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風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
忘れないうちに 忘れないように
短い言葉でメモ memo   
       

私の好きなイギリスの詩人 クリスティナ ロセッティとつながる人々

・画家・詩人ダンテ・ガブリエル・ ロセッティは兄 ・西條八十 ・三井ふたばこ(西條嫩子) ・宮澤賢治  ・金子みすず

好きだったよ、杉浦日向子さん

2005-09-09 | 林の詩・文
私が入院する前、家に来た下の娘がいった。
「お母さんの好きな人死んじゃったね、杉浦日向子さん」

杉浦さんを好きと周りに言っていたことはすっかり忘れていた。
NHKの『お江戸でござる』では、
ふっくらした頬とおっとりした話かたで江戸を話す彼女が好きだった。
着物姿や髪型も魅力的だった。

「嫌いとか好きとか、お母さん達はいい過ぎる」と
義理の親と同居の上の娘にいわれたことがある。
周りに気わつかって暮しているのだ。

が、私はこれからも「好き」を言い続けて過ごすだろう。
口に出すことによって繋がる関係もきっとあるはずだから。

お墓参りとアイスキャンディ

2005-08-13 | 林の詩・文
子供の頃 夏のお墓参りが楽しかった。
暑い道を歩いて 疲れた私たちに
母はアイスキャンディを一本ずつ 買ってくれた。
ワリバシのまわりに色の付いた四角い氷。
ピンク、黄色、水色、白。
どんな味だったかは忘れてしまった。
一年に一回だけのアイスキャンディ。

店先のアイスキャンディ製造機のふたを開けると 
ふわっと白い湯気みたいなのが出てきた。
あれは 今 思うと氷の粒。

お墓参りは楽しかった。

鮮やかな夏服にさようなら

2005-08-09 | 林の詩・文
仙台では七夕が過ぎると
どんなに気温が上がったとしても
秋の気配

彩度の高い水色や青は似合わない
真っ白も浮いた感じがする

ベージュっぽい白
薄茶色 茶色 黒 彩度の低い青などが空気に合う

まだまだ暑いとしても
鮮やかな夏服にさようなら


8月は 6日 9日 15日

2005-08-06 | 林の詩・文
はちがつは
むいか
ここのか
じゅうごにち

ーーー誰の短歌かわかりませんーーー


今日8月6日は広島に原爆投下された日
8月9日は長崎に
15日は終戦記念日


60年前の8月、私は5歳だった。
敗戦の日のことはあまり覚えていない。

まだ田舎に疎開していて
あの日、みんなで野良に出ていたのかもしれない。
ラジオの前にみんなで座って天皇陛下の声を聴いたという記憶はない。

子どもだった私が覚えているのは 田舎で自然の中で遊んだこと。
自然の中にいた記憶。


また、いつごろ戦災を免れた仙台の借家に戻ったのかも覚えていない。
ただ仙台駅から西公園まで見渡せたのは覚えている。

戦地から帰ってくる父を「O 橋」まで母に言われて迎えにいったのも覚えている。
みょうに気恥ずかしかった。




続く・・・

七夕祭り

2005-08-05 | 林の詩・文
明日から七夕
地元の人は あまり行かないのではないかしら。
あまり人が多すぎるから 歩くのも大変。
一度行けばいいとおもってしまう。。。と思うはわたしだけか~?

大人は 暑いし混雑するしで行きたくないけど小さい子や若い人は
それなりに楽しいのだろうと先日来た6歳の二人の話を聞いて思った。
二人は七夕に行ったことを思い出して
「フーセンの犬をほしがったね」「アイスたべたね」と話していた。

おととしの夏、上の娘が子たち小1と4歳二人をつれて見に出るというので 
結婚したばかりの下の娘を誘い 親子3代7人で出かけたのだった。

子どもには七夕飾りの何が見えたのか わからない。
抱っこしなくては見えない飾り。
でも 子どもは大人が思うよりも 別のところで楽しんでいるのかもしれない。

私自身子どものころは楽しかった。街に出ることはほとんどなかったし
まして夕方からの外出。
でもアイスも何も買ってもらわなかったような気がする。
貧しかったから親に欲しいとはいえなかった。
(親は七夕料金ってあるんだよといっていたし。今はそれはないようだ)

飾りは戦後しばらくはビニールも使われていたような記憶がある。
このごろは豪華な和紙。(終わったらどうするのだろう?)

