犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

黒柳徹子・鎌田實著 『トットちゃんとカマタ先生の ずっとやくそく』

2008-01-18 17:51:00 | 読書感想文
「アインシュタイン、エジソン、黒柳徹子」という言い回しがあるらしい。共通点は、子どもの頃、周囲からLD(学習障害)と呼ばれていたことである。黒柳さんは昔から分数が全くできず、今でも二桁の計算ができないが、興味を持ったことは天才的な能力を発揮する。それが長寿番組『徹子の部屋』や、ユニセフの親善大使の活動につながっている。

大ベストセラーになった『窓ぎわのトットちゃん』の象徴的な場面として、次のような一節がある。通常の小学校に適応できずに退学になった黒柳さんは、トモエ学園の入試を受けに行った。校長の小林先生は、「さあ、何でも話してごらん」と言い、黒柳さんは話すことがなくなるまで4時間も話し続けた。その間小林先生は、一度も書類を見たり電話に出たりせず、ずっと身を乗り出して聞いてくれた。黒柳さんは「この大人は信頼できる」と思い、結果的にそれが人生の大きな転機になった。

鎌田實さんは、イラクなどへの医療支援を行っている医師であるが、黒柳さんのこの話を受けて、次のように述べている。「話したいことは何でも話して、聞きたいことを聞いてください」という医師が増えてほしい。患者という人間ではなく、病気にだけ興味がある医師は、患者の話を聞くことができない。そして、患者にはそのことが非常によくわかる。

黒柳さんも鎌田さんも、「難しいことはよくわからない」と公言しつつ、次のような結論で一致している。最近の日本では、すべてがお金に換算されるようになってきた。しかし、いつの時代にもお金では買えないものが必ずある。日本では、子どもたちが生き生きとしている姿を見ることは少なくなった。これに対して、日本よりずっと貧しく、大変な環境で生きている国の子どもたちのほうが目を輝かせている。日本のGDPは高いが、「幸せと感じる比率」は低い。この国の歯車はどこかで狂ってきた。自分たちの国づくりは間違っていたのではないかと考えさせられる・・・

言い古されたことではある。しかし、言い古されているということは、忘れられていないということであり、実際には少しも古くなっていないということである。日本という豊かな国で、今年も考えられない事件が次から次へと起こり、日本人からはそれらを考える余裕すら失われている。専門的な知識が説得力を失う中で、最後に説得力を失わないのは、人間として善悪の判断を自分自身で見極める者の語る言葉である。法律をどんどん細かくしても一向に世の中が良くならないのであれば、ベクトルが違っていることに気付いたほうがいい。