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犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

栃木県鹿沼市・クレーン車事故 (後半)

2011-04-28 23:57:41 | 時間・生死・人生
(前半から続きます)

 息子や娘を学校に見送ったその日から、両親はなぜこのような悲しい思いをしてまで生き続けなければならないのかという根本的な問題を突きつけられ、それは人間存在の意味に関する解答不能の問いであるにもかかわらず、立ち直りや乗り越えが一般的な解答として固定化している言語空間においては、問いの所在が理解されず、辟易して口を閉ざす事態が生じるように思います。
 人生は一度しかないという哲学的真実は、一度しかない人生なのだから前を向いて立ち直ったほうがよいという結論を呼び起こしますが、同時に全ての人生は一度しかない人生である以上、一度しかない人生を幼くして終えてしまったことの意味にも直面せざるを得ず、幼くして終えてしまった人生にも意味があると言われればその程度の意味に価値はなく、幼くして終えてしまった人生に意味はないと言われれば遺された者が前を向けるはずもなく、どちらに転んでも行き止まりであると思います。

 息子や娘を学校に見送ったその日以降、両親に対しては1日も早い立ち直りを求める善意の声が寄せられ、明るく生きなければならないのだと思って世の中を見渡してみると、何の事件にも事故にも災害にも巻き込まれずに明るく生きている人は享楽的かつ刹那的に人生の時間を浪費しており、世間はバカバカしい出来事にもあふれており、両親は立ち直ることの無意味さと軽さと気楽さに打ちひしがれざると得ないと思います。
 人は命があるだけで十分なのだと訴えたくても、世の中はそのようには動いておらず、生死に比べれば些細な問題が大半を占め、それに対する不平不満で世間はあふれており、ゆえにその程度の問題で大騒ぎできる人々に嫉妬し、しかも嫉妬といった人間の感情を直視する繊細さも身につけ、要するに人は幼い子供の突然の事故死の重さを受け止めたくないのだと悟るとき、立ち直りは死の軽さに加担することなのではないかとの疑問も避けがたく生じるものと思います。

 息子や娘を学校に見送ったその日から、なぜか自分の息子と娘の時間だけが止まり、普通に生きている他の同級生は小学生から中学生になり、高校生になり、成人式を迎えるという紛れもない現実の中で生きていくしかこの世で生きる方法がないとなると、何の罪もない同級生が憎らしく思われ、しかもそのような深い部分の感情は他人には理解不能であると知り、同時に自責の念も呼び起こし、両親の苦悩と葛藤は尽きないことと思います。
 新聞では明るい記事から目を逸らし、人の死や悲惨な事故の記事を探し、特に幼い子の死の記事を見ては心を痛めながら安心し、両親はこの複雑な心情は大抵の場合には誤解を受けるため口外することをせず、無理に明るく振る舞っては絶望のどん底に落ち、逆に明るく振る舞わなくても絶望のどん底に落ち、一度立ち直ったと思われればそれを撤回できなくなる圧力も感じ、苦しみが一生続くというのは終わった過去を引きずることを指すのではなく、日々の苦しみが新たに生まれる現実を指すことを知らされるのだと思います。

 息子や娘を学校に見送り、最も大切なものを失ったことにより、人は富や財産、名声や名誉といった世の中の多くの喜びが無意味であり、その価値が自分にとっては悲しみや苦しみでしかない現実に直面させられるはずですが、これは世間的な価値観に反しており、ひねくれ者、変わり者とのレッテルを貼られて社会生活に支障を生じないため、今後何十年と続く日常生活は、世間で生きるための演技の連続にならざるを得ないと思います。
 1人の人間に経験できることはほんの一握りであり、人には経験のできないことは想像するしかなく、しかも想像できないことはできないと認めるしかありませんが、世間はそれを認めない多数の人間で動いており、富や財産、名声や名誉に無上の価値を置いているため、その価値の押し付けは苦悩をもたらし、しかもその程度の価値を受け入れてしまえば幼くして終わった人生があまりに惨めで憐れであり、その人間存在が可哀想でたまらなくなる以上、両親は世間的な価値から逃避し、不幸な人生を希望する以外に選択の余地はなくなるものと思います。

 上記のことを、刑法学では「被害者遺族は感情的に運転手の厳罰を叫ぶ」と言います。

栃木県鹿沼市・クレーン車事故 (前半)

2011-04-27 00:36:01 | 時間・生死・人生
 4月18日午前7時45分頃、栃木県鹿沼市樅山町の国道293号線で、登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込み、9歳から11歳までの6人の小学生が亡くなりました。その日、自宅の玄関から息子や娘を学校に見送ったであろう両親の今後の人生を勝手に想像し、夢も希望もないことを書きます。

 息子や娘を学校に送り出したその瞬間の光景は、目に焼き付いて忘れられるはずもなく、絶対に忘れたくもなく、しかしその瞬間が永遠の別れでもあり、心療内科的にはトラウマやフラッシュバックを引き起こす要因に位置づけられ、どちらに転んでも出口がない地獄だと思います。
 息子や娘が学校からある日ふと帰ってくるかも知れないと一瞬錯覚しても、次の瞬間には現実に破れ、せめてあと一度だけでも会いたいと思っても叶わないことは繰り返し承知させられ、この現実が現実であることを他人に伝えようとすれば気が狂ったと思われ、両親は面倒臭くなり何も言えなくなることと思います。

 息子や娘を学校に見送ったその日から、両親はそれ以前の自分ではなくなり、その前日までとは全く違う人生を歩むことになり、しかもそのような人生を歩むことは誰に強いられているのでもなく、今まで通りの人生を平然と歩むこともできるのだという人間の自由が、解決不能の問題を人間に突きつけるように思います。
 これに対する解決は、息子や娘が生きていることだけであり、それ以降は夢を見ている状態であり、従って両親の自分史はその日を境に書き換えられざるを得なくなるはずですが、その事実は息子や娘の自分史はその日で終わったのだという現実を明らかにすることでもあり、どう頑張っても最後のところは絶望に至るのだと思います。