七夕飾りの吹流しをかき分けて歩くのが楽しいのに
このごろは飾りがかなり短くなって
頭の上くらいの長さものが多くなった。

また 昔は「仕掛けもの」があったけどこのごろは1つくらいしか見ない。
仕掛けを必死に動かしている人を見るのが好きだった。

七夕祭り中 必ず雨が降るというジンクスがあるけど今年はどうだろう。
暑ければ 冷たいものが沢山売れるだろうな。

七夕ではないけど学生のときの合宿で小さな集落の小さな盆踊りに出合った。
その集落全員が出てきたような 素朴で 楽しいまつりだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

冬は苦手な私だけど、12月の「ひかりのページェント」のほうが好き。


ある8月の思い出

2005-08-04 | 林の詩・文
遊びにきた6歳の二人の孫が「八月ってどういうの?」「どういう月?」としきりに聞く。
はじめは 何故そういうことを言うのだろうと思った。
「七夕とか 夏祭りとかある月だよ」と答えたが
きっと親たちが「八月は・・・」と よく口に出すのだろう。

例年行ってる家族旅行は仕事の関係で休みが取れなくていけないそうだ。
退屈する小3のお兄ちゃんは 「公文」の夏休みだけの教室に通うそうだ。
サッカーも始めるらしい。

そういうことを耳にして、『八月はいつもと何か違う月』と感じたのだろう。

我家の八月の思い出といえば20年前の八月のこと。
上の娘(高校3年)が七月四日に学校の体育の授業で膝を痛めて、そのまま入院してしまった。
例年なら 家族旅行に出かけるけれど不可能になった。

それで 旅行にもいけない下の娘(小2)のために『ペンションごっこ』をした。
・・・部屋を替えて 気分を変えて お泊りする・・・
七つの部屋があったので一週間かけて一回り。それを繰り返した。
お出かけはお姉ちゃんのお見舞いにバスと電車に乗って。

その夏だったのだ。JALのジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落したのは。
助かったのは数人だったと思う。ほとんどの方がなくなった。坂本九ちゃんも亡くなった。


続く・・・
(上の娘は 9月末まで入院。その後も再入院を繰り返した)

「たい」の断片

2005-07-15 | 林の詩・文
地平線の見える
どこまで行っても
みどりの草原に行ってみたい
そこの大気の流れを見たい

高い山にのぼってみたい
星座を全部おぼえたい
世界一周してみたい
日本一周してみたい

タテゴトをひいてみたい
油絵をかいてみたい
童話をいっぱい読んでみたい
花の中で暮らしたい


誰もいないしずかな所で
一日中イントン者のような
生活してみたい


ーーー高校卒業記念のクラス文集の中のアンケート・<このごろ思うこと>に書いたものーーー
    (受験勉強で頭ががちがちになっていて、反動で「たい」ばかり追っていたようです)
   


あれから50年近く過ぎて
1連目は同じ 
2連目は無理だった

3連目はタテゴトは完全な夢でしかなかった。
  楽器でかろうじて曲になるのはハーモニカだけ。
  油絵は描いた。

最後、もう そのように思わなくなった。
というより今はもうほぼ隠遁者。

ある夕べに

2005-07-14 | 林の詩・文
はまなすの香と
波の音と・・・
夕闇はつつんでいく

薄青いベールは
もう
あけることはできない

私は水際に足跡をつけ
波はそっとそれをけす

何も見ないで
何も考えないで
ひとり歩いた


---「疎開のころ」と同じ18歳のころの詩ーーー

疎開(そかい)のころ

2005-07-10 | 林の詩・文
キツネが裏庭でないた
崖のアケビを採って食べた
ポトサケタが飛んでいった
バタンキョウはすっぱかった

雪は深かった
いろりはけむかった
池のクワイを焼いて食べた

岩山を越えて
食べられる草を探しに行った
かあさんが足を怪我した
山は寒かった
ヤマバトがないた
シラユリが悲しかった

暗やみに
高橋の家の空が赤くなった
「センダイがやけた」
と かあさんがいった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーーー昭和34年2月高校卒業記念に発行したクラス文集に載せたものですーーー

