『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

キテくんとキピョンちゃん

2019年01月24日 | 雑感
最近のお隣の国に関するニュースにはもううんざりです。


毎日流れている隣国に関するニュースが

耳の端っこに入ってくるようになって

ふと、30年前を思い出しました。



私のクラスに「キテくん」と言う子がいました。

お姉ちゃんは「キピョンちゃん」 年長さんでした。

彼らは、お隣の国ではなく、

もう一つお隣の国、北朝鮮をお国に持つご一家でした。



家庭訪問に伺わせていただいたら、

リビングに、そのころはまだあんまりニュースにも登らなかったから

見る機会も少なかった「金日成」の写真が飾られていました。

パパとママのお国の衣装での結婚式の写真もありました。



ご一家は、本名を名乗り、

日本の社会で、こんな田舎の町で生きていました。

小学校は、高速バスに乗って

松本にある「朝鮮学校」まで通うとのことでした。

一番上のお姉ちゃんが通っていました。



当時はまだ、

フィリピンや中国の方をお母さんに持つ子も

ブラジルから出稼ぎに来ているご両親の子も

ほとんどいない時代です。

少なくとも、保育園の中では差別はありませんでしたが、

一歩外に出た時に、

本名を名乗り、こんな田舎で生きていくことは

30年前には、勇気のいることだっただろう、と思います。



でも、戦後から隣の国を出生地として持つ方々は

この地区にもけっこういらっしゃいました。

ただ、名前を日本名に替えていたので

わからなかっただけでした。



なぜ、北朝鮮の出身者は本名を名乗り

韓国の出身者は、自分の名前を日本名に替えてまでして

日本にとどまったのでしょうか?



日韓関係が険悪な今、彼らは何を思うでしょうか?



キテくんのご一家は

拉致問題が大きくなったころから

姿が見えなくなりました。

生国が北朝鮮であることを隠していなかった分

日本で生きていくことが難しくなっていったのでしょう。



彼らは母国に帰ったのでしょうか?


 
ご両親はとても気さくな良い方でした。

お姉ちゃんも利発な子でした。

この頃、

可愛かった坊主頭のキテ君を、よく思い出します。

コメント
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