 息子や娘を学校に見送ったその日で時間が止まり、これ以上の悲しみはないという悲しみの前には他のことは何も怖くはなく、ましてや世間では時間は流れているのだという常識から外れることなど怖くも何ともなくなり、しかもあの日で時間は止まっているのだと言明するや、世間からは同情を寄せられ、両親において信じられることは何もなくなっていくように思います。
 伝わらない人には何を言っても伝わらず、見当違いの反応に疲れ果て、その結果として自分の感情すら漠然として掴みどころがなくなり、結局は「なぜ自分の人生はこのようであるのか」という問いの周囲を回り、自分の人生は自分の人生である以上すべてを1人で背負うしかないという答えに突き当たり、出口がなくなるように思います。

 息子や娘を学校に見送ったその日から、息子や娘は家におらず、学校にもおらず、息子や娘は今日もおらず、明日もおらず、明後日もいないという現実が現実として繰り返し確認され、存在は不在によって際立つ以上、不在も存在によって際立ち、毎日毎日が不在の確認であり、それが人間の新たな絶望と苦しみを生むように思います。
 この不在は一瞬一瞬の不在であり、従って過去になることはなく、すべての現在において現実化していますが、世間的な感覚には反しており、暗いニュースは過去のことにしたい、終わったことにしたいという圧力は非常に強く、本来であれば余計なことに使う労力が増え、それによって手放してしまった一瞬の言葉は永久に戻らなくなるのだと思います。

(後半に続きます。)

ニュージーランド地震

2011-03-28 00:03:03 | 時間・生死・人生
 2月22日に発生したニュージーランド・クライストチャーチの地震で、日本人の死者は25人、行方不明者は3人となりました。1人の死は悲劇ですが、25人の死は統計です。そして、25人の死は悲劇ですが、15,000人の死は統計です。ニュージーランド地震の報道が東北関東大震災の報道に取って代わられたことは、あくまでも報道する側の事情です。どんなに人の死が統計上の数字となっても、それは悲劇である1人の死が集まったものであり、その死の周囲には世界一不幸な人間がその数だけいるのみだと思います。

 東北関東大震災が起きるまでの間、この地震の報道について、私が感じた3つの点がありました。1つ目は、このような災害は「お涙頂戴の悲劇」の枠にはめられるという点です。人は、明るく楽しいニュースを好むものであり、しかも他人の不幸に蜜の味を覚えるものだと思います。そして、直視できないような酷い現実については、それを対象化して悲しむ者と一緒に悲しむ立場に自分を置くことにより、罪の意識を免れることができるのだと思います。
 亡くなった方は何が好きだった、どんな夢を持っていた、それが突然の地震により断たれた、という形で死が美化されると、見る側はひとまず安心することができます。やり場のない気持ちに足場が与えられ、混沌とした感情に向き合う必要がなくなり、日常生活への支障が避けられるからです。こうして、ニュージーランドの悲劇は、テレビを通じて、日本ではある種の娯楽性を帯びていたように感じます。この娯楽性は、キャスターの無理に作ったしかめっ面に象徴されるものと思います。

 私が感じた点の2つ目は、人はこのような災害から「明日は我が身」と考えて、教訓を得ずにはいられないということです。「お涙頂戴の悲劇」を一緒に悲しむことについては、やはり人は偽善であると心のどこかでわかっていますので、そこから逃れようとするのだと思います。他方で、人は生産性のある議論を求めて、被災者の死を無駄にしないための具体的な議論を始めざるを得なくなるのだと思います。
 民放の報道番組では、ニュージーランドの地震の話が、いつの間にか東京直下型地震の話に変わっていたのを記憶しています。おどろおどろしいBGMとともに、CGで首都圏が壊滅した状況が展開されていました。シミュレーションによると、首都圏の死者は最大で13,000人だそうです。このような報道の根底にあるのは、やはり人間の単調な欲望(金銭欲)だと思います。欲望の追求のためには、地震などで命を落としている場合ではないからです。

 私が感じた点の3つ目は、人は天災の中にも人災の要素を見つけ、「このような事態は避けられたはずである」ことを論証し、責任者を探さずにはいられないということです。エゴイズムが飽和した社会においては、やり場のない怒りに対してはやり場を見つけなければならず、「私はこう思う」という賛成・反対論以外は存在しにくくなっているのが現状だと思います。こうして、人の死は悪となり、話はわかりやすい善悪二元論に収まります。
 カンタベリーテレビビルの倒壊については、クライストチャーチ市に責任があるのか、ビル所有者に責任があるのか、といった議論が日本でも起きかかっていたように思います。そして、このような責任者の糾弾が行われてきた逆効果として、何とかして人災の要素にすがりたい被災者の家族に対し、「被害者エゴ」「賠償金目的」という下司の勘繰りが行われ、人の死に対して本来的な敬意を払わない意見も増えてきたように感じられました。

 以上の3つの点は、東北関東大震災の報道では、全く見られないものです。悲劇の要素は全くなくなり、死者・行方不明者の数は統計上の数字となりました。それと同時に、ニュージーランド地震を遠い昔のこととして忘れ去ったように思います。

将棋棋士・谷川浩司さん 『がんばりすぎずに』より

2011-03-23 23:39:29 | 時間・生死・人生
朝日新聞 3月22日朝刊  震災関連連載より
 
 救助を求めておられる方の身の安全を、まず第一に願います。復興ということまで考えられるような状況ではないと思います。そのうえであえて、阪神大震災で被災した私の経験から言えば、これから長い長い闘いになる。あのとき、ちょっとの差で生死が分かれた。人間は本来、平等であるはずなのに、なぜ自分は無事だったのか、今も答えが出ません。