60年前の今日7月10日に仙台空襲がありました。
私は母の実家の田舎に母と姉と3人で疎開していました。
弟はその2年前に疫痢(えきり)で亡くなっています。

母は苦労したと思いますが
私は自然の中ですごした楽しい経験の連続でした。
「ポトサケタ」はホトトギスのことです。

『高橋の家』というのは みんながそう呼んでいた大きな家。
その家の空が赤くなったのでした。
飛行機 B29の音で外を見たのだったのでしょうか。

仙台から かなり離れていた所だったのに空が赤く見えたほどの空襲。
   仙台の中心部はすっかり焼けました。 

父はジャワに行っていました。
今は観光地としての国も 
私にとっては長い間、戦地というイメージが強かったのでした。

パソコンより庭に目がいく日々

2005-06-22 | 林の詩・文
以前は庭に出るのが好きだったけど
パソコンをし始めてから 
どうも庭に出るよりパソコン机に座る時間が長くなっていた。

家事の合間にパソコンではなく
パソコンの合間に家事をしているのではないか?
と夫に言われたこともある。

そういうわけではないけど と言い訳しても
実際はパソコンのトラブルなどが起きると
解決するまでパソコンに向かわざるを得なかった。

よくトラブルを起こすパソコンだった。
パソコンをするのは我家では私が主で、
結婚した娘たちも仕事のソフトを使うだけだったので、
トラブルが出ても頼りに出来なかった。

夫は仕事先で
ヤフーで情報を見たり、仕事上の検索をしているらしいけど
このパソコンにはノータッチだったというより
パソコンの詳しいことはわからないお方。


さて我家では 数年前から計画していたことがある。
『ワン君が亡くなったら 大きく生活を変えること』 
かなり 私にとっては大決心しなければならないこと。

「しなければしなければ」と思っていても動かなかった身体だった。
が『ワン君は15日に天国へ』でようやく片付けモードに入った。

パソコンから庭に目がいくようになった私。
部屋も片付けよう。
いらないものを処分しよう。
もともと処分、片付けは苦手分野だからはかどらないけど。

「どうかパソコンが不安定にならないように」と願っている。

メモ::昨日(0621)は 家の東側を掃除&ヤブランをかなり抜く。 
    東南の隅は森のようです。

「二人を残して逝ってしまった」

2005-06-16 | 林の詩・文
今朝 起きて来た夫が
「二人と一匹だったのが二人だけになったね」といった。

下の娘が5年前に家を出てからは『二人と一匹』だった。

朝、必ず小屋の周りを掃除し、飲み水を取替えていた夫。
餌がなくなると買いに行こうと私を誘いシニア向けのを選んでいた。
そういう夫を見て、人は愛情を向ける対象が必要なんだと感じていた。

もう二人だけ。

庭を見ると 
まだ庭の犬用の小道を歩いているような気がする。
庭の水道のところに行くと 
犬用の汲み置きの水を嫌って 
水道の下のバケツの水をぺちゃぺちゃと音を立てて飲んでいた姿を思い出す。
カナヘビを追いまわして草のもぐりこんでいた姿。
猫が家の裏を通ると吠えながら庭を東側と西側へと何度も往復して
必死に走っていた姿。

彼は最後に何を見ただろう?

昼、小梅を採ってる私をアジサイの下に横たわっていて見ていただろうか。
庭の手入れをしてた私を見ただろうか。
アジサイのはつぼみを見えたのだろうか。

5年ほど前のことだ。
夜 空を見上げて星を見ていたこともあった。
犬なのにと思った。

梅雨に入る前の夜の空には星が出ていただろうか、
あの夜 私は庭には出たけれど空はみなかった。

夫に「かわいそうだったね」といったら
「天寿を全うしたんだ、かわいそうじゃない」といった。


アジサイのつぼみの写真を撮ろう。
小梅で梅酒を作ろう。
彼を思い出しながら手を動かそうと思う。
     
          
(2005年6月16日)

