宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成』第3章「喪失の取り扱い方」(続):老化における「喪失」は生の欲動と死の欲動の「融合」or「内的均衡」を試練に晒し、「再編成」を迫る!死の問題!

2021-12-25 21:29:17 | Weblog
※ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成――老いの精神分析』(2013年)文庫クセジュ

第3章 喪失の取り扱い方(続)
(10)「欲動の融合と脱融合」!生の欲動と死の欲動の「融合」(混合)と「脱融合」(分離)!「老い」は、「脱備給」(関心・注意・情動のエネルギーを向けないこと)をもたらすわけでない!(79-85頁)
J 「生の欲動」は「結集、統一、興奮」を目論むものであり、「死の欲動」は「分離、分散、鎮静」の働きをする。二つの欲動が結びつくと(融合)、付随する連続的な心的作業、すなわち備給と脱備給、接近と離反の余地ができる。(81頁)Cf. 「備給」と「脱備給」:関心・注意・情動のエネルギーを向けることと止めること。
J-2  生の欲動と死の欲動の「融合」or「内的均衡」によってのみ、「心的な生」は可能となる。「一方では混乱や支配という危険を冒して連結と凝集を行い[生の欲動]、他方では寸断化と無化という危険のもとに脱連結と脱結合を行う[死の欲動]。」(82頁)
J-2-2 かくて「老い」は、新たな「内的均衡」の達成である。「抑うつ的な苦痛を帯びた社会的孤立」という「老い」の事実は、「脱備給」(※関心・注意・情動のエネルギーを向けないこと)をもたらすわけでない。(82頁)
J-2-2-2 例えば「多くの高齢者たちは、休息する権利を訴えながらも、出会いや新たな知識を欲望し、永遠に第一線での役割を果たせなくても、社会問題に対して関心を抱いている。」(82-83頁)

J-3 繰り返し「喪失」に直面すると「欲動の融合」(生の欲動と死の欲動の融合)が試練に晒される。「引き剥がし」(対象や機能の喪失など)のせいで「均衡」が崩れる。(83頁)
J-3-2 主体は「ケアの可能性を危うくするような対象に固着」したり(「危険行為」)、「他者を損なうほど強大なナルシス的満足に固着」(退行的閉じこもりorナルシス的な退行)したりする。(83-84頁)

J-4 「老い」を通じて諸々の「均衡」や「関係性」が再編成を迫られる。新たな「欲動の連結」は「アンビヴァレンスを維持する好ましい対象」の介在によって支えられる。かくて「まとまりが崩壊すること」、「死そのものが優位になること」、「心的生活が消滅すること」が予防される。(84-85頁)

《感想10》「老い」は、生の欲動と死の欲動の新たな「内的均衡」の達成である。「老い」が「抑うつ的な苦痛を帯びた社会的孤立」という事実であるとしても、「脱備給」(※関心・注意・情動のエネルギーを何ものにも向けないこと)をもたらすわけでない。
《感想10-2》「生きている」間、われわれは「死」を知らない。

(11)死の問題!「死の表象」がどんなに恐ろしいものであってもそれは「死の表象or幻想」であって、「死」でない!(85-93頁)
K キケロは一方で「死が刻一刻、差し迫っていると恐れていては、いかにして恒常心を維持できよう」と言いつつ、他方で「自然にしたがって生じるものは、すべて善きものとみなされなければならない。しかるに、老人が生を終えることほど、自然に従ったものがあるだろうか」と記す。(86頁)
K-2 「死の表象or幻想」は「死」でない。「死の表象or幻想」は「生」の中にある。(87頁)
K-2-2 実際、「死の展望に直面した主体」は、「去勢や受動性」を含む表象、「見捨てられ不安」・「消滅不安」・「破壊不安」・「迫害不安」を掻き立てる表象など、複数の表象を動員しやすい。(92頁)

K-3 ポール・ニザン(26歳)が言う。「本当の死とは、死にほかならないもの、生ではないもの、そして人間が何も、自分のことも、自分のことを考えているとも考えないときに置かれる状態のことなのだ。」(92頁)

K-4 蘇らせたハドリアヌス帝に、マルグリット・ユルスナールが言わせる。「私は死を急ぐことをあきらめてしまった。・・・・私の忍耐は身を結びつつある。前ほど苦しまなくなったし、人生はふたたびほとんど甘美なものになりつつある。・・・・いましばし、共にながめよう。この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を・・・・目をみひらいたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう・・・・」(93頁)

《感想11》本当の「死」は「生」のうちにない。「死」とは「生」でないものだ。
《感想11-2》「死の表象」がどんなに恐ろしいものであってもそれは「死の表象or幻想」であって、「死」でない。

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ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成』第3章「喪失の取り扱い方」:「抑うつポジションのワークスルー」により「よい対象」が安定して現前する!「抑うつ性」は「喪失」に「耐え忍ぶ」ことを可能とする!

