犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

野矢茂樹著 『論理トレーニング』

2009-09-11 00:52:31 | 読書感想文
この本は、法科大学院の適性試験対策のテキストとして、受験生に広く用いられていました。「旧来の知識偏重型の試験から自分の頭で考える試験へ」という新制度の目的に合致する内容だったからです。法科大学院制度も7年目に入りましたが、今年の新司法試験の合格率は27.6%と初めて3割を切り、過去最低を更新しました。今年の不合格者は実に5350人にも及び、受験生の不安は増す一方で、結局は受験予備校が隆盛するという形に戻ってしまったようです。どんなに偉そうな能書きを並べても、高い学費と膨大な時間を費やした挙句に不合格では、理論と実務の融合も新時代の法曹養成もヘッタクリもないということです。

試験の合格・不合格は、それが重要な試験であればあるほどその後の人生設計が異なってくる以上、人生そのものを人質に取られることになります。ゆえに、入学試験・資格試験・就職試験を問わず、自分の本音はとりあえず抑えて、出題者から求められていることを答えるのが試験だということになってきます。下記の引用の1段目は、野矢氏が小論文の受験参考書の模範解答を引用した部分であり、2~3段目は野矢氏がそれを強烈に皮肉りつつ小論文試験の害を述べた部分です。そもそも「自分の頭で考える試験」というものが背理を生じるのであれば、この本が法科大学院によって推奨され、しかも法科大学院制度が早くも破綻を来たしている現状は、落ち着くところに落ち着いただけなのかも知れません。


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p.166~

「世界中どこへ行っても必ず日本の若者がいる、と言われて久しい。出かけた先での風評の第一が、日本の若者は自国の文化を知らない、ということ。第二に、マナーの悪さだ。海外に出ることは、悪いことではない。島国に住む日本人が、異国の文化に触れ、現在の日本のあり方を考えることは必要なことに違いない。だが、ショッピングに狂奔し、観光地を落書きで汚して帰る実情では情けない。真に外国を知るには、まず自国の文化を知ることから始まる。日本には、世界に誇れる文化財があるのだ。それに無関心でどうして他国が理解できよう。教養の根本は、自国文化の理解にあると思う。精神的豊かさもそういう理解の上に成り立つのではないか。また、旅の面白さは自分で見、自分の頭で考えるという主体的姿勢から生まれる。いわゆる『パック旅行』は旅ではない。技術の進歩が物質的豊かさを生み出した反面で、肝心な人間性を貧困にしている現状を我々は今こそ、考え直すべきである」。

これは、受験参考書に示されていた小論文の入試問題に対する模範解答をそのまま引用したものである。そしてその問題とは、「『本当の豊かさについて』、『技術の進歩』、『使い捨て』、『旅』、『家族』、『文化財』という語句のうち、少なくとも3つを使用して、400字程度にまとめよ」という趣旨の問題であった。なるほど、このような問題に対してはこのような解答が「模範解答」なのかもしれない。だが、この文章を論文的叙述として評価してみたい。まずなによりも、相手に何を伝えたいかが不明確である点が指摘できる。つまり、全体としてもっともなことを主張していることに自己満足し、他者に対する感受性の欠如を示している。そして、もっともなことを言っているという安心感が、緊張感のないだらしのない論述を生み出してしまっている。

このようにとってつけたような穏当な結論をつけて「よい子」ぶりを示さねば点が取れないのであれば、小論文試験は多大な害を与えていると見るべきだろう。この模範解答は、採点者を読み手として想定し、与えられた語句を強引にもこなしつつ、「本当の豊かさについて」といういかにも常識的結論を求めるような論題に答えるものであるために、まさにそれにふさわしいものとなっている。そして、「もっと自国の文化を知ろう」、「もっと旅行のマナーをよくしよう」、「もっと主体的な旅行をしよう」と、虚しい正論をほとんど論証の構造をもたないままに並べ立て、最後に「物の豊かさから人間性の豊かさへ」と鼻白むような結論をとってつけて終わる。しかし、いったい、「技術の進歩が人間性の貧困をまねく」というのは本当なのか。もしそうなら、どうしてそうなるのか。