※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)
(103)-5 百田氏の誤り⑤:「講和条約を阻止せよ」と「コミンテルン」の「指令」があったとの百田氏の主張は根拠がない!(405-406頁)
B-6 百田尚樹『日本国紀』は「そこでスターリンは日本のコミンテルン[※1943 年すでに解散しているとの指摘を受け第5刷以降は『旧コミンテルン一派』]に『講和条約を阻止せよ』という指令を下したといわれている」(百田450頁)と述べる。
B-6-2 百田氏の誤り⑤:「コミンテルン」or「旧コミンテルン一派」の「指令」があったとの百田氏の主張には「まったく根拠がなく」誤りだ。(406頁)
B-6-3 そもそもアメリカとソ連には、すでに「日本」と「東ヨーロッパ」における優越権をそれぞれ認め合うbargain(取引・駆け引き)をしている。(406頁)
B-6-4 「ソ連のほうも折り込み済みであたった」ことに関して、百田氏は「日本の独立は、ソ連にとっては非常に都合の悪いものだった。独立した日本が西側の自由主義陣営に加わるのは明白だったからだ」(百田450頁)という見方を示すが、これは「裏の外交」をふまえていない。(406頁)
B-6-5 ソ連には、この段階では単独講和をしてくれた方が都合がよい側面もあった。ソ連は日米安保条約を非難しながら(ア)北方四島を実効支配したままでいられた。(イ)東アジアにおける中・朝への影響力を担保する外交カードを握れた。(406頁)
《参考》ヤルタ協定(1945年2月11日「ヤルタ」会議において署名;1946年2月11日米国国務省より発表)
三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテ ンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。
1 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。
2 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利が次のとおり回復されること。
(a) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴィエト連邦に返還されること。
(b) 大連港が国際化され、同港におけるソヴィエト連邦の優先的利益が擁護され、かつ、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権が回復されること。
(c) 東支鉄道及び大連への出口を提供する南満洲鉄道が中ソ合同会社の設立により共同で運営されること。ただし、ソヴィエト連邦の優先的利益 が擁護されること及び中国が満洲における完全な主権を保持することが了解される。
3 千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること。
前記の外蒙古並びに港及び鉄道に関する協定は、蒋介石大元帥の同意を必要とするものとする。大統領は、この同意を得るため、スターリン大元帥の勧告に基づき措置を執るものとする。
三大国の首脳はこれらのソヴィエト連邦の要求が日本国が敗北した後に確実に満たされるべきことを合意した。
ソヴィエト連邦は、中国を日本国の覊絆から解放する目的をもって自国の軍隊により中国を援助するため、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中国との間の友好同盟条約を中国政府と締結する用意があることを表明する。
1945年2月11日
J・スターリン、フランクリン・D・ルーズヴェルト、ウィンストン・S・チャーチル
〔備考〕本協定は1946年2月まで秘密にされていた。
(103)-5 百田氏の誤り⑤:「講和条約を阻止せよ」と「コミンテルン」の「指令」があったとの百田氏の主張は根拠がない!(405-406頁)
B-6 百田尚樹『日本国紀』は「そこでスターリンは日本のコミンテルン[※1943 年すでに解散しているとの指摘を受け第5刷以降は『旧コミンテルン一派』]に『講和条約を阻止せよ』という指令を下したといわれている」(百田450頁)と述べる。
B-6-2 百田氏の誤り⑤:「コミンテルン」or「旧コミンテルン一派」の「指令」があったとの百田氏の主張には「まったく根拠がなく」誤りだ。(406頁)
B-6-3 そもそもアメリカとソ連には、すでに「日本」と「東ヨーロッパ」における優越権をそれぞれ認め合うbargain(取引・駆け引き)をしている。(406頁)
B-6-4 「ソ連のほうも折り込み済みであたった」ことに関して、百田氏は「日本の独立は、ソ連にとっては非常に都合の悪いものだった。独立した日本が西側の自由主義陣営に加わるのは明白だったからだ」(百田450頁)という見方を示すが、これは「裏の外交」をふまえていない。(406頁)
B-6-5 ソ連には、この段階では単独講和をしてくれた方が都合がよい側面もあった。ソ連は日米安保条約を非難しながら(ア)北方四島を実効支配したままでいられた。(イ)東アジアにおける中・朝への影響力を担保する外交カードを握れた。(406頁)
《参考》ヤルタ協定(1945年2月11日「ヤルタ」会議において署名;1946年2月11日米国国務省より発表)
三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテ ンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した。
1 外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。
2 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利が次のとおり回復されること。
(a) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴィエト連邦に返還されること。
(b) 大連港が国際化され、同港におけるソヴィエト連邦の優先的利益が擁護され、かつ、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権が回復されること。
(c) 東支鉄道及び大連への出口を提供する南満洲鉄道が中ソ合同会社の設立により共同で運営されること。ただし、ソヴィエト連邦の優先的利益 が擁護されること及び中国が満洲における完全な主権を保持することが了解される。
3 千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること。
前記の外蒙古並びに港及び鉄道に関する協定は、蒋介石大元帥の同意を必要とするものとする。大統領は、この同意を得るため、スターリン大元帥の勧告に基づき措置を執るものとする。
三大国の首脳はこれらのソヴィエト連邦の要求が日本国が敗北した後に確実に満たされるべきことを合意した。
ソヴィエト連邦は、中国を日本国の覊絆から解放する目的をもって自国の軍隊により中国を援助するため、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中国との間の友好同盟条約を中国政府と締結する用意があることを表明する。
1945年2月11日
J・スターリン、フランクリン・D・ルーズヴェルト、ウィンストン・S・チャーチル
〔備考〕本協定は1946年2月まで秘密にされていた。