 被災された皆様には「がんばってください」ではなく、「がんばりすぎないでください」と申し上げたい。気力だけで乗り切れる期間は限られています。一歩ずつ、少しずつ。そんな気持ちが大事ではないでしょうか。


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 哲学者・永井均氏の『子どものための哲学対話』に、次のような一節があります。
 「将棋をさす仕事とか、存在する意味があるのかな? そんな仕事、なくてもいいんじゃないかって思うんだけど?」「それは違うよ。人間は遊ぶために生きているんだからね。高度な水準に達した人のために役立つような、将棋のさしかたを示してくれる人が、必要になってくるんだよ。」

 いつまでも落ち込んではいられない、暗い気持ちを何とか和らげたいという希望は、容易に強迫に転化するものと思います。この余裕のなさは、「この震災の大変な時に小さな盤の上で駒を動かして遊んでいる場合か」といった視線につながるものと思います。私は、谷川氏の凝縮された言葉を読み、同氏は狭い将棋板から無限の宇宙に通じ、その宇宙から地球に通じ、その上の日本列島に戻ってきているような、そんな感じを受けました。

昨年の自殺者、平成14年以降では最少

2011-01-09 00:41:37 | 時間・生死・人生
1月7日 産経ニュースより

 警察庁が7日まとめた自殺統計の速報値では、昨年の自殺者は3万1560人で、前年より1285人(3.9%)減った。平成10年から13年連続で3万人を超えたが、過去10年では2番目に少なく、平成14年以降では最少となった。
 政府が自殺防止キャンペーンをした翌月の4月、10月に自殺者が前年同月より1割以上減り、効果があったことがうかがわれた。ただ、11月には逆に同1割増加。不況の長期化や政治不信の高まりもあり、減少傾向に転じたとは言い切れず、異常な状況は続いている。


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 自殺者の減少は、国民全体の願いです。昨年の自殺者数が一昨年よりも減少し、平成14年以降最少となったことは、非常に喜ばしいことであり、絶望の中の希望でしょう。そして、そのように言ってしまった瞬間の虚しさは、言葉に表現できないものがあります。自殺防止キャンペーンの効果を上げたいという政府の側から見れば、死者はその足を引っ張った不届き者ということになります。

 どの自分にとっても、その自分と他人とは別人である以上、他人の気持ちはわかりません。その中でも、人が電車に飛び込もうとする直前の気持ち、人がビルの上から飛び降りようとする直前の気持ちというものは、そのわからない中でも最もわからないものに属し、想像を絶するものだと感じます。これはもちろん、自殺など一度も考えたことのない幸せな人が「命を粗末にするなど理解できない」と語る意味のわからなさではなく、理解しようとすればするほど逃げるという種類のわからなさです。
 これは第一に、言語が凝縮された瞬間は、それに伴う行動が言語によってもたらされているにもかかわらず、言語化できないことによるものと思います。人が「死にたくない」との叫びを上げつつ死ぬことが不幸や絶望なのであれば、「死にたい」と叫びつつ死ぬことは幸福や希望となるはずですが、さらにそれが反転して不幸や絶望と評される以上は、この間の論理は飛躍せざるを得ないからです。第二に、生き残った者は死者に対して質問することができず、その瞬間の気持ちは時空間から永遠に消えてしまう点が挙げられると思います。その結果として、ある者はその瞬間を追い求めて永遠に苦しみ、別の者は「死人に口なし」で得をします。

 私がこのニュースを聞き、自分自身の心情を観察してみて偽善的であると感じたのが、「平成14年以降では最少」という部分の論理を捉えた瞬間の心の動きです。自殺者が年間3万人を超える状況が11年続いた、12年続いたという物事の捉え方に慣れてしまうと、人の死は単なる統計となります。そして、政治的主張の論拠として利用されざるを得なくなります。私自身、現代社会の殺伐、荒廃、余裕のなさを糾弾する文脈において、「毎年3万人もの人々が自ら命を断つ社会」と考えているところがあります。
 そうだとすると、現代社会の異常性を非難し、政府の無策を批判する文脈においては、それを裏付けるデータがなければならないということになります。私が自らの偽善性から逃れられなくなったのがこの点です。私は人身事故で電車が止まることを「迷惑」だと断じて恥じない人々を内心で非難し、その考え方が自殺者を増やすのだと考えてきました。しかしながら、そのような考え方を非難するに際してさえ、「毎年3万人もの人々が自ら命を断つ社会」の論拠は必要であり、3万人を下回ったならば、その論拠は正当性を失うことになります。

 私はこれまでの仕事において、裁判所側と弁護士側の双方の立場から、過労自殺、いじめ自殺などの事件に接してきました。その結果として、人は自ら選ぶ死を前にして遺書を書くことはできず、たとえ書いたとしても正確に書くことは不可能であるという当たり前の結論を再認識しました。この問いは、突き詰めれば明治36年に華厳の滝に飛び込んだ藤村操の『巌頭之感』に通じるものだと思います。「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く不可解。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る」という有名な一節です。
 但し、証拠によって事実の有無を決する裁判制度においては、被告の行為(長時間労働・いじめ等)と自殺との因果関係の有無という形で問いが立てられるため、自殺という哲学的問題を含む問題の議論としては、必然的に的外れになります。確かに、現代の遺書は藤村操の煩悶のレベルには及びません。それだけに、膨大な情報を処理し切れず、他律的に人間の価値を下げられ、その存在を構造的に値切られ、人生に生きる価値はないとの結論を強制されて死を選ぶしかなくなる過程は、厭世的になる余裕すら与えられず、人間が人間であるがゆえの絶望であると感じます。

