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風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
忘れないうちに 忘れないように
短い言葉でメモ memo   
       

私の好きなイギリスの詩人 クリスティナ ロセッティとつながる人々

・画家・詩人ダンテ・ガブリエル・ ロセッティは兄 ・西條八十 ・三井ふたばこ(西條嫩子) ・宮澤賢治  ・金子みすず

幸せってなあに

2006-01-24 | 林の詩・文
高校の一年の時、先生がおっしゃった。
「この高校に入れたからって、将来、幸せになれるとは言えないんだよ」

入れて嬉しいと思っていた私には、よくわからない言葉だった。が、忘れられない気になる言葉だった。

希望する高校、大学、各種学校、会社に入れても、のぞんだ結婚ができても、それだけでは『幸せ』にはなれないことを今になると判る気がする。

お金に関して考えると、お金それだけでは『幸せ』になれないようだ。そういう例をいくつもみてきた。

『幸せ』はお金では買えない。
『幸せ』はたぶん心の分野。
お金では心を買えない。

お金で買えるのは『欲望』の部分かもしれない。欲望をみたすことを幸せと感じる人もいるだろうけど。

しっぺ返しは必ずおきる。

それにしてもホリエモンが哀れでならない。

なにがーどうしてといわれると答ようがないけれど。

芝生の中の道

2006-01-21 | 林の詩・文
芝生を横切れば近い
たいていの人が通るから
芝生に道ができたよ

芝生に入っていけませんとは
どこにも書いてない

書いてないから、
近道のために芝生に出来た道

芝生が可哀相で芝生を歩けなかった私は
きまじめで変な人っていわれたわ

むかし、むかし、二十歳のころ



1995年(平成7年)1月17日・メモ

2006-01-17 | 林の詩・文
この年は 忘れられない年。

阪神淡路大震災が起きた時間から何時間かたったころ、
私は大学病院の待合室にいた。

テレビ画面に燃えている家などが映っていた。
座っているイスはTVから遠くだったから よく見えなかった。
あんなにひどい災害だったとはその時点で知らなかった。
6434人の犠牲者。


オウムの事件もあった。

それらの事件とは関係なく桜が咲いている時期に
姉が死去した。

それから2週間したころ いとこが死去した。

1995年を境にして 私の周りが少しずつ大きく変わって行った。
姉が亡くなってから 母は姉の死を強く感じ、体調が悪化しはじめた。

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一昨年、神戸に行ったが
テレビや新聞で見た災害の後は全く見えなかった。
歩いている限りは。

人の心の悲しみは目に見えない。

封印・早春

2006-01-16 | 林の詩・文
1・ 封印  

  悲しみ・苦しみ・疑い・
  そんな言葉を封印して
  春を迎える

2・ ひらがな-1 (きごう)  

  一つ一つは意味をもたない
  ひらがな・・・きごう・記号

  「あ」  「い」
  
  一緒になると 
  どうして意味が出てくるのだろう 
  たとえ
  一人一人の心の中で
  意味や重さが違ったとしても

3・ 女は
  
  女は感情の動物です
  
  私の言葉で
  あなたは もう とまどっている
  
  感情をぶつけられて


4・ き・え・る 

  マイドキュメントに入れてあった
  言葉が 消えた
  
  私の過去が消えました


5.落としたもの  

  ころころと転がっていく
  落としたもの

  後で拾おう

  やがて忘れて見えなくなる
  大事なものだったけど

 
6・ひらがなー2 
  
  ひらがなは
  心やすらぎます
  ほのぼの、丁寧、ゆるやか

  ひらがなほど読みやすくて
  緩和な言葉はない



 ・・・2001の早春の作・・・

いない

2006-01-08 | 林の詩・文
いつのまにか
いなくなってしまったつながっていた人

あの夏の日
一緒に投げたコイン
階段でたべたアイスクリーム
街角の小さな店で皆でのんだワイン

「こんど飲むよ」と短いメールに
みんなであつまって飲んだね

夜桜見に連れていってと頼んだら
「お安い御用」と言った春
街で酔いすぎて
その願いはかなわなかったけど

再びの夏
皆でまたあつまった

新しい仕事に打ち込んで
「死ぬほど忙しい」と嘆いていた人

それから一年
私に友達だといっていたのに
なにも言わずに
どこかに消えた





雪。今、昔。

2005-12-23 | 林の詩・文
雪が降り積もりそうにない所も大雪で各地、交通マヒや停電で大混乱のニュース。
電化が進んで便利になった反面、電気がないと暖房も食事の用意も出来ない。
新潟の方々を気の毒に思う。

