『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

はてさて・・・・、やれやれ・・・・。

2024年07月01日 | 雑感

いつのまにか、6月が終わっておりましたねえ。

梅雨入りが遅かったので、

畑の草も、まだまだ…、と思っておりましたら、

ここにきて、程よい気温とお湿り(雨)で、

一気に雑草が目立つようになりました。

 

春から高めだった気温のせいか、

梅の成長もいつもの年より早かったようで、

草取り真っ盛りの最中に、大町から梅が届きました。

梅も生ものですから、放っておくわけにもいかず

草取りをいったんやめて、

梅の処理をしました。(梅干しだけですけれど・・・)

たった、6.5キロなんだけれど、

へたを取ったり、桶を出して来たり、

酢やらリカーやらを買いに行ったりして、

梅の処理で一日が終わりました。

 

だんだん、体が重くなって(年齢的にも、重量的にも・笑)

「ずく」もなくなって、

梅を漬けるの、もういいかなあ・・・、なんて

思ったりしています。

 

でも、姉は、

自分ちの梅の木から、60キロもの梅をもぎ、

あちらこちらに送り、

自分も30キロを超える量を、

梅干しやら、甘いカリカリ梅やらをつけるので

年下の私が、

甘ったれたことを言っていてはいけないなあ、

と反省も、しているところです

しかし、いかんせん、体がなあ・・・・・。

 

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火事の原因は・・・・

2024年06月18日 | 雑感

この間の住宅火災の原因は、

「仏壇の線香」だ、ということです。

 

昨年だったか、あの田中真紀子氏のお宅が火事になったことがありました。

あの火災も、原因は「仏壇の線香」だったようなことを言ってましたっけ?

 

ふ~む?

あの「線香」で、はたして火事が起こるんだろうか?

と、近所のおばちゃんたちと話しています。

どこのお宅にも「仏壇」がありますから。

 

「周りに、燃えやすいものが置いてあったのかねえ。」

「あたしは、あの田中邸の火事の原因が線香だと聞いて、

 それからは、線香を長いまま上げるのではなくて、半分に折るようにしているよ。」

「線香はめったに倒れない物なのにねえ。」

「ろうそくは、もう長いのはやめたの。短いのだけ。」

 

皆さんの工夫や知恵を、私は黙って聞いておりました。

 

因みに我が家も、あの田中邸の火災ニュース以降

火事が怖いので、ろうそくも線香も上げません(笑)

気が向けば上げますが、それでも、

ろうそくは、線香に火をつけたらすぐに消し、

線香をあげたときは、燃えるまで家の中にいるようにしています。

 

お寺巡りが好きなので、行った先々で

飾りろうそくや、線香を買い求めてきていますが

使わないので溜まっていく一方です。

 

 

 

 

 

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「自助努力せよ」ということか?

2024年06月09日 | 雑感

隣の地区で、大きな火災があった。

隣の地区、といってもうちの常会と隣り合わせ、

地区は違っても当然顔見知りだし、

隣接している(と言っても100メートルほど離れているが)家同士は当然交流もある。

我が家からも、数百メートルほどしか離れていない。

 

お昼時、街からの帰りに

我が家の方角から、大量の、異様に黒い煙が立ち上るのを見つけ

「あれは、絶対火事!」と、大急ぎで駆けつけたが、

人は誰も出ていない。

消防署に連絡はしてあるのだろうか?

どうして、人っ子一人いないのだろう?

 

「ねえねえ、119番したほうがいいよねえ。」

「もう、誰か、しているだろう?」

「だって、誰もいないじゃん!!」

 

そんなやり取りを主人としていると、

ようやく広報がアナウンスされ、

それを聞いた人たちが、慌てたように家から飛び出してきた。

すぐ近くの家の人ですら、「全然気づかなかった。」と言っていた。

古い木造住宅のせいか、あっという間に火が広がる。

 

広報が鳴れば、通常、近くの在宅している消防団員が駆けつけるのだが、

運が悪いことに、今日は団員たちの訓練の日で、

どこかに集まって、訓練中なのだという。

まだ、消防車は一向に来ない。

サイレンの音すら聞こえない。

 

数年前、天竜川沿い(国道沿い)にあった市の消防署は、

手狭になり、老朽化したこともあって上の段に移転した。

移転する際、消防署は広く上伊那地区をカバーする

上伊那広域連合管轄になって規模が大きくなり、

あらためて、各市町村に存在する消防署の出動する地区、範囲が定められた。

その際、うちの地区(天竜川から東、三峰川から南)は「高遠消防署」の管轄となった。

(大規模火災の時は、東伊那からも来る。)

以前の消防署からだったら、10分もあれば到着したものが、

高遠からは、優に20分はかかるのである。

 