2021-12-25 17:53:23 | Weblog
※ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成――老いの精神分析』(2013年)文庫クセジュ

第3章 喪失の取り扱い方
(9)抑うつと抑うつ性(その1):「抑うつポジションのワークスルー」!「よい対象」が自己の中で安定して現前する!(70-74頁)
I 「抑うつポジション」の「ワークスルー」によって「よい対象が自己の中で安定して現前すること」は、老人が「喪失」や「断念」という作業を行ううえで、極めて貴重だ!(73頁)
《参考1》「抑うつポジション」とは「相手(Ex. 母親)が怒っているのは、自分が悪いことをしたからだ」思うような(幼児の)心的状態である。罪悪感・自己反省の起源となる心的状態。
《参考1-2》これに対し「妄想-分裂ポジション」は相手(Ex. 母親)を全体として捉えられず(「分裂」)、自分の欲求を満たしてくれない「悪い存在」としてのみ捉え(「妄想」)、怒り・攻撃を爆発する心的状態だ。
《参考2》「ワークスルー」(徹底操作)とは抑圧された葛藤に対する解釈を、反復して繰り返し、体験的確信にまでもたらすこと。

I-2 「抑うつポジション」の起源は「母親そのもの失うという不安」だ。「愛する対象を失うという懸念」!「抑うつポジション」はまた「同一の対象(Ex. 母親)に、満足のあり方に応じて愛も憎しみも抱くこと」ができるという心的状態だ。(72-73頁)
I-2-2 「よい対象(Ex. 母親)が自己の中で安定して現前すること(※「抑うつポジション」の「ワークスルー」によってこれは可能となる)は、(※老人が)喪失や断念という作業を行ううえで、極めて貴重だ。」(73頁)

(9)-2 抑うつと抑うつ性(その2):抑うつ性の解放的価値!「抑うつ性」は「耐え忍び、通過すること」を可能とする!(74-78頁)
I-3 「抑うつ性」は(※「妄想-分裂ポジション」と異なり)、「他者とのふれあいに耐えること」を可能とし、「耐え忍び、通過すること」を可能とする。(75頁)
I-3-2 「私は老いぼれたと感じている。・・・・あとどれくらいの時間が残されているかはわからないが、急ぐことはない。・・・・私は刹那のなかに生きているが、あともう少しだけこの世の中に平穏なままでいたいのである。」(マーティン・グロジャン)(76頁)
I-3-3 「抑うつポジション」においては、「馴染んだものとしての老い」がある。(77頁)
I-3-4 「老い」に「馴染む」ことができない老人は、(a)健康をなおざりにし自己破壊的になり、(b)躁的防衛を発動させ「ぞんざいに扱うな」とやかましく主張し、(c)際限ない浪費と享楽、あるいは(d)危険行動に「酩酊」する。(77-78頁)

《感想9》「老い」に「馴染む」ことが、老人に平穏を与える。「抑うつポジション」は「耐え忍び、通過すること」を可能とする!

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ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成』第2章「心的装置」(その2):「こころのなかの葛藤」!老人は「自我理想」に関し、過去の理想化という「代替形成ないし代用形成」をなすことがある!

2021-12-25 00:02:01 | Weblog
※ブノワ・ヴェルドン『こころの熟成――老いの精神分析』(2013年)文庫クセジュ

第2章 心的装置(その2):「こころのなかの葛藤」&「自我理想」!
(7)老化と「こころのなかの葛藤」!老化のもとで「葛藤」は弱まる!(62-63頁)
G 老化のもとでの「葛藤」の弱まり!
(a)年を経るにつれて「超自我的な要請」が弱まることがある。「人は年を取ると、ひねくれて、意地悪で、けちになる。」(フェレンツィ、1921年)(62頁)
(b)「老いゆく存在は、えてして賢明である。それは人徳というよりも、むしろ欲求が減少するので、賢明である方がそれ以降は好都合だからだ。実際、年を取るにつれて超自我が和らぐのは、美徳のためというより、その方が楽だからである。なぜなら、肉体的な苦痛が、超自我をはっきりと平穏にする。」(ジェラール・ル・グエ)(63頁)
(c)「死は、すべての秩序を侵犯する。死に直面して、いかなる禁止が正当化されるだろうか?」(ビアンキ)(63頁)
《感想7》老化のもとで「葛藤」は弱まることがある。(a)「超自我的な要請」が弱まる。Ex.「他者たちと折り合ってあって生きる」という日常的倫理を無視する。(b)欲求が減少する。Ex.「[人格が]丸くなる」。(c)「死」を覚悟すれば怖いものなどない?