 大学時代のゼミで、人間と人間以外の動物との違いは何かという議題が出されたとき、ある学生から「自殺をするかしないか」という解答が出て、今でも妙に印象に残っています。その当時は、脳の発達の程度の差がそれに伴う行動の違いをもたらすのであり、自殺もその1つに過ぎないのだから、現象(自殺)よりも本質(脳)のほうが論理的に先ではないかとの感想を持っていました。しかしながら、考えれば考えるほど、この答えの恐ろしさに気付くようになってきました。
 過労自殺やいじめ自殺の死者は、自らの生命の重さをもって論理の筋を示し、しかもその筋は遺書には書くことができず、自分を自殺に追い込んだ者の倫理への信頼をもって死とします。ところが、彼を自殺に追い込んだ者は、彼が遺書の不存在または不正確性をもって、自殺の責任を負うことを否定することが可能です。その結果、遺族の最大の苦しみは、死に至る瞬間の絶望を想像して哲学的に苦しむことから、裁判に勝つための証拠を探して法的に苦しむことに変わります。私は裁判所側の仕事においても、弁護士側の仕事においても、自殺の推奨ばかりしてきたような気がします。

交通事故死者数が10年連続で減少

2011-01-06 00:04:37 | 時間・生死・人生
1月5日 Car Watch ニュースより

 警察庁は1月2日、平成22年の交通事故死者数を発表した。発表によれば、平成22年は57年振りに4000人台まで減った平成21年から、さらに1.0%減少(-51人)し、4863人となった。
 交通事故死者数はここ10年連続で減少しており、発生件数、負傷者数も6年連続で減少している。死者数が減少している主な原因としては、「シートベルト着用者率の向上」「事故直前の車両速度の低下」「悪質・危険性の高い違反に起因する事故の減少」などとしている。


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 交通死亡事故の減少は、国民全体の願いです。昨年の交通事故死者数が一昨年よりも減少したことは、非常に喜ばしいことであり、絶望の中の希望でしょう。そして、そのように言ってしまった瞬間の虚しさは、言葉に表現できないものがあります。交通事故死者を減らすという数値目標の側から見れば、死者はその足を引っ張ったこととなります。

 上記のニュースは、最も死者数が多く「交通戦争」と呼ばれた昭和45年と比較すると、死者数は約3分の1に減少したと述べています。私は、良いニュースだという常識論に流されそうになりながら、昭和45年には自分はこの世に生まれていない事実を思い出し、そこで辛うじて踏みとどまります。
 ある人がある時にこの世に存在していないのであれば、それは死の状態と同じです。そして、交通死亡事故はその中に死を含む以上、それを語ろうとするならば死の側から存在を語らなければならず、それを語らなければ人の命の儚さについて何も語ることはできないように思います。その意味で、前年比の増減という捉え方は、物の見方を既成概念の枠にはめる弊害があると感じます。本来、人の死に関する問題は、進歩や解決があってはならず、変化や進展もあってはならないからです。

 交通死亡事故によって死者の人生は消え、時間も止まります。そして、遺された者の人生は消え、時間も止まります。この人生の消え方、時間の止まり方の違いに直面することが「存在の謎」そのものであり、この生まれることと一体となった死を問わなければ問いを問うたことにはならず、しかも「人は生まれてきたからには必ず死ぬ」という当たり前の結論が答えではなく問いとなり、絶句は絶句として示されるしかないように思います。しかしながら、この沈黙はマスコミの報道にはなり得ず、代わりにデータによって覆い尽くされるしかないようです。
 「交通事故の死者が1人でも減ってほしい」というのであれば、現に昨年は一昨年よりも51人も減ったのですから、政策的には目標を達成したことになります。しかし、これでは何も言っていないに等しいのが死者の生命であり、生まれて生きて死ぬ人間の存在のあり方です。前年比1%の減少では少なすぎる、今後は5%も10%も減らさなければならないと語れば語るほど、この話は「その程度の話」で終わります。そして、データで示される政策論としては、その先の話は無理だと思います。「安全運転しましょう」で終わりです。

 誰もが交通事故で明日死ぬかもしれないという恐るべき真実は、警句として十分に流布しています。しかしながら、これは真実が真実であるがゆえに聞き流され、数値やデータによる政策論の論拠としての意味しか持たなくなっているように思います。死者が5000人台から4000人台にまで減ったのであれば、次は3000人台を目指すというのが経済社会における常識論となるはずだからです。
 自動車は経済社会の必需品であり、ある程度の死者の発生はやむを得ないというのが国民の総意として強制されています。また、自動車を運転しない人であっても、バスやタクシー、宅配便やトラック物流の恩恵を必然的に受けており、その限りで「我々は人命第一の社会を生きていない」という前提を共有しています。そこでは、「交通事故の死者がゼロになって欲しい」という願いは実現性のない標語のようなものであるという前提も共有されています。この自己欺瞞を見失った政策論は、言い知れぬ虚しさが増すばかりだと思います。

 昨年末には、福岡県太宰府市で乗用車が池に転落して生後6か月の赤ちゃんを含む7人が亡くなり、東京都大田区田園調布では乗用車が歩道に乗り上げて6歳と9歳の男の子が亡くなり、三重県四日市市の踏切で乗用車が自転車を踏切内に押し出して2人が電車にはねられて亡くなりました。そして、マスコミは死者の生前の美談を語り、夢を断たれた無念さと悲惨さを語り、視聴者は感情を煽られます。そして、実際には何も語られていません。
 それでは何が語られるべきであるのか、語られるべきことは何かと問われれば、私は何も答えを持ち合わせていません。消去法によって、お涙頂戴の感情論が真っ先に切られるだけです。いずれにしても、私は近しい人を何人か交通事故で亡くしていますが、今のところ最愛の人を交通事故で亡くしたという経験がありませんので、この問いの所在を問いとして問う意味を正確に理解することができていません。語る資格がないと思います。

