『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

泣いたり笑ったり・・・・・(1年前は・・・)

2016年06月26日 | 介護
1年前の今頃は、
娘たちで母を連れて
母子4人水入らずの小旅行を楽しんでいましたっけ。



あの頃の母は、
今と同じように歩くことはおぼつかなかったので
ずっと外では車いすでしたが
それでも、体は元気でした。
外の空気を吸うのがうれしい!
と言う感じでした。



90歳の誕生日を
娘3人で祝ってあげましたっけ。


来年もまた行こうねえ・・・

あの時は、
この元気なら行ける、と思っていました。

「満蒙開拓平和祈念館」を見て
昼神温泉に泊まって・・・・

あの時の元気が
もう少しは続くような気がしていました。

90を超えると
本当に「生きていること」が
しんどいのでしょうねえ・・・・・

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泣いたり笑ったり・・・・・(元気の源)

2016年06月25日 | 介護
母の元気の源は
ひ孫の存在。


ばあばあばあが、デイサービスから帰ってくると
早速、チーちゃんがお部屋訪問します。








91歳と0歳・・・・
なにか、通じるものがあるようで・・・・・



母の元気の源は、
確実に、チーちゃんの存在があります。
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エンディング・ノート

2016年06月22日 | 雑感
先月の半ばのこと、
上伊那仏教婦人会の研修会(講演会)があって
会場となった隣村のお寺まで行ってきた。

講演会の演題は
「終活を始めて元気に生きよう!」

終活アドバイザー、という
そんな仕事があるんですねえ。


そのお話の中身とは、
1、終活とは・・・・・
   人生の最期に向けて行う行動のこと=自分整理
   ・自分が死ぬまでのことを考える ⇒ 医療や介護のこと
                     財産や持ち物の整理
   ・自分が死んだ後のことを考える ⇒ 葬儀やお墓のこと
                     相続や遺言のこと

2、どんなことからはじめるか?
  (1)エンディング・ノートを書いてみる。
     ①家系図や自分の記録
     ②もしもの時の連絡先(親戚・友人など)
     ③医療・介護について
     ④財産・所有物について
     ⑤葬儀やお墓のこと
     ⑥相続・メッセージについて

  (2)人生最期のことを考える。
     ①自宅か病院か・・・・・
     ②病気や事故で意思の疎通ができなくなる場合も考えて・・・・
      (周りと話し合っておくことも大事)

  (3)納得の(お気に入りの)遺影を用意する。
     ・少しでも健康なうちに、素敵な「私」を撮っておきましょう。

  (4)身の回りの整理・片づけをする。
     ・自分のものを「自分で」整理しておく。
       (脱舎利)・・・・体力のあるうちに・・・・

  (5)葬儀やお墓のことを考える。
     ①葬儀にかかる費用の準備
     ②自分らしい葬儀の形の遺言

  (6)相続。遺言(メッセージ)の準備をする。
     ①遺されたものが困惑しない為にも・・・・
     ②自分が一番幸せだった頃を綴っておくことは、揉め事を最小限にする効力があるそうです。


3、最後に・・・・
  □ 一番大切なことは、家族や支えてくれる周りの人たちに、「伝え」「相談し」「理解してもらう」ことです。
  □ 自分の終わり方が少しでも安心できると、これからの生き方も輝いてきます。



 こんな機会でもないと、
自分の最期のことなんか、まだまだ考えません。
いい機会だったなあ…と思いました。

一番心に残ったこと、
すぐにでもやっておこうと、思ったこと。
『納得の遺影を用意する』
       
コメント (4)
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泣いたり笑ったり・・・・(復活、その2)

2016年06月21日 | 介護
母が通う
小規模多機能型居宅介護施設は
6月1日の開所でした。


新しくできた施設で
それに合わせて利用者を募集していたので
母は運よく、そこに入れてもらうことができました。


利用開始の二日前、
5月30日に退院し、
その日と次の日は、
仕事を休み、母の相手をして
様子を見ることにしました。

確かに歩行はおぼつかなく
歩行器につかまって歩く後ろから付き添い
時々「カクン」と膝が折れそうになるのを
ズボンの後ろをもって防ぐ、という補助が
歩行の際には必要でした。


母の部屋からトイレまで約7m
昼間のトイレの回数は
9回~11回(確かに多い)
(これでは看護婦さんも堪らないから排尿制限されるわけだ!)
夜の回数まで入れれば
14回~16回
往復14m×14回=196m
または、往復14m×16回=224m

食事に来るときの歩行も入れれば
一日およそ200m~250m歩いていることになり
これは、立派なリハビリになりました。


たった二日でしたが、
母の歩行は確実に安定してきました。

6月1日に、施設の職員が迎えに来たとき
自分の部屋から歩いてきた母の歩行の様子を見て
車いすを使うため、スロープの準備をしようとした私に
「いいえ、歩きましょう!」と言ってくださいました。

そうはいっても、
玄関には段差があります。
車に行くまでも、3段ほどの石段と
8個の敷石があるのです。

それでも、「歩きましょう!」と言ってくださいました。

そして、二人で母の両脇を抱えようやく車に乗せました。


あれからもう3週間が過ぎました。


母の歩行は、ゆっくりですが
自分で確かな足取りで歩くことができています。
もう、私がいつもそばについていなくても
自分でトイレに行き、
自分で部屋に戻ることができています。


母の生きる力もすごい、と思いますが
人間は、いくつになっても
訓練をすれば復活するのだということを
母を見ていて思います。

退院した当初、あちこちを痛がりました。
でも、それは病気なのではなく「筋肉痛」なのです。
90歳を超えても
筋肉痛になる母の体は
本当にすごい!と思いました。

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育てられ方、育ち方

2016年06月21日 | 仕事
仲間と一緒に仕事をするとき、
周りのみんなが忙しそうになにかをしていたら、
自分のやりたいことがあったとしても、
それは後回しにして、
みんながやっている仕事を今は一緒にやろう、手伝おう、とするのが
「当たり前」だと思っていた。
まして、それが
明日の準備だとするのなら。


目の前にある「自分個人のこと」と、
みんながやっている「全体の仕事」とを比べたら
当然、「全体の仕事」を一緒にやる方が大切だし、
なにより、
チームの和が保てるではないか。


そうした「気づき」は、
成長するにつれ、
いろいろな経験を積むにつれ
育ってくるものと思っていたのだけれど・・・・・


決して、
自分だけ楽をしようとか、ずるをしようとか
思っているのではない。
ただ、気づかないだけ・・・・・
周りに目がいかず、気持ちがいかず
自分のことしか見えなくなっているだけ・・・・・

人は、
その育てられかたで
「気づき」の感性が培われるのかもしれない。

お手伝いを頻繁にさせたり、
親自身が示してあげたり、
自発的な行いを誉めてあげたり、
一緒に暮らし、行動する中で
親が、
「気づき」の場面を「気づかせてあげる」ことがあったかどうか・・・


そんなふうに
育てられてこなかった若者が
増えてきているのだろうか・・・・





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