(7)-2 年を取っているというだけの理由で「こころのなかの葛藤」は弱まるわけでない!(64頁)
G-2 だが「すべての高齢者において、それも年を取っているというだけの理由で、こころのなかの葛藤によって構成される価値が消え失せているなどと結論づけないことが肝要だ。」(64頁)
(ア)「多くの老いゆく人のこころの機能を活性化し、さらにはまとわり続ける罪悪感の重みを過小評価してはならない。」(64頁)
(イ)「遅咲きの性格の鎧」(自我を防衛するために固めた性格の外面)でアイデンティティを守る老人もいる。(64頁)
(ウ)「価値観や規範に強く執着する」ことでアイデンティティの連続性を確保しようとする老人もいる。(64頁)
(エ)「先祖の裁きや神の審判といった表象に培われた乳幼児的葛藤が激しく再活性化しているのが観察できる老人もいる。」(64頁)
(エ)-2 そうした表象はきまって「懲罰」・「劫罰」の不安や、様々の限界体験を強力にもたらす。(64頁)
G-2-2 「死による主体の解体は、罪悪感の代わりにはならないし、(a)対象を征服する快の問題、(b)ライバルの締め出し、(c)エディプス的葛藤性の近親姦、(d)親殺し的基盤などが、死に絡められたままである。」(64頁)
《感想7-2》年を取っても消え去らない「葛藤」(※「悩み」)がある。(ア)罪悪感!(イ)「遅咲きの性格の鎧」(自我を防衛するために固めた性格の外面)!(ウ)「価値観や規範」への強い執着で脆い自分を守る老人。(エ)「先祖の裁きや神の審判」と言う表象で自分を支える老人。
《感想7-2-2》「死に絡められたまま」とは「死が忘れられている」ことだ。(a)対象を征服する「快」は「死を忘れる」ことの典型だ。(b)「ライバルの締め出し」つまり「弱肉強食」の前提は「生」であり「死が忘れられている」。(c)「エディプス的葛藤性の近親姦」とは老人は生きている限り「生のエネルギー」としての性欲を持つということだ。(d)「親殺し的基盤」:「束縛する」「飲み込んでしまう」親を精神的に殺すことは子供が自立的に生きるために不可欠だ。この自己肯定、つまり自己の「生」の肯定は、老人であれ「生きる」限り前提される。Cf.親による「身体的暴力」、「ネグレクト(与えない、教えない、食べさせない)」、「絶え間ない罵倒や人格否定」が物理的・身体的「親殺し」を生じさせることもある。

(7)-3 老人は「心的葛藤」を扱うのに、非常に骨が折れ、つらく、そして疎外を引き起こす!かくて「人と知り合うこと」をやめたりする!(64頁)
G-3 「老いると、自らの思考、情動、表象を柔軟に動員しない、あるいはできないことがある。心的葛藤を扱うのは、非常に骨が折れ、つらく、そして疎外を引き起こすものとなり、自由に愛すること、人と知り合うこと、意見が食い違うこと、他者の前で堂々としていることなどの可能性を損ないかねない。」(64頁)
G-3-2 かくて老人の「こうした障害は、こころの機能を大いに傷つけ、さまざまな生活領域(知的領域、性的領域、対人関係の領域)においてしばしば重篤な制止としてあらわれる。」(64頁)
《感想7-3》老人は、身体的にも精神的にも弱化している。体力もないし、根気・持続力もない。「心的葛藤」を扱うのに、非常に骨が折れ、つらく、そして疎外を引き起こす!

(8)老化と「自我理想」!老人の「こころ」は「自我理想」に関し、過去の理想化という「代替形成ないしは代用形成」をなすことがある!‘(65-68頁)
H 「自我理想とは、自我が自らを評価する際に基準となる心的審級であり、その起源は本質的にナルシス的である。」(65頁)
H-2 「自我理想」は、ナルシス的リビドー(※心的エネルギー)を供給する。(66頁)
H-2-2 「自我理想」は、計画の検討、恋愛状態の維持、指導者へ心酔を維持させ、極めて暴君的になりうる。(66頁)
《感想8》人には必ず「自我理想」がある。つまり誰もが「ナルシシズム」なしに生きていけない。「ナルシシズム」こそが生きるエネルギーを生み出す。この点は、老化しても何も変わらない。

H-3 さて「自我理想」は、[有限性が意識されない間は、すなわち永遠に生きると思い込んでいる間は、すなわち死など存在しないと思っている間は、すなわち若い時は]いくつもの錯覚を黙認し、計画を将来に持ち越す。ところが「老いて死が視野に入ってくる」と、もはや「錯覚や持ち越し」に譲歩することができなくなる。(66頁)
H-3-2  かくて「自我理想」は「自分が走り抜けた道のり、かつて過ごしてきたがいまや存在しない時代などを理想化する備給」をひきおこす。(66-67頁)(※「備給」cathexis:心的エネルギーが観念・記憶・思考・行動に流れ込むこと。)
H-3-3 老人の「こころ」はこのように「自我理想」に関し、「代替形成ないしは代用形成」をなす。フロイトは次のように強調している。「もとよりわれわれは、何ひとつ断念することのできない存在だ。われわれにできるのは、あるものを別のものと取り替えることだけで、それは、いっけん断念のように見えても、実は代替形成ないしは代用形成なのだ。」(68頁)
《感想8-2》「生きる」とは「断念できない」ことと等価だ。人は「死」を「生きる」ことができない。「生きる」かぎり人は「断念」しない。「断念」した時、人は「死ぬ」。
《感想8-2-2》老人の「こころ」は「自我理想」に関し、過去の理想化という「代替形成ないしは代用形成」をなすことがある!

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