弁護士同期会の忘年会の光景

2010-12-14 00:01:20 | 時間・生死・人生
 1年間に3回も海外旅行に行ったという自慢話が出て、一同の素直な羨望の視線が集まる。法曹人口が急激に増え、個々の弁護士の仕事が減っているご時世に、なぜそんな余裕があるのか。その答えはすぐにわかった。交通死亡事故の被害者遺族側の訴訟代理人を3件も務めていたからである。一同の羨望がさらに強くなる。
 交通死亡事故の被害者遺族側の代理人とは、高額な弁護士報酬を保障する地位の別名でもある。交通事故の加害者側には付きたがらない多くの弁護士も、被害者側にはすぐに付きたがる。それは、賠償金が加害者側の保険会社から被害者に直接支払われるためである。弁護士報酬は、その賠償金の中からの割合で計算されるため、これは確実に売上げとして計算に入れることができる。
 しかも、負傷事故に比して、死亡事故は賠償額が桁違いに高い。それは、いわゆる赤本のライプニッツ係数の計算式により逸失利益が高額とされ、さらに慰謝料が高額に設定されているからである。業界の中では、俗に「交通死亡事故を1件取れれば1年間は食っていける」と言われるゆえんである。実際に経費を計算してみると、確かにそのような感じになる。

 3年前、彼が弁護士になりたての頃、この「死亡事故1件で1年食える」とい言い回しを初めて聞いたのも、同期の忘年会の席であった。彼の同期の弁護士が、事務所の先輩の口癖を公開してくれたものである。一同の反応は複雑であったが、あまりと言えばあまりの即物的な言い回しに対する苦笑が圧倒的であった。「二度と悲惨な事故が起きないでほしい」との悲鳴にも似た祈りを心の支えとしている方々に比して、我々は何と俗物的な仕事をしているのか。
 3年前の一瞬の出来事であり、彼のその時の気持ちを正確に思い出して表現することは難しい。弁護士になりたての者だけが受け止めることのできる微妙な心のざわつきを、確かに彼自身が捉えていたことは間違いない。弁護士は人の不幸を飯の種として生きていく仕事である。綺麗事では食べていけない。しかしながら、あの心の底から沸いてくる寂しさ、魂の動揺が脳裏から消えることもあり得ないと思う。
 あの日から3年が過ぎ、今日も同じ顔が集まっている。そして、今日の顔は羨望ばかりである。人の事故死を待ち望むことへの苦笑は起こらず、それを俗物的とする反省の思考回路も完全に消滅している。この3年間で、みんな変わってしまった。良い意味でも悪い意味でも弁護士らしくなってしまった。この例えようもない虚しさは何だろうかと、彼は顔には出さず心の中だけで思う。同期から置いていかれてしまったという焦りではあって欲しくない。

 場の話は、いかにして交通事故の顧客を3件も獲得できたのかという点に移っていった。死亡事故が3件ならば確かに3年間は食えるのであり、このノウハウは一同にとって最重要の情報である。果たして、その結論は実に平凡であった。自力でお客さんを開拓し、自分の腕で稼ぐという意識を常に忘れないようにすること。そして、常に集客力を意識し、サラリーマン的な思考に陥らないようにすること。要するに、「悲惨な死亡事故が起きないでほしい」と本気で願うような者は、弁護士としては失格である。
 話はさらに盛り上がりを見せる。交通事故の被害者遺族が弁護士を探しているとき、どのような基準で特定の弁護士が選ばれるのか。頭脳労働によって提供されるサービスも一種の商品であり、必ず多数のライバルがいる。従って、その商品の売り込みがものを言う。経済社会の中で生きるということは、この競争の繰り返しである。被害者遺族に親身になるという姿勢を示したところで、その商品が売れるわけではない。彼はここでも冷水を浴びせられた気になる。
 ある同期の弁護士が、「事務所の目の前で事故が起こってくれればすべては解決する」と言い、一同に爆笑が起きる。彼も愛想笑いをし、すぐにその小心さに情けなさが募る。報酬金の高さや海外旅行の回数を自慢するような弁護士に対し、死者の命の重さを預けてしまった交通事故の遺族は、確かに人選を間違えたと思う。しかしながら、自分のほうが選ばれるべきであったと彼が思ってしまえば、それは単なる負け惜しみであり、嫉妬心である。彼もまた交通事故の発生を望み、その事件を欲しがっていることに他ならないからである。

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フィクションです。


遺影 その2

2010-07-26 23:54:48 | 時間・生死・人生
(その1からの続きです。)

 被害者の母親は、裁判官が母親の存在に困っているのではなく、息子の存在に困っているのであれば、いくら母親を説得しても話がすれ違うのは当然だと語った。そして、自分は裁判官を困らせるつもりはなく、裁判官のほうで勝手に困っているのであれば、すでに答えは出ているはずだと述べた。また、最終的に残されている問題は、命を奪った犯人がここにいるのに対し、命を奪われた息子がここにいないのは何故かということであり、犯人がその問題に正面から取り組める場所は、今の社会のルールの下では裁判の法廷だけであるとも語った。母親の言葉を聞くうちに、彼は、このような言葉は形式論理では他者に伝達ができず、書記官が裁判官に伝達するという行為そのものの限界を知った。
 果たして、主任書記官は、露骨に腕時計に目をやりながら、「どうしても遺影を法廷に持ち込まなければならない理由は何ですか」と聞いた。母親はその質問に対し、写真を持ち込みたいのではなく、被告人に息子の姿を見せつけたいのでもないと答えた。さらに、裁判の光景や被告人の様子を息子に見せなければならないのだと語り、その上で、この写真の目が裁判を見ることができないのは当然のことであり、自分は何かの宗教を信じているわけではないとも強調した。主任書記官はますます困惑し、苛立ちを含んだ声で、「ここはそのようなお話をお聞きする場ではありません」と言った。
 母親は、裁判は単なる儀式にすぎず、1時間程度の法廷では、加害者の一生涯をかけた反省の念の有無などわかる訳がないと語った。他方で、自分が持っている遺影もただの儀式にすぎず、自分が息子の死を受け入れることはあり得ないと言った。そして、この遺影も裁判も儀式であるならば、この写真が遺影であると名付けられており、その名付けられた原因がこの加害者の行為である限り、遺影の目は裁判を見ないで他に何を見ればよいのかと冷徹に語った。現在の社会制度において、加害者が裁かれ、事故の内容が明らかにされ、加害者が反省したりしなかったりする場所は、裁判の法廷をおいて他に存在しないからである。

