カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

ガンビア情勢

2017年01月23日 14時04分42秒 | 海外

西アフリカのガンビア国をGoogleEarthで表示しました。

クーデターで獲得した政権

長期にわたって独裁し続けたガンビアでしたが、つい先日2016年12月の大統領選挙で独裁者が負けたようです。

しかし負けた大統領は、2017/01/17の任期切れ後も大統領職に居すわり、同日非常事態宣言を出して、周辺国からの軍事侵攻に備えたところだったので、どうなるのかと心配しておりました。:NHK 2017/01/18

しかし2017/01/21になって

ようやく退陣すると表明したようです。詳しくは分かりませんが、周辺国からの説得に従い、マトモなイスラム教徒らしく政権を手放し、どこかへ亡命することになったのでしょうか。とにかく一安心です。:NHK 2017/01/21

なぜアフリカの小国に関心をもつのか、ですが

それは、韓国や中国、そしてアメリカの現状をすることで、日本が運命を切り開いていく時のヒントが見つかるはずだと、思っているのと、同じことなんです。

それは、チンパンジーや海底に住む何でもなさそうな動植物を研究することで、何か人類にとって役立つことがあるはずだ、という趣旨にも通じるものがあります。

もうひとつは

ガンビアの北側にあるダカール(セネガル)がパリ・ダカールで知られた場所だったからなのかも知れません。このモーターレースは、そのルートが毎年のように代わることでも知られていますね。

さらには2020年の東京オリンピック時に滞在することになるアフリカ諸国をも想定しているようです。

2002年のサッカーWCで、ガンビアのずっと東にあるカメルーン代表が大分に滞在したことにも関係するのでしょうか。

それともう一つ思い出すのは、台湾との関係です。 


台湾と断交したガンビア、中国は「接触ない」 

【台北=比嘉清太】台湾外交部は15日、西アフリカ・ガンビアから外交関係の断絶を通告されたと発表した。

2008年に発足した馬英九マーインジウ政権下での断交通告は初めて。台湾と外交関係を持つ国は22か国となる。

1971年、中国との「一つの中国」を巡る代表権争いに敗れ、国連を脱退した台湾は、経済援助と引き換えに外交関係を持つ国を確保しようとし、これに反対する中国と奪い合いを演じた。台湾は劣勢の一方だったが、馬氏は「外交休戦」を提唱、対中融和に転じた。中国も応じたため、外交関係を持つ国の減少に歯止めがかかっていた。

断交通告について、ガンビアは「国家の戦略的利益のため」と説明するが、中国との外交関係樹立については明言を避けている。一方、中国外務省の報道官は15日、「中国はガンビアと接触していない」と述べ、中国が断交を働きかけたとの見方を否定した。

両国が外交関係を結ぶことになれば、馬氏の対中政策が見直しを迫られる局面も予想される。:2013年11月16日11時37分 読売新聞

4年近く前のニュースですが、ガンビアもやはり中華人民共和国の経済協力に目がくらんだか、台湾と断交させられたようです。

中国も、台湾が自分のものだとか海洋進出などがなく、諸外国と協調していくならば世界から受け入れられるでしょうが、なにしろあんな状態ですから、国内統一はおろか、外国諸国をも敵にまわすこととなりました。もう崩壊するしかない組織なのでしょうか。 


さてさて、皆様はどう思われますか。


 


韓国の醜聞184 儒教の汚点

2017年01月23日 13時55分59秒 | アジア

自分の考えを絶対的な「善」とみなし、それと異なる意見を聞こうとしない人。

こういうことをやっているから、韓族が軽んじられています。いまでは儒教の本家・中国よりも、さらに深刻な火病(かびょう)という病(やまい)を引き起こしてしまった韓国。〔憤怒調節の困難

人の話を聞かないどころか、自分と異なる意見をもつ人を差別するに及んでは、なにをか言わんや

まるで「他人などどうでもよく、自分勝手にしゃべり続けるのが民主主義だ」とみなしているかのようです。他人の価値観などどうでもよく、自分の価値観だけが最も重要だとするのが民主主義とは・・・・・・。

「韓国人がなぜ人を差別するのか」を考える材料になりましょうか。 


人を差別しておきながら、自分が差別された

こう叫ぶ「虚しいほら吹き」は、やがてきびしい「仕打ち」を覚悟しておかねばならないようです。

誰からも見向きもされないという最悪の「仕打ち」。

世の中の人が自分のホラを信じる人ばかりではない、ということです。

ほらを吹くのは上沼恵美子に任せておこうではあ~りませんか。

確かに「ほらを吹く」ことは、まったくのバカにはできないでしょうが、しかし賢い人なら避けたがるものです。

自分の善を絶対視し、「自分以外」を否定する人

そんな人がいるとは思えないでしょうが、驚くなかれどこにでもいるものなんですね。

そしてなぜか、そんな人が多すぎる中国韓国

なぜ儒教国家に「自分の善」を絶対視する人が多いのか。

なぜ「自分の善」にうぬぼれてしまうのか。視野狭窄症(しやきょうさくしょう)と何らかの関係があるのでしょうか。

それは、正しい対応策がすべて過去にあるとし、自分がそれに熟達している、あるいはそれを是(ぜ)とする社会に生きている、からでしょう。

  • また初等教育で「考える訓練」を欠いている弊害かも知れません。
  • そして「考える」ことを禁じるのは「先輩・師匠を上回らないこと」という儒教の根本に合致します。