広報を聞いて家から出てくるのは、じいさん・ばあさん、

それにお休みの子どもたち、母親たちが多く

そんな私達では、手の施しようがないが、

消防自動車はまだ来ない、消防団員も誰もいないとわかると、

何人かの「元消防団員」のおじさんたち数人が集まってきて、

Tシャツ・Gパン、あるいはスウェット、サンダル履き姿のままで

常会敷地外れに設置されたホース格納庫を開け、消火栓につなげ

昔取った杵柄、現役さながらの号令や合図で、消火を始めてくれた。

 

だが、たった1本のホースからの消火では、到底間に合わない。

 

私達が駆けつけてから20分ほどして、ようやく消防車が来て本格的な消火活動が行われた。

 

「火災発生」の広報第1報は、12時14分、

鎮火のお知らせは、15時47分だった。

 

「家のベランダから見守る」

 

もし、我が家が火事になったら・・・・・、

 

戦後まもなく、この常会には3つの貯水池が作られたが、

汲み上げるポンプは、ポンプ小屋から団員が持ってくるほかなく、

その作動は、知識のある団員しかできない。

 

手っ取り早いのが、消火栓だけれど、

今日のような土曜日や日曜日ならいいけれど、

若い団員や経験を積んだ中年元団員も、今はまだ働き盛り。

ポンプの出し方も、消火栓へのつなげ方も知らない

老人達ばかりの平日だったらどうしたらいいの?

 

「こりゃあちょっと、何か考えなくちゃあいけないねえ。」

「消防車が来るまで、自分たちでなんとかしなきゃあ、かねえ。」

「まずは、火を出さないこと!」(もっとも!!)

 

見守ることだけしかできなかった、じいさん、ばあさんたちの会話なのでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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氏子の誇り

2024年05月06日 | 雑感

北口本宮富士浅間神社と東口本宮富士浅間神社は

山梨県側にあります。

最後に参拝する予定の富士山本宮浅間大社は、

静岡県富士宮市にあるので、

富士山の裾野をぐるっとめぐる国道469号線で

富士宮を目指すことにしました。

 

すると、その途中で主人が

「須山浅間神社」の案内板を見つけたので、

「時間もあることだし・・・」と、そこに寄ってみました。

川沿いにある須山浅間神社は、また「南口」とも呼ばれ

昔は、こちらからの登山客が多かったようでした。

登山客、といっても富士山で修行する修験者の皆さんです。

そして、「東口本宮富士浅間神社」のある登山口(今は、須走口と呼ばれている)に

下山していたのだそうです。

 

 

近年改修された本殿は、それほど大きくないけれど

樹齢500年を超える老杉に見守られて

静に佇んでいました。

 

「説明板」の中に、

曽我稲目(蘇我馬子の父)が再興した、とあり

多くの武将の崇敬が篤かった、とあります。

源頼朝、武田信虎・勝頼、今川家代々の当主、そして小田原城主。

 

源頼朝が富士の裾野で鷹狩りをした、という話は有名ですし、

武田家はこのあたりがおひざ元、

今川家もまあ、このあたりだから違和感はないものの、

小田原城主がたびたび参拝に訪れた、というのがちょっと腑に落ちなかったので

ガイドの方(氏子のボランティアガイド)に質問してみました。

 

江戸時代まで、ここ(裾野市)は、小田原藩の領地だったそうで、

明治の初め、廃藩置県で

箱根の山が境界となって、静岡県、神奈川県に分かれてしまった、とのこと。

言ってみれば、小田原藩内の神社だった、ということですね。

 

そして、もっと面白かったのは、

「箱根の芦ノ湖の水利権を裾野市長が持っている。」という話。

江戸時代(小田原藩が治めていた頃)

駿東郡深良村(現在の裾野市)の名主が中心になり、

灌漑用にと外輪山の下にトンネルを掘って用水路(深良用水)を完成させた、

のだそうです。

「それで、あの芦ノ湖の水利権は、裾野市長が持ってるんですよ。」

と、とても誇らしげに話してくれました。

 

ちょっと寄ってみるか、と尋ねた須山浅間神社は、

思いもかけず、

情報盛りだくさんの興味深い神社でした。

 

 

 

 

 

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昭和の女なので

2024年04月07日 | 雑感

いまどき、

入学式だからとお赤飯を炊いて、

お祝を頂いたお宅に配るって、

そんな古臭いこと、やらないかもしれない。

紅白饅頭のほうがいいか、とも思ったけれど、

やっぱり、お赤飯、がいいじゃんね。

と、昭和女は「お赤飯」に拘る。

 

そして、

かあかの実家には「重箱」に入れて。

この「重箱」

チーちゃんが生まれたときの「引出物」。

木曽漆の結構な重箱。

いまどき、引出物に「重箱」なんて、

これまた、昭和女の考えそうなことだね。

 

一度だけ、何かの折に

重箱をかあかが使ってくれたようだけれど

それっきり、納戸にしまってあったので、

こんな時に、と

それにお赤飯を入れて、

実家に持たせてやりました。

 

母がやっていたことを、

あまり疑問にも思わず、真似してるのだけれど、

こんなことは、

これからの若い世代はやらないんだろうな、

と思う昭和の女でした。

 

 

 

 

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