 彼は、母親と主任書記官との会話に噛み合う余地が皆無であることを思い知らされ、両者のやり取りを黙って聞いていた。主任は、母親の言葉が途切れた一瞬の隙を突く方法により、話を有利に進めていた。主任が伝えていたことは、次の3つだけである。第1に、遺影が持ち込めないのは裁判官の絶対的な判断であること。第2に、書記官は裁判官の判断にすべて従うべきこと。第3に、当事者は直接裁判官と話すことができず、すべて書記官が話を聞いて伝えるということ。主任は、この3つの論理の中だけでグルグルと話を回しており、全くブレることがなかった。
 彼は、この主任の論理は絶対に論破されないことを知っていた。主任は、なぜ自分がこの論理を持ち出して目の前の母親を説得しなければならないのか、自分自身の言葉で語ることができないし、語ってはいけない。それが職場というものであり、複雑な制度を運営する社会人の義務でもある。特に国民の税金から給料を得ている国家公務員は、前例がないことは、上級官庁の通達を待たずに勝手にしてはならない。仕事場において、人間はそれぞれの役割を演じ、仮面を被る。このような人間の口から出た言葉は、人が全人生を賭けて考え抜き、ギリギリまで突き詰め、絞り出した言葉ではあり得ない。
 他方で、この母親が1つ1つ噛みしめて語る言葉には、彼女の全人生が載っており、仮面を被る余地がない。彼は、仮面を被ったまま沈黙している自分自身がもどかしくなり、自然と遺影の視線に向き合う形になった。もしも、死んだのが自分であれば、俺の母親はどうするだろうか。この母親のように、俺に裁判を見せなければならないと思い、その思いだけで命をつなぐだろうか。当たり前である。そうでなければ俺の母親ではない。いや、俺の母親ではなく、母親というものではない。公私混同を愚直に非難できる者は鈍感である。人間にできることは、すでに混同している公私を前にして、必死に抗うことのみではないか。

 被害者の母親はもう一度、「写真が裁判を見ることはできないなんて、そんなことは言われなくてもわかっています」と穏やかに語った。その上で、どうして息子が法廷にいないのに裁判など開けるものか、その論理矛盾を指摘した。彼にはその問いの意味が理解できた。もし、この写真の中の男性が俺であったなら、俺は裁判の結果を見届けたいと思うに決まっている。俺の死に意味があり、翻って俺の一生に意味があったと言うためには、突然殺された理由を知らされなければ話にならない。そして、それを俺に知らせてくれない母親は、俺の母親ではない。遺影の顔は彼の顔でもあり、目の前の母親の顔は彼の母親の顔でもある。
 主任書記官が沈黙していると、目の前の母親は、さらに話を続けた。加害者が裁判を受けられるということは、人生をいくらでもやり直すことができるということだ。これに対して、息子は、人生のやり直しが効かない。加害者が遺影によって影響を受けるということは、生きているからこそ影響を受けることも可能だということであり、その現実が絶望の正体である。加害者がこの絶望に直面せず、息子がいない法廷で謝罪したとして、一体誰に謝っていることになるのか。もちろん、私に謝ってほしいのではない。息子が法廷にいるのであれば、私はいなくてもいい。
 主任書記官は、母親にひとしきり話させた。彼の周りでは、これを「ガス抜き」と呼んでいた。経験則上、人は激情に駆られたとき、集中的に怒りを誰かにぶつけて鬱憤を晴らすと、気が晴れて大人しくなることを、窓口の職員は保身術として知っているからである。被害者の母親は言葉が尽き、写真は鞄にしまうことで合意し、法廷に向かった。そして、遺影の顔は彼の顔ではなくなった。その間、彼は一言も口を開かなかった。刑事裁判は、被告人の更生に意味を認める。他方で、死者の人生に意味があったと認めたいという思いは、意味を与えるという形でしか捉えられていない。当たり前ではないか。現実を見よ。だからこそ、被害者の母親は、「写真が裁判を見ることができないのは当然だ」と言ったのではないか。