かくして儒教国では

過去を崇高なものとみなし、考えることを禁じているため、時代と共に「ますますひどい」社会になりますが、韓国・中国をみていると、なるほどと納得されるかたが多いことでしょう。

「歴史は繰り返される」とはいうものの、少しずつ局面は新しくなっています。巧妙に塗り替えられた歴史の例を、大きい声で叫ぶだけでは、だめなんです。

自分なりに、最善と思われる対応策を考え続けるしかないのです。

なのに過去に閉じこもり、「考える」ことをしない儒教人たち。

常に新しい時代の難問解決策を「創造」していかねばならないのに、過去に正解があるとみて探し続け新しい創造を否定するので、必然的に「自分の善」にうぬぼれてしまい、いつも相手を否定してしまうのでしょう。

きっと「考える」よりも「探す」ほうが、楽なんでしょうね。

いかに

自国の過去を美化し、自分がいかにそれに準拠しているかが、儒教では大切なのでした。そして自分や自国の歴史を美化するためには、どうしても粉飾が必要です。

歴史を客観的にみること能わず、歴史を直視できないのであり、でっちあげなければならなかった原因が、ここにあると言えます。

もし日本にそういう人がいたら、喜んでくださいね!

儒教では

目先は変えてもかまわないのですが、本質的な改善は禁止されています。

それは宗教と同じで、「あるレベル以上に疑惑を感じ始めると、社会秩序を破壊する」と社会が判断し、それ以上に疑惑をもつことが許されません。

これは長い間につちかわれてきた風習なので、一朝一夕に変えることなど出来ない(おゆき)、と思われます。

儒教で「ものごとの本質」を問わないのはなぜか?

そんなことをすれば「過去を葬り去る」ことになりかねず、先祖を否定することは「儒教の本質に反する」からでした。

「儒教の本質に反する」と、かならず儒教特有の「弾圧」が加わり、まさに鬼に金棒鉄腕アトムにエネルギードラえもんにどこでもドア、状態です。

不思議に思う人もいるでしょうが

  • 儒教に洗脳されている人たちは、自分と異なる意見をもつ人を「なんて強情なんだろうと思うらしく
  • 儒教に洗脳されていない人たちは、異なる意見を強情とみなす人を「なんて強情なんだろう」と思います

こういう場合

強情」は説得力のない言葉であり、「古代人に対する傾倒の深度」を問題にしたほうがいいのでしょうか。つまり

  1. 先祖の言動のすべてを、最重要視する
  2. 先祖の言動にも、いいところと悪いところがある
  3. 先祖の言動を、全否定する
  4. そもそも「先祖」を前提にするのが間違いで、それに関係なく、何が正しいかを多くの人が考えること

のどれがいいのでしょうね。

「人の話を聞こうとしない自分の強情さ」が自分で分るようになればいいのですが、それには「自分を疑う」という崇高さが求められましょう。それができて初めて、崇高のレベルに近づけるのでしょう。

中国では不思議なことに、常に前政権を否定しながら、古代中国を重視しているようです。

中国の王朝には易姓革命という結果論に従うことが多いらしく、前政権の関係者を皆殺しにして新しい政権を樹立する、という伝統があるようです。現在、習近平政権が「腐敗を使って腐敗を防止」しようとするのも、前政権の影響力をなくしたいからにほかなりません。

現代の韓国大統領が退任後に不幸な人生を過ごすのも、退任後になって初めて前任者周辺の不正を指摘できるという「法の矛盾」があると同時に、この中国の伝統に忠実に沿っているのです。

つまり前を全否定しながら2000年以上前の孔子を掘り起こして孔子学院などを設立するなど、中国では矛盾だらけ・揺れに揺れています。

尤も豹変は中国の得意とするところですが・・・・・・。

自分の強情さを棚に上げて他人を強情だとなじる、きっとこれは「民族の素質」なんでしょう!

これを「天にツバする」と言うかたがいます。

自分の考えを普遍的だと思うあまり、そのまま横に向かって他人に投影するのが正しいと考えるのが「まるで上に向かってツバをはき、自分自身にふりかかってくる」ように見えるのでしょうか(笑)。

そう、横に向かってツバをはいても、風向きによっては自分自身にふりかかってくるのでした!

これが

言う資格がないことを平気で言う

する資格がないことを平気でする

儒教国家には、なぜか「自分の欠点を相手に投影したがる」人が多いようです。

「自分の欠点を、放置し、あるいは認知できないまま、同じ欠点を相手の中に探し求めて、これを口汚く罵(ののし)る)」

まずは「自分が自分の事を知る」ほうが先でしょう。万が一「他人を先に知った」としても、普通は「自分のことに気がつくはず」なんですがねぇ。

こういった

  • 儒教・共産主義の欠陥が、アジア諸国の対立を激化させ
  • キリスト教とイスラム教の欠陥が、ヨーロッパの対立を激化させている

ことから、私は

  • 一神教(共産主義・キリスト教・イスラム教)または儒教が「疑惑をもつことを禁止する」のに、懐疑的です。
  • 宗教色を薄めることが、いかに大切か、ですね。
  • EU創設時の心構えもそうだったはずです。

かつては

信仰する特定の宗教がない人を「かわいそ~」とする人が多かったものですが

これからは

信仰する特定の宗教をもつ人を「かわいそ~」と考える人が増えてくるでしょう

さてさて、皆様はどう思われますか。