隣の地区で、大きな火災があった。
隣の地区、といってもうちの常会と隣り合わせ、
地区は違っても当然顔見知りだし、
隣接している(と言っても100メートルほど離れているが)家同士は当然交流もある。
我が家からも、数百メートルほどしか離れていない。
お昼時、街からの帰りに
我が家の方角から、大量の、異様に黒い煙が立ち上るのを見つけ
「あれは、絶対火事!」と、大急ぎで駆けつけたが、
人は誰も出ていない。
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消防署に連絡はしてあるのだろうか?
どうして、人っ子一人いないのだろう?
「ねえねえ、119番したほうがいいよねえ。」
「もう、誰か、しているだろう?」
「だって、誰もいないじゃん!!」
そんなやり取りを主人としていると、
ようやく広報がアナウンスされ、
それを聞いた人たちが、慌てたように家から飛び出してきた。
すぐ近くの家の人ですら、「全然気づかなかった。」と言っていた。
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古い木造住宅のせいか、あっという間に火が広がる。
広報が鳴れば、通常、近くの在宅している消防団員が駆けつけるのだが、
運が悪いことに、今日は団員たちの訓練の日で、
どこかに集まって、訓練中なのだという。
まだ、消防車は一向に来ない。
サイレンの音すら聞こえない。
数年前、天竜川沿い(国道沿い)にあった市の消防署は、
手狭になり、老朽化したこともあって上の段に移転した。
移転する際、消防署は広く上伊那地区をカバーする
上伊那広域連合管轄になって規模が大きくなり、
あらためて、各市町村に存在する消防署の出動する地区、範囲が定められた。
その際、うちの地区(天竜川から東、三峰川から南)は「高遠消防署」の管轄となった。
(大規模火災の時は、東伊那からも来る。)
以前の消防署からだったら、10分もあれば到着したものが、
高遠からは、優に20分はかかるのである。
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広報を聞いて家から出てくるのは、じいさん・ばあさん、
それにお休みの子どもたち、母親たちが多く
そんな私達では、手の施しようがないが、
消防自動車はまだ来ない、消防団員も誰もいないとわかると、
何人かの「元消防団員」のおじさんたち数人が集まってきて、
Tシャツ・Gパン、あるいはスウェット、サンダル履き姿のままで
常会敷地外れに設置されたホース格納庫を開け、消火栓につなげ
昔取った杵柄、現役さながらの号令や合図で、消火を始めてくれた。
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だが、たった1本のホースからの消火では、到底間に合わない。
私達が駆けつけてから20分ほどして、ようやく消防車が来て本格的な消火活動が行われた。
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「火災発生」の広報第1報は、12時14分、
鎮火のお知らせは、15時47分だった。
「家のベランダから見守る」
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もし、我が家が火事になったら・・・・・、
戦後まもなく、この常会には3つの貯水池が作られたが、
汲み上げるポンプは、ポンプ小屋から団員が持ってくるほかなく、
その作動は、知識のある団員しかできない。
手っ取り早いのが、消火栓だけれど、
今日のような土曜日や日曜日ならいいけれど、
若い団員や経験を積んだ中年元団員も、今はまだ働き盛り。
ポンプの出し方も、消火栓へのつなげ方も知らない
老人達ばかりの平日だったらどうしたらいいの?
「こりゃあちょっと、何か考えなくちゃあいけないねえ。」
「消防車が来るまで、自分たちでなんとかしなきゃあ、かねえ。」
「まずは、火を出さないこと!」(もっとも!!)
見守ることだけしかできなかった、じいさん、ばあさんたちの会話なのでありました。