寒がりの私はしばらく使わないでいた石油ストーブを出して点検した。
消火がいまいちで地震が発生したら危険。新しいのを買わなきゃ。

終戦直後、子供のとき二年ほど山形に住んでいた。暖房は炭のこたつと火鉢。
雪は多かった。腐らせたくない食べ物は庭の雪の中に母は入れていた。

私達子供はすべり下駄をはいて外遊びした。
雪が多く寒いはずなのに ちっとも寒くなかった あのころ。


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上の文は昨夜はケータイから投稿ました。今、手直ししてます。
ケータイからだと250字しか書けません。
絞って書いても「しり切れトンボ」になってしまいます。

電池がこのごろすぐに電池の残量が少なくなってしまい、
毎晩 充電していますが新しいケータイにしたほうがいいのかも。
今度買うときは写真が取れるのにしたい。
デジカメも調子が悪くなったから。

年齢のためか寒さが苦手になりました。
冬は熊のように冬眠したい私です。
今住んでいるところが私の居住地の北限です。

サンタクロースがいたころ

2005-12-16 | 林の詩・文
サンタクロースがいたころ
私は幸せだった。
プレゼントをもってこなかったけれど幸せだった。

なぜなのかは 分からない。
どんなに寒くても「鳥のもも肉」などがなくても幸せだった


小学校4年のころだったと思う。
姉と近所の同じ年頃の人たち5~6人と15分ほど歩いてから電車にのって
M高校という私立高校に「クリスマスの夕べ」のような催しがあっていった。
今の時代だったら子供同士で夕方に遠くまで出かけるのはとても危険でゆるされないだろう。
そのころはサンタクロースはいた。私のところに来なくても。

あの幸せなころに戻りたいけど無理な話。


母はもう寒くない

2005-12-13 | 林の詩・文
とても寒い日が続いています。
これまでは寒い日、母のことをいつも心配していました。

母は他の人がそんなに寒いと思わないときでもとても寒さを感じる人でした。
それなのに「昔の生活に較べれば我慢できる」と言って暖房も倹約していました。
2000年1月に倒れる前の話です。

2000年に倒れてから2002年6月まで病院や施設で過ごし、
その後は妹の家に行きました。妹の家族とは初めての同居でした。

母に似て私も寒がりです。寒い日はあいかわらず心配していました。
妹は暑いのが苦手ですが寒さには強く、寒さを感じる人のことは理解できないのでした。
部屋が寒くても「言わないでいいから」と遠慮している母でした。
母は ちょっと重めのお布団を使うのが好きでした。襟元は暖かくくるんで。
でも「毎日一緒に暮らしている人が一番分かる」と言われて薄い軽い布団になりました。
私は母に会いにいくたびに、母が寝ているときは襟元をくるんで空気が入らないようにしてやりました。
私自身 そうすると暖かかったから。


もう 母は寒さを感じない世界に行きました。
きっと クリスティナ ロセッティの詩のように
穏やかな薄明かりに中で ふわふわと暖かくすごしていることでしょう。

思い出される限り死んでも生きています。


土曜日、喪中の知らせで母の死を知った同級生から次のようなハガキが来ました。

「学生時代、私がお正月に帰省しないでいる時、ご自宅に招待していただき、
家族のように接していただいたお母様の暖かい笑顔を思い出しました・・・・」

母は皆の心の中で生きています。

大事なことは忘れてはいけない

2005-11-17 | 林の詩・文

大事なことは くり返すこと
忘れてしまうから くり返し くり返し 
大事なことを忘れないように思い出そう


口に出してしまって後悔した
書いてしまって後悔した
関係ない人に私の困ってしまった心をうち空けてしまって 

ごめんなさい いやな思いをさせてしまったね


くり返してして 思い出すことを忘れていた
大事なことを忘れていた


赦すということは神様だけができることなのでしょうか



秋の恋

2005-09-16 | 林の詩・文
遠いむかし
わたしが恋した少年は
通りすぎるとき
わたしの肩にそっとふれた
なにもいわず微笑んで
ただ それだけの恋
透き通った秋の恋





ーー2005・9・16 作ーー

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