お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

石田三成墓所 三玄院 (京都)

2006年01月26日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は拝観謝絶の三玄院です。行っても門眺めるだけですのでくれぐれも気をつけて。

ここには日本歴史上、私の最も好きな「石田三成」様のお墓があります。
石田三成は関ヶ原合戦で西軍の参謀(実質大将)として六条河原で処刑されてしまいます。
いわゆる敗戦の将ということで江戸時代に徳川の御用学者にさんざん酷い事を書かれ、
結果今でもその評価はあまり芳しいものではありません。
ですが、実際は人物眼に長けた秀吉に見出され、五奉行の中心としてまだ不安定な豊臣政権
を支えた、当時一流の武将でありました。

彼にはその人柄と才を知ることができる幾つかの有名なエピソードがありますが、今回は
その中でも秀吉に仕える切っ掛けとなった「お茶」の話を一つ。

ある日秀吉は鷹狩りに出かけ、ひと休憩とばかりに近くのお寺へ立ち寄りました。
喉もかわいており、寺にいた小姓にお茶を所望します。
さっそく出てきたお茶を飲み干し、
「うまい!」
と、もう一杯所望しました。
すると、今度は量が八分目くらいで、先ほどよりやや濃く温かくしたお茶が出てきました。
秀吉はそれも飲み干し、今度はためしにもう一杯所望します。
次に出されたお茶は、量が五分目くらいで、さらに濃く温かくしたお茶が出てきました。
この配慮に感心した秀吉は寺に請い、その小姓を配下に加えるのでした。
それが後の石田三成です。

えっと、だいたいこんな感じ。
資料まったく見ないまま記憶だけで書いたので、やや違う点があるかもしれませんが
大体こんなんです。
要するに、一杯目は喉が渇いているだろうから、たっぷり飲みやすいお茶を。
二杯目以降はお茶の味を楽しんでもらおうという配慮があるのです。
そういう具合に、物凄い気配りのできる人だったんですよー、小さい頃から。

まぁ、そんなこんなでここで直接お墓参りはできなかったので、門前でひと泣きしてきました。
他のエピソードはまた別の機会に。


[住所] 三玄院 京都市紫野・大徳寺三玄院 <拝観不可です。迷惑かけぬように>

人気blogランキングへ
↑気に入ったら押して下さい。