お寺さんぽ Ver.03

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台湾が好き・高砂族 (ちょっとイイ話)

2007年04月01日 | 歴史
どうもー。
お寺とか歴史とか、そんなん読みたい方は下記リンクから引っ越し先…って、今回はこちらも歴史モノなんですが。
まぁ、よかったら一応下がメインなのでそちらもどうぞ。
ここはその跡地です。
前回のデザインがやや暗めだったので、ちょっと変えてみましたがどうでしょう?

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さて、世の中の闇を一刀両断するこのブログ(大嘘)
本日は「台湾が好き (ちょっとイイ話)」です。

日本史好きなひでるさん。
はっきり言って、ついこの間までは海外にまったく興味ありませんでした。
なんというか、ココロの鎖国状態だったのです。
(※海外がどうのってカブれてるみたいで嫌だった、というのもある)

…でも、あちこちニュースみたり、良質なブログみたり、本買ったりして、世界情勢とかそれなりの知識がつきました。
そんな訳で、今では”絶対にかかわりたくない国”、ひでる曰く「仮想敵国(※ある四カ国のことです」)と、死ぬ前に一度でいいから行きたい国がそれぞれできました。
敵国の方は置いといて、行きたい国はだいぶ前に紹介しました、ペリリューの感動が記憶に刻まれた「パラオ」ですね。
ここは死ぬ前に必ず訪れようと思います(本当)
ほか、お互い助け、助けられた「トルコ」とか、今回の「台湾」なんですよ。
なんで台湾かと言うと、下のエピソードを見たのが切っ掛けでした。


「犬のかわりに豚が来た」

これは、台湾を統治していた日本軍、その撤退後の中国を指しています。
日本軍の統治というのは、現在一部国家がわめき散らしているような酷いものでなく、各種整備から教育に至るまで、発展の基礎となるようなものであったのです。
これは日本軍に統治されていた国々の教科書にしっかりと記述されている事実なのです。
マイナスイメージを植えつけようとさかんに宣伝している国も一部ありますが、単にその事実が都合悪いだけなんですね。
(※先の文で「犬」に例えられているのは、厳格でうるさいが役に立つ、という意味だって。なんでも「のらくろ」のイメージも重なっているんだとかなんとか)
なにしろ、台北の下水道整備は日本国内よりも早く、衛生管理を徹底することによって疫病などを一掃したのです。
また、教育についても熱心で、あらゆる身分の人が受けられるよう金を与えてまで奨励したのでした。
確かに多少の差別はあったようですが、こういった政策が現代台湾の基礎となっていることは間違えないでしょう。

なお、こんな興味深いエピソードがあります。
日本軍撤退の後に統治した中国。
あるとき、ひねると水が出る「蛇口」という便利なものを見付けた彼らはさっそく購入し、壁に穴を開けて取り付けました。
しかし、水は当然ながら出ず、不良品だとクレームをつけてきたんだとか。
支配される側のが文化レベルが高いんですね。
滑稽な話でしょ?
ちなみに、中国が先の文で「豚」に例えられているのは、食うばかりで役にたたないから、なんだとか。

そういった感じなので、台湾の人は厳格だったものの、様々な面で発展に貢献した日本軍の統治を懐かしむこととなったようなのです。
また、そうした感情は何も戦後だけのことでなく、統治時からあったのでした。

こういった話でネットを巡回されていればもうご存知でしょうが、そうでない方は「高砂義勇隊」を知っていますか?
大東亜戦争が始まってそれが激化してきた頃。
台湾で志願兵を募集したところ、千名予定であったそれには倍以上である数万という人数が駆け付け、軍の方が驚かされたそうです。
血判書を持参する者も多かったといいますから、その熱意が伺えるでしょう。
パラオの際と同様に、強制ではなく志願して、自らの国と日本のため厳しい戦地へと赴いてくれたのです。

志願・参加した中には高砂族という台湾人がおりました。
ゲリラ戦を展開する日本軍人ですが、不慣れなジャングルに難儀していました。
しかし、住み慣れた彼らは鍛えられた強靭な肉体と抜群の方向感覚、さらには食料調達の技術を持つという、部隊に欠かせないかせない存在だったようです。(※夜目も利くし、音にも敏感だったのよ)
さらに凄いのは、その精神にありました。
こんな話が残っています。

飢えに苦しむ日本兵を助けるべく、食料調達を任された高砂の兵隊がおりました。
彼らは日本兵に食べさせるため、必死に食料を探した末調達することに成功するんですが…なんと戻る途中で餓死してしまうのです。
両手に食料を抱えたまま。
”日本の戦友に食べさせるものだから”ということで自分は手をつけず、そのまま力尽きてしまうのです。
ちょっとでも食べれば死を免れたかもしれないのに。

…こんなん普通できません。
あまりにスゴすぎて、やたらの言葉では書けません。
当時十五万という人口であった高砂族のなんと六千名が志願し、その約半数が散華したと言われております。

日本は、これほどまでの忠誠心を持って、共に戦ってくれた台湾の人々に対してどうなんでしょうか。
感謝もできないくだらん国に金使うのは止めにしたらいいのに。
せめて、ひでる個人としてできること、こういった話を少しでも後々に伝え、同時に現地へ観光に赴くことだと思ったのですよ。

かくありて許さるべきや 密林のかなたに消えし 戦友(とも)をおもえば


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⇒ 日本青年諸君に告げる (東條英機・遺言)



帰らざる日本人―台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います

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※こうした本をもっと読まないといけないと思います。
 全てが悪かった訳ではないでしょう?
 また、無い事実にとりあえず謝罪してたりするから、今日のような事態を招くんですよ。