犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

伊藤真著 『伊藤真の民法入門』 『伊藤真の刑法入門』

2009-09-20 00:41:48 | 読書感想文
● 民法入門 p.10~11

法律を学ぶということは、イメージの修得だといってもいいくらいです。英語を勉強するときに「APPLEはリンゴだよ」と教わればすぐにイメージできます。それはわれわれがリンゴをみたことがあって知っているからです。しかし、民法をまったく知らなければ「危険負担は双務契約において問題となる」と言われてもさっぱりわからないでしょう。法律がわかるようになるというのは、危険負担といわれたら、「ああ、あの場面のあのことだな」とピンとくるようにすることなのです。

結局、民法の勉強は、抽象的な条文や制度をみたときに具体例が思い浮かべられるようにする、と同時に具体的な事例をみたときに条文や制度をみつけることができる。つまり、この抽象と具体の間を自由に行ったり来たりできるようになることが目標です。


● 刑法入門 p.123

法曹実務では、罪数のところが大事なポイントとなります。たとえば、被害者に向かってピストルを撃って被害者が死んでしまったという単純な殺人罪1つを例にとってみても、分析的・理論的に考えるとその中にはいろいろな犯罪が成立していることがわかります。

具体的には銃を準備した段階で一応殺人予備、狙いをつけた時点で殺人未遂、銃口から飛び出した弾が被害者のかたわらまで近づいて来てあぶないという状況になると暴行罪、そして服に穴を開けた時点で器物損壊罪、そして体に触った時点で傷害罪、そして人の命がなくなった時点で殺人既遂ということになります。1発、バンと撃っただけで殺人予備、殺人未遂、暴行、傷害、器物損壊、殺人既遂、それだけ成立しています。しかし、通常それは殺人既遂の1罪で終わってしまいます。


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法学部に入学してすぐの頃、これらの本を読んで「目から鱗が落ちた」瞬間の感動は、今でも鮮明に思い出せます。そうだったのか。殺人罪が成立している時には、本当は殺人予備罪、殺人未遂罪、暴行罪、傷害罪、器物損壊罪も成立しており、混合的包括一罪になっていたのか。この分析的・理論的な「客観的真実」を知った私は、その客観的真実を知らない一般人に対して、とてつもない優越感に浸っていました。そして、客観的・物理的に成立している真実を見抜く力がある法律家は、それを見抜く力のない法律の素人よりも優れており、専門家たる者が無知な大衆の感情などに左右されてはならないと当然のことのように思っていました。

もちろん、これは私自身の未熟さと拙速さ、頭の悪さによるものであり、他の人は「目から鱗が落ちた」経験をしているのか否か、私にはよくわかりません。しかしながら、被害者が何かを語ればすべて「被害感情」となり、マスコミや世論が被害者に感情移入して厳罰を叫ぶ事態は憂慮すべきであり、法律家が素人のように感情に引っ張られることは恥ずかしいというのが法曹界の主流の思考方法であるならば、「目から鱗が落ちた」経験をしている人は、かなりの多数派なのかも知れないと想像します。それは、私の個人的な経験からすれば、目に別の鱗がついてしまい、しかも最初よりも視野が狭くなってしまった状態ではないかとも思います。