老犬(17歳と6ヶ月)死去

2005-06-15 | 林の詩・文
夜中の1時半ごろ 犬の声がかすかにしたので起きて様子を見に行く。
夕べ寝ていたところから外れて 寝ていた。


我家の飼い犬は1987年11月23日生れで、
17歳と6ヶ月は過ぎて人間で言えば86歳にあたるという。

鎖で若いころはつないでいたけど、鎖が重く動けなくなり、
紐にしたのが1年前だったか。
その後、紐も足に絡みつき動けなくなるので庭で放し飼いにしていた。

昨日は
アジサイの下に敷いたシートにうずくまってほとんど動かなかった。
水飲み場に自分から行かなかったので、水を与えたけれど飲まなかった。
「ポカリ」を入れた器を口までもっていったらぺろぺろとなめた。

固形の老犬向きの餌は朝から食べなかったので、
ポカリで浸して口までもって行ったら それは食べた。
11日の土曜日に上の娘が買ってきた缶詰も与えたら それも食べた。

その後も まったく その場を動くこともなく じっとしていた。

私は様子を見ながら ほとんど一日、庭にいて小梅を採ったり、
犬のための小道を歩きやすいように草をとったりしてすごした。

帰ってきた夫に「もう駄目かも知れないよ」と伝えた。
いつもなら 一日中 同じ場所にいることはなかったから。

寝る前に様子を見に行きさわると
ピクンと動いて白内障でにごった目で私を見た。

犬らしい吠え声は 1年前からしなくなっていた。
動けなくて困ったときなどは女の人が泣くような声を出していたけど、
夜中の声、いつもの人間が泣く声とも違っていた。
ゆうべ寝ていたところから外れてコンクリートに横たわっていたので
シートまで動かしてやった。ころっとウンチがあった。
動きにくくなってからウンチなどすると嫌がってかないていた。



今朝 5時前に起きてみたら動かなくなっていた。
ここ数ヶ月、朝はゆっくり ゆっくりとした胸の動きだったけど。
今朝はいつまでも動かなかった。

はこべ

2005-05-18 | 林の詩・文
   
・・・朝早くおきてね、はこべをつんでくるの。
   洗って さっとお湯に通して
   刻んでホットケーキの粉に入れてやくのよ。
   きな粉をかけて食べると 美味しいのよ・・・

かって母は電話で話してくれた。
私も真似をしたけど おいしくなかったよ。
自分の身体をいたわりながら
お金をかけないで 暮らしていた母。

   
   ある日 母は電話で言ってた。
・・・からだのためと言ってるけど
   老後に面倒見てくれる人に
   お金を残しておかなければならないからね・・・


生け垣にしていた笹の葉っぱと裏庭のどくだみのお茶。
ハーブを乾燥させて作ったお茶。
大根が安いときに買って来て干し大根を作ってた。
・・・冬に買い物に行かなくても これがあれば良いのよ・・・と。

はこべを見ると
質素に一人暮らししていた母の姿が見えてくる。
私は庭のはこべを抜きさることが出来ない。
食べるわけではないけれど。


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あの人

2005-05-16 | 林の詩・文
あの人は五月の若葉。
すきとおって やわらかで
みずみずしい。

さわるとプツンと音がして
青い生命が流れ出てしまいそう。

だから私はなにげなく
ほんとうに なにげなく
あの人の目をみて微笑むだけなのです。

あの人は初夏(しょか)の風に吹かれて
なんにもしらないで笑っている。
木洩れ日のように
白い歯を見せて。

その時、
あの人の目のなかで私はゆらゆらと
ゆれるのです。

ーーー1971.6---
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5月のわたし

2005-05-16 | 林の詩・文
山はナゼ 高いのかしら
誰かが私にいったっけ

そんなことはどうでもいい
・・・(高いから高いんだ)

五月の山は
緑の祭典である
このみどりの香を
そっと胸の中に入れて
私は歩くだけ
(やっぱり山は高いから高いんだ)


空はナゼ 青いのかしら
誰かが私にいったっけ

そんなことはどうでもいい
五月の空が
青く美しいのはジジツだから
私は胸をはって
空をみて歩く
(空は青いから青いんだ)

ーーーーーー19歳のころーーー
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世の中のことが わからなくなっても
わからないことをわからないとしながら 生きていかなくてはだめなんだなぁと
おもいながら 書いた詩。「ジジツだから」なんていう言葉は青臭くて今は使えません


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