※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「平成」の章(457-478頁)
(124)百田氏の誤り①:実はスイスも第2次世界大戦で戦火に見舞われている!(474頁)
G 百田尚樹『日本国紀』は「口で『平和』を唱えるだけでは戦争は止められない。世界と日本に必要なのは、戦争を起こさせない『力』(抑止力)である」と述べる。(百田502頁)
G-2 そして百田氏は「日本と対極的な国」として「世界で初めて[1815年]『永世中立』を宣言した」スイスを取り上げる。スイスは「強大な軍隊を持ち男子は全員兵役義務がある。兵士の数は人口が約16倍の日本の自衛隊に匹敵する」。「ヨーロッパが火の海となった第1次世界大戦でも第2次世界大戦でもスイスの国土は戦火に見舞われなかった」(百田502頁)と百田氏は言う。
G-2-2 百田氏の誤り①:実はスイスも第2次世界大戦で「戦火に見舞われて」いる。連合軍は、スイスの「親ドイツ的中立」を牽制する目的でバーゼル、チューリッヒに空襲をした。
G-2-2-2 またアメリカ軍が、ドイツ領と間違えて、スイス領のシャウハウゼンを空爆し、大きな被害を与えている。
(124)-2 百田氏の誤り②:第2次大戦においてスイスへのドイツの侵攻を阻止したのは、主に「外交」と「経済」だった!(474-475頁)
G-3 百田氏の誤り②:「戦争を起こさせない」ための「抑止力」を、百田氏は「軍事力」(「力」、「軍隊」)だけとするが、「政治や外交」、「経済」の力も重要な「抑止力」である。第2次大戦においてスイスへの侵攻を阻止したのは、主に「外交」と「経済」だった。以下、その経緯を見てみる。(475頁)
(ア)まずスイスはドイツとイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵攻(1935-36年)、そしてドイツのオーストリア併合(1938年)を承認し、国際連盟の経済制裁にも参加しなかった。
(イ)一方でスイスは、フランスと密約を結び、スイス側の軍備増強を依頼するが、フランスがドイツに降伏してしまい(1940年)、その密約がドイツに知られてしまう。
(ウ)ヒトラーはこれを「中立」違反とみなし、スイス侵攻の「もみの木作戦」を計画する。そこでスイスは「もみの木作戦」の発動の阻止をめざした。
(ウ)-2 スイス企業の大部分はドイツ国内に支店や工場を持っていたので、スイスは「民間企業の武器輸出が中立違反にならない」ことを活用し、ドイツに精密機械・武器を輸出し続けた。またその際、ドイツから原材料と石炭を輸入した。
(ウ)-3 そしてスイス銀行は、ドイツがオランダ・ベルギーから接収した金塊を引き受け、経済的にドイツを支えた。
(ウ)-4 またユダヤ人に対しても、スイスは、ドイツの政策に協力し入国を拒否した。
(ウ)-5 さらにスイスを通るドイツとイタリアを結ぶ鉄道の通行も、スイスは拒否しなかった。
(ウ)-6 こうしてスイスはヒトラーによる「もみの木作戦」の発動を阻止し、ドイツの侵攻を免れた。
G-3-2 かくて現実の戦争を回避するのは、「軍事力」以上に、「外交」と「経済」であることを、歴史から学ぶべきだ。
(124)百田氏の誤り①:実はスイスも第2次世界大戦で戦火に見舞われている!(474頁)
G 百田尚樹『日本国紀』は「口で『平和』を唱えるだけでは戦争は止められない。世界と日本に必要なのは、戦争を起こさせない『力』(抑止力)である」と述べる。(百田502頁)
G-2 そして百田氏は「日本と対極的な国」として「世界で初めて[1815年]『永世中立』を宣言した」スイスを取り上げる。スイスは「強大な軍隊を持ち男子は全員兵役義務がある。兵士の数は人口が約16倍の日本の自衛隊に匹敵する」。「ヨーロッパが火の海となった第1次世界大戦でも第2次世界大戦でもスイスの国土は戦火に見舞われなかった」(百田502頁)と百田氏は言う。
G-2-2 百田氏の誤り①:実はスイスも第2次世界大戦で「戦火に見舞われて」いる。連合軍は、スイスの「親ドイツ的中立」を牽制する目的でバーゼル、チューリッヒに空襲をした。
G-2-2-2 またアメリカ軍が、ドイツ領と間違えて、スイス領のシャウハウゼンを空爆し、大きな被害を与えている。
(124)-2 百田氏の誤り②:第2次大戦においてスイスへのドイツの侵攻を阻止したのは、主に「外交」と「経済」だった!(474-475頁)
G-3 百田氏の誤り②:「戦争を起こさせない」ための「抑止力」を、百田氏は「軍事力」(「力」、「軍隊」)だけとするが、「政治や外交」、「経済」の力も重要な「抑止力」である。第2次大戦においてスイスへの侵攻を阻止したのは、主に「外交」と「経済」だった。以下、その経緯を見てみる。(475頁)
(ア)まずスイスはドイツとイタリアとの対立を避けるため、イタリアのエチオピア侵攻(1935-36年)、そしてドイツのオーストリア併合(1938年)を承認し、国際連盟の経済制裁にも参加しなかった。
(イ)一方でスイスは、フランスと密約を結び、スイス側の軍備増強を依頼するが、フランスがドイツに降伏してしまい(1940年)、その密約がドイツに知られてしまう。
(ウ)ヒトラーはこれを「中立」違反とみなし、スイス侵攻の「もみの木作戦」を計画する。そこでスイスは「もみの木作戦」の発動の阻止をめざした。
(ウ)-2 スイス企業の大部分はドイツ国内に支店や工場を持っていたので、スイスは「民間企業の武器輸出が中立違反にならない」ことを活用し、ドイツに精密機械・武器を輸出し続けた。またその際、ドイツから原材料と石炭を輸入した。
(ウ)-3 そしてスイス銀行は、ドイツがオランダ・ベルギーから接収した金塊を引き受け、経済的にドイツを支えた。
(ウ)-4 またユダヤ人に対しても、スイスは、ドイツの政策に協力し入国を拒否した。
(ウ)-5 さらにスイスを通るドイツとイタリアを結ぶ鉄道の通行も、スイスは拒否しなかった。
(ウ)-6 こうしてスイスはヒトラーによる「もみの木作戦」の発動を阻止し、ドイツの侵攻を免れた。
G-3-2 かくて現実の戦争を回避するのは、「軍事力」以上に、「外交」と「経済」であることを、歴史から学ぶべきだ。