2

2012-11-12 23:58:52 | 読書感想文

p.196~

本村:
 個人的な感情はやはり薄れてきているのかもしれない。10年という時は長いです。いろんな記憶が薄れていきます。例えば、妻や娘の声を今聞いて、的確に言い当てられるかと言えば、自信がないです。
 少しずついろんな思いとか考えが変わってきたということもありますし、自分自身も1つの事件だけに固執するのではなくて、いろんな方と出会ったり、話をすることで、視野が少しずつ広くなっていったと思います。ですから、世間から感情が薄れているというふうに詮索されても仕方がないのかと。

宮崎:
 しかし、それがいけないことなんですかね。私は常々「被害者遺族が人生を享受するのは不謹慎である」とするような世の中は根本的に間違っていると思っているのです。

本村:
 2人の苦しみとか憎しみを僕はわかってあげられないかもしれないですが、2人の命をいかに無駄にせずに、社会に反映させてあげられるか……。僕も当然、いつか命が尽きていなくなります。事件から50年、100年と経ったときに、この事件をきっかけによくなった法律が残っていたりすれば本望かなと思って今活動や発言をさせてもらってます。

宮崎:
 それはそれで貴重な志だし、本村さんにしかできない事業だと思いますが、その目的達成のために、「普通の」暮らしが送れず、過度にストイックな人生を歩まなければならないとすれば、それは被害者救済のためにならないような気がするんだよね。運動は運動だし、それは人生のほんの一部でいい。ラディカルに言えば、被害者遺族という立場すら、本村洋という人間の一面に過ぎない。

藤井:
 ステレオタイプな被害者像をむさぼっているだけの社会では、とても大事なことだと思いますね。本村さんのご両親が以前「もう一度、結婚して家庭を築いてほしい」とおっしゃられていたことを思い出しました。


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 本村氏はこの対談において、自分が市井の会社員であること、普通のサラリーマンであることを何回も述べています。あまりに当然のことを繰り返さなければならないのは、社会の側が押し付けるステレオタイプの像が動かし難いからだと思います。これは、いわゆる死刑廃止に向けた活動が常時存在するイデオロギーであり、活動家におけるライフワークであることに否応なく対応させられている結果だと思います。そして、「人権派弁護士の苦しい闘い」は自由意思で選んだ結果の自己実現ですが、「被害者遺族の苦しい闘い」は常に脱出したいのにできない絶望であり、同列に並べられるものではないと感じます。

 本村氏は事件から9年経った頃、精神的に限界となり、犯罪被害者に関する講演活動を一切やめて仕事に集中したとのことです。この辺りも、死刑廃止論の政治的主張との違いが際立ちます。本村氏は事件以後、自分の生活を立て直すことに苦しみ続けているとのことですが、これは単純に事件と向き合うことでも避けることでもなく、イデオロギーの入り込む余地はないと思います。藤井氏は、本村氏の活動ではない生き様全般を評して、「生活者としての日常」と「被害者遺族としての非日常」の間を移動させられているのだと述べています。

 会社組織の中で給料を得るということは、組織に貢献しつつ自己の評価を高め、会社が抱える課題に積極的に取り組み、その職責を果たすことです。右肩上がりではない時代には、技術と専門性を持った汎用性の高い人間でないと生き残れませんし、社交性・コミュニケーション能力を高めるためには世俗的なものを軽視してはならず、話題が豊富であることが求められます。そして、会社人間にならず広く社会に目を向けると言っても、会社の利益を害してしまえば、社会人として失格との烙印を押されるのがこの社会です。ここにおいて、形而上の「命の重さ」との次元の差異による軋轢は避けがたいと思います。

 社会人が直面する厳しさとは、1つの失敗で責任者の首が飛び、あるいはリストラの嵐に翻弄されて人生設計が根本から狂い、あるいはパワハラで全人格を否定されて死の淵に追い詰められることであり、そこでは胆力と言われるところの精神力の強さが1つの指標になります。また、組織においては、リーダーシップのみならず調整力も備えていなければ、人望を集めるのは困難だと思います。このような世界を生き抜く難易度は、元少年が殺人を犯した後に反省して更生する難易度とは比較にならないほど高いと感じます。それでも、ある日突然妻子を殺される事実を前にすれば、社会の荒波も太刀打ちできないと思います。