犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

奥野修司著 『心にナイフをしのばせて』 (1)

2011-11-14 00:01:18 | 読書感想文
p.59~
(加賀美洋君:殺された被害者、くに子さん:洋君の母親、みゆきさん:洋君の妹です。)

(みゆきさんの独白)「普段、あの事件のことを口に出さないようにしておいても、法事などがあるとあらためてあの事件のことを考えさせられるでしょ? 思い出しても、普段なら生活の中で紛らすこともできるでしょうが、そういう日だけはできない。思い出したくないから母は倒れてしまうんです。母は言いませんでした? 自殺未遂したこともあったんですよ」。

 それを聞いたくに子さんは、呆然とみゆきさんの顔を見つめていた。そして、「憶えていないわ」と言った。すっかり遠回りしてしまったが、洋君が殺されてからの加賀美家を、くに子さんにかわってみゆきさんに語ってもらうことにした。

 母が憶えていないのも無理はないと思う。わたしだって兄のことを考えると、いまだに身体が震えてくる。母にすれば、自分の子供が殺されたのだからなおさらだろう。わが子がいつ死んでも親は辛いが、思い出が増えたら増えた分だけ辛さも増す。これはわたしが親になってからわかったことだ。15年も思い出があれば、普通の辛さじゃなかったと思う。わたしなら衰弱死していたかもしれない。

 それに母は、壁にぶち当たったとき、立ち向かっていくタイプじゃないから余計に辛かったと思う。そう考えると、母は自分が生きていくためには記憶を消すしかなかったのだろう。もちろん母が記憶を消すことができたのも父がいたからで、記憶を消したことで起きる問題は、父がすべて引き受けてきた。母にとって、記憶がないのは幸せなのかもしれない。


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 私は個人的に、大学の法学部や大学院で犯罪被害者について学ぶ際のテキストや副読本として、この本は絶対に用いられなければならないと考えています。解説で大澤孝征弁護士が述べているように、この本は「日本の法廷を変えた画期的な書物」だからです。そして私は、この本が法学部の教育過程で容易に用いることができない現実も痛いほど知らされています。この本の言葉の力は、確実に法律家のリーガルマインドを破壊するからです。

 法律家がプロの法律家である所以は、リーガルマインドを身に付けていることであり、それは具体的な事実を抽象的な規範に適用し、再び具体的な事実に戻る往復的な思考です。従って、人間の内面を掘り下げた小説はもちろんのこと、ドキュメンタリーやノンフィクションですら遠ざける必要に迫られます。被害者の存在が法的に忘れ去られ、ステレオタイプに扱われてきたのは、このような構造によるものと思います。