 法廷が終わると、主任書記官は、彼に感謝の言葉を述べた。あのような場面では、1人ではなく2人で説得に行ったほうが効果的である。しかも、話が拡散しないように、1人は黙っているほうが効果的である。彼は、妙な褒められ方をして居心地が悪かった。主任書記官は、心の奥底では、犯罪被害者遺族が法廷で遺影を掲げる権利を認めるべきだと考えていることを彼は知っている。あの場所において、頭の中では母親に共感しておきながら、実際には一度も口を開けなかった彼自身が最大の卑怯者だろう。組織の結束という大義名分の下で、保身の欺瞞に鈍感になるのが「大人」の行動だとすれば、彼は子供からも大人からも逃げている。
 主任書記官とは、様々な立場の人々の利害関係が交錯する中心に位置する官職であり、典型的な中間管理職である。職務上の過誤の恐怖から来る心労に耐え切れなくなる者も多い。彼の上司の主任は出世が遅く、40歳を過ぎてから初めて主任書記官となった人である。その理由は彼にも良くわかる。1つ1つの事件に丁寧に向き合い、当事者の心情に寄り添う者は、そのうちに身が持たなくなる。適当に力を入れたり抜いたり、上手く自分の良心を誤魔化す技術を身に着けなければ、主任書記官の激務は務まらない。そして、彼の上司の主任は、他人の心情を思いやる性格を無理に押さえつけ、鈍感の仮面を被り続けることにより、主任の役割を演じている。それだけに、その仮面は簡単には外れることがない。
 主任は彼に対し、自分は20代、30代と力を十分に溜めてきたことにより、40代で主任になれたのだと言った。そして、今日のような経験は必ず将来に生きるものであり、20代は下積みの時期に鍛えられることが非常に大切なのだと言った。彼は、適当に返事をしながら、遺影の中の彼自身を思った。20代が下積みの時期たり得るのは、40代まで生きた場合に初めて可能となるものであり、20代を生きている今この瞬間は、下積みの時期ではあり得ない。少なくとも、20代での死がすぐ明日に迫っているかも知れないことの確実性に比べれば、40代まで生きることの確実性など、比較にならないほど弱いものである。裁判に携わる者は、「傍聴席の遺影は適正な裁判に影響を与えるか否か」という問題を解く心の構えでいる限り、仮面を被った人間同士が演技をしていることを忘れる。

 その日の彼の最後の仕事は、報告書を作成し、裁判官の決裁に上げることだった。彼は、「裁判官が遺影の持ち込みを禁じた」という部分を、「傍聴人が法廷の秩序を害する恐れがあった」と訂正するように命じられた。おまけに、報告書は正確に記載するよう、裁判官からこっぴどく叱られた。

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フィクションです。

遺影 その1

2010-07-18 00:02:44 | 時間・生死・人生
 裁判所では、予想外の出来事が突然起きることがある。刑事裁判の法廷のスケジュールは10分単位で一杯に組まれており、それに合わせて拘置所から被告人が護送されてくる以上、直前に動かすことなどできない。裁判所書記官にとって、突発的な出来事に対する偽らざる第一印象は、「面倒だ」「早く済ませたい」である。
 特定の職員へのストーカー的な当事者を追い返すことや、窓口で理屈をわめき立てるクレーマーに屁理屈で毅然と対抗することは、神経をすり減らすものではあっても、ある意味単純な職務と言ってよい。それは、外側から相手の不正義を叩き潰し、自らは正義を守り抜く過程である。これに対し、自らの内側において、どうにも名付けられない複雑で嫌な感情が残ることがある。
 このような感情が上手く処理できなければ、頭の中は分裂して爆発しそうになる。これを避けるためには、「大人」にならなければならない。ここで言う大人とは、理性によって冷静かつ適格な判断を下せる者のことではない。大人とは、「重い職責」「社会人の責任」などの理由によって、自らの本心を誤魔化して正当化する処世術を身に付けた者のことである。

 廷吏からの報告は、被害者の母親が法廷に遺影を持ち込もうとしたので止めたところ、さらに懇願されて困っているというものであった。検察庁に問い合わせても、「そんな話は事前に聞いていない」の一点張りで埒があかなかった。法廷への遺影の持ち込みについては、認められる裁判所が多くなってきたものの、最終的な判断は裁判官の訴訟指揮権によっている。そして、彼(裁判所書記官)の所属する刑事部の裁判官は、法廷の秩序を非常に重視しており、遺影の持ち込みを絶対に認めないという考えであった。
 以前の自動車運転過失致死罪の裁判でも、母親が風呂敷に包んで胸に抱えているものが遺影であるとわかると、裁判官は激怒し、すぐにしまうように命じた。母親が戸惑ってすぐに指示に従えないでいると、裁判官は容赦なく退廷を命じた。ハンカチで顔を押さえて法廷から出た母親は、その後の法廷にも二度と姿を見せることはなかった。判決の日、彼はやり切れない気持ちを抱えていたが、その日の飲み会の席で、裁判官は彼女の行動への怒りを書記官にぶつけてきた。
 法廷は遺族の自己満足のためにあるのではない。証拠によって罪を認定して罰を言い渡す厳格な刑事裁判と、被害者の救済とは全く別の話であり、混同する素人が多すぎる。こんなことを認める裁判官が増えてきたのは由々しき事態だ。神聖な法廷の権威を汚す気なのか。何を勘違いしているのか。刑事裁判の厳しさが何も分かっていない。書記官一同は、裁判官の生真面目な矜持に押されて、ひたすら相槌を打つだけであった。

 彼はその日も、念のため、裁判官に指示を仰ぎに行った。そして、答えは予想通りであった。「誰のための裁判だと思ってるんだ」という裁判官の怒号は、被害者の母親に向けられた言葉でもあり、同時に彼の認識を叱責するものでもあった。彼の背中に向かって、裁判官はなおも怒っていた。「死んだ人の無念が何だかんだって、死んだ人は死んでるんだから本人が無念な訳がないじゃないか? 死んだ人が無念だと思っている人間が、自分で勝手にそう思ってるだけの話だろう? 検察官も何で説得できないんだ?」
 時間は15分しかない。主任書記官は、彼と一緒に母親の説得に向かうと言った。この主任書記官は、裁判官の腰巾着であり、自分の勤務評定を高めるためだけの行動に覚えた。しかし、この主任書記官には、ガンで30代で亡くなった同僚の葬儀に参列した際、その遺影に釘付けとなり、しばらく涙していたという一面もある。人は、組織の中では誰しも仮面を被るものだ。そのうち、素顔と仮面の区別が付かなくなり、人生全般のものの考え方が規定されるようになる。
 彼は、主任とは別に庶務課に走り、法廷の近くの会議室を特別に開けてもらった。本来であれば、課長の決裁がなければ開けることはできないが、その場にいた係長が全てを呑み込んだ上でOKを出してくれたのである。不祥事を怖れ、融通の利かない職員ばかりの中で、このような人物が1人でもいると非常に助かる。

