関東地方に暮らしていた私にとって、阪神・淡路大震災はテレビの中の出来事でした。画面の中で淡々と「家族の誰と誰が亡くなった」と語る方々の姿を見ると、私は「自分には何もできない」という無力感に苛まれましたが、これも日々の生活に紛れて長続きしませんでした。その後、毎年1月17日が来るたびに私が感じていたのは、実際に震災を体験した方々との温度差の拡大です。私が毎年風化させていた記憶は、震災のニュースをテレビで見ている自分自身の心理状態でした。
10年目を過ぎた頃から、毎年1月17日の「語り継ぐ」「忘れない」という言葉に、私は一種の重さを感じ、反射的に避けたいと思う気持ちが支配的になってきました。他方で、「復興」「再生」という言葉は、私の気持ちを楽にさせるものでした。これは、10年も経つと、1月17日以外はほとんど阪神・淡路大震災を思い出すこともないという現実があり、それに対する私の後ろめたさが反映していたものです。被災地は完全に復興したというニュースに喜びを覚えれば、私はこの大震災を終わった過去にすることができました。
東日本大震災により、再び「復興」という単語を日常的に耳にする機会が増え、私は、この単語が被災地の内と外で使われるときの微妙な違いに思いが至りました。人間は当たり前のこととして、倒壊した自宅の下に思い出の品を求めざるを得ません。これは、震災が起きる前の昔とのつながりを確保するためです。また、元の場所に元の通りの建物を建てたいと願う方々の言葉をテレビでよく聞きました。体が家の間取りを覚えている以上、これも当然のことと思います。
人は単語を辞書的に使っているわけではありませんが、「復興」という単語の使用に自然と現れる意味は、被災地の内外で異なるものと思います。「復」とは「戻る」「帰る」の意であり、熟語には「復元」「復旧」「復縁」などがあります。時間に方向性を見出すことはそれ自体が錯覚ですが、この時間軸の動きは、明らかに過去に向かっています。そして、被災地の方々における「復興」の言葉は、震災前の過去に戻りたいという思いと無関係ではあり得なかったと思います。これに対して、被災地の外側の解釈は、「復興」の言葉の中に、正反対の時間軸である未来を読み込んでいました。
(続きます。)