 会議室の中では、主任書記官の前に、遺影を胸に大事そうに抱えた女性が座っていた。遺影の中の男性は20代半ばと思われ、彼と同じくらいの年齢であった。被害者の目は、彼を一直線に見つめていた。同じ頃にこの地球上に生まれ落ちた人間が、どういうわけだか1人は生きており、もう1人は生きていない。これは単なる偶然であり、彼が努力していたわけでもなく、被害者の努力が足りなかったわけでもない。
 遺影を抱えた母親も、彼の母親と同じくらいの年齢であった。彼は、その現実をできる限り意識しないようにした。裁判はこの世のルールであり、あの世のことには太刀打ちできない。罪に対する判断はできるが、死に対する判断はできない。「死んだ人はどこにいるのか」という問いをぶつけられれば、裁判官は答えに詰まる。それゆえ、厳格な刑事裁判の威厳を保つためには、そのような問いの価値を低めておき、予め答えるに値しない問いだとしておく必要がある。
 主任書記官は、まず被害者の母親に対し、本当に起訴状に記載された被害者の母親であるのか、免許証や保険証などで「本人確認」をしたいと言った。その瞬間、血の気が引いていた母親の顔が、さらに強張ったように見えた。公的機関における証明の手段としては、免許証の写真には絶対的な価値があり、遺影の写真には価値がない。しかし、免許証によって被害者の母親であるという確認ができなければ、それは彼女にとってどんなに幸せなことだろう。

(続きます)

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フィクションです。

横浜市弁護士刺殺事件 容疑者逮捕

2010-07-06 00:46:53 | 時間・生死・人生
横浜弁護士会会長談話より

 当会会員の前野義広弁護士が2010(平成22)年6月2日に刺殺された事件について、昨日、被疑者が自ら警察に出頭し、逮捕された。
 当会は、事件当日の会長談話及び同月10日の常議員会決議において、捜査機関に対して厳正かつ迅速な捜査と真相の徹底究明を強く求めていたところであるが、被疑者が逮捕され、この事件が真相解明に向けて事態が進展したことについて、この間捜査に尽力された関係機関に対し感謝の意を表するものである。(中略)

 紛争解決の過程において、自らの主張を暴力という犯罪行為によって実現しようとすることは、社会正義の実現と基本的人権擁護を使命とする我々弁護士の業務に対する重大な挑戦であり、断じて許されるものではない。このような手法が許容されるならば、法というルールによって紛争を解決するというわが国の最も基本的な仕組み自体がその存立の基盤を失ってしまうのである。
 当会は、改めて、亡くなった前野弁護士及びご遺族に対し、哀悼の意を捧げるとともに、今後、捜査や裁判が適正かつ迅速に行われ、早期に真相が究明されることを強く望むものである。また、弁護士の業務を暴力、脅迫等の手段によって妨害する行為に関して、その対策に一層取り組むとともに、そのような行為に対して一歩も引くことなく、毅然と対処する覚悟であることを改めて宣明する。


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 全国の弁護士会の声明や会長談話はホームページでいつでも読めますが、この事件に関する会長談話は、読んでいるだけで疲れます。「遺族は被害感情をむき出しにして厳罰を叫ぶものだ」という決めつけの思考パターンが、まさに裏側から鏡に映るように示されており、「語るに落ちる」とはこのことだろうとも思います。

 「厳正かつ迅速な捜査」「真相の徹底究明」「暴力という犯罪行為・・・断じて許されるものではない」といったくだりは、被害者が弁護士であることを知らなければ、とても弁護士会の主張とは思えないものです。厳正な捜査は冤罪の温床であり、いかなる理由があろうと厳罰は好ましくなく、犯罪者の更生と社会復帰と立ち直りこそが重要であるとの通常のスタンスとは、見事に正反対の議論が展開されています。
 平川隆則容疑者は「殺意はなかった」と供述しているそうですから、弁護団は傷害致死罪の成立を主張しなければならないのであって、弁護士にとっては「刺殺」という表現を用いるのも不適当でしょう。

 これまで、全国の弁護士会は、一貫して犯罪被害者の裁判参加に反対を唱えてきました。それは、感情的な人間の怒りや興奮によって、冷静であるべき手続きの公正さが失われるとの理由からです。そして、今回、弁護士会が被害者の立場に立たされると、顔を真っ赤にして怒っているところが鏡に映ってしまいました。弁護士バッジが屁とも思われなかったという恐怖の前には、犯人への赦しや寛容の精神などあり得ないようです。
 人間の殺意という底知れぬ実存の深淵につき、単に「弁護士業務への妨害」「弁護士業務に対する重大な挑戦」と捉えて拳を振り上げるならば、すべては正義となるに決まっています。そして、「被害者遺族は感情をむき出しにして厳罰を叫ぶものだ」という理論も、このような善悪二元論のフィルターを通してみれば、全くその通りだと言うしかありません。

 前野義広弁護士の父親(81)は、「犯人が逮捕されても息子が帰ってくるわけではありませんので、私たちの悲しみは変わりません。日に日に悲しみが増すばかりです」と述べていました。弁護士会の「毅然たる覚悟」と比べると、残酷なほどの言葉の重さの違いを感じます。「生きてさえいれば」という思いに比べれば、「わが国の最も基本的な仕組み自体の存立の基盤」など吹けば飛ぶようなものでしょう。
 私が前野弁護士の遺族であれば、一生懸命法律の勉強などしなければよかった、司法試験なんか落ちればよかったと悔い、それを事前に見抜くことができなかった自分を生涯責め続けるだろうと思います。そして、人の命が奪われたことではなく弁護士バッジが軽視されたことに激怒し、誰が殺されても一言一句同じ声明を出すような団体からは、哀悼の意など捧げて欲しくないと感じるだろうと思います。