カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

嫉妬(その1)

2017年01月01日 04時31分40秒 | 生き方

2017年1月1日があけようとしています。皆様、新年おめでたうごぜーますだ。さっそく新年にふさわしい「嫉妬(しっと)」のお話! 


男にも女にもある「嫉妬(しっと)」。

いま「男にも女にもある」と言いましたが、江戸時代からの歴代の歌舞伎・浄瑠璃では

お初徳兵衛・・・・・・「曽根崎心中」

お半長右衛門・・・・・・「お半長」  その1 その2

お冨与三郎・・・・・・「死んだはずだよお冨さん」で有名

など「女・男」の順序が主流だったようで、近年の例外としては

宮川大助花子・・・・・・「男・女」の順

があるとのこと。それはさておき!

女で有名な嫉妬ですが、男の嫉妬は危険、ともいい

うまくバランスをとっているところをみると、日常的に誰もが経験していることなのでしょう。

なぜか漢字では、「女」ヘンが続く「嫉妬」。

女の疾病(しっぺい)は石のごとく堅固・・・・・・?

    • 疾病(しっぺい:「へい」は呉音)複合的な病
    • 傷病(しょうびょう:「びょう」は漢音)ケガや病気一般

のようですが、似たようなものですか。

そのうちに、「こんな漢字は差別ではないか」という意見が出そうですが、「もともと漢字は漢族が発明した文字であり、やむを得ない」で済ませるかどうか、というところ。

これに対して日本では、やがて他の対応がみられることでしょう。

嫉妬(しっと)」について、賢者の意見を聞いてみましょうか。


女性が事業を成功させるための資格として、美人でないことがある。美人だと、人からチヤホヤされやすく、つい自分の力を過信してしまうのと、美人はスポンサーがつきやすいので、男のいいなりになるおそれがあること、それと、美人と言うのは、他の女性から嫉妬されるので、女性相手の商売の場合これがひびいてくる。:P.72 邱永漢の商売入門 ごま書房

邱 永漢(きゅう えいかん 1924-2012)は台湾出身で、「金儲けの神様」とされる慧眼で知られています。ただしマネをしてもうまくいきませんので、あくまでも「邱 永漢」を理解する一助にしておきましょうね(笑)。

女性起業家の場合、嫉妬されないことが大切とし、女性を相手にする場合には特別に注意を払わねばならないようです。

あたってますか。


神が、あまりにも幸福なもの、とくにそれによりおごるものに対して嫉妬をいだき、必ず運命の逆転をもって罰するという考えは、ヘロドトスの歴史考察の大きな特色である。:P.185 大世界史2 古典古代の市民たち 文芸春秋 

「描かれた神が嫉妬心をいだき罰が下される」というのは古代ギリシャでよく見られます。

古代中国の神話でも、「徳を失った」王の代わりに別の「徳をもった」王が出てくる、というのですが、新しい王には「徳がある」はずであり「徳がないのではないか」という疑問はもたないことにしているらしい。これが結果論に過ぎない易姓革命(えきせいかくめい)で、誰でも言える「妄言」でしたね(笑)。

一方日本の神話(古事記や日本書記)でも、次から次へと神が登場しそのあと2度と登場しないのがいるという粗製濫造の世界でしょうか。

なぜこれほど多くの神々が生まれ、たちまち忘れられていくのか。日の神と海の神には多くの話が残されているのに、三姉弟の一人、月の神がまったく登場しないのはなぜか。さらに、古代日本における農業の重要性にもかかわらず、『古事記』が草木に無関心なのはなぜか。また、獣や魚も話の中心には登場しないなど、戸惑いの種は多い。:ドナルド・キーン「日本文学史 古代中世編1」土屋政雄訳 中公文庫 2013年1月25日初版発行

西洋生まれの人が日本の神話を読むとき、ギリシャ神話などと対応させるため、おもしろい視点が見られますね。

嫉妬心については、こんな川柳も! 

大差ある人には持たぬ嫉妬心 鎌ケ谷 ありの実

:毎日新聞 2011年5月26日 

もしこれが真実だとすると、ギリシャ神話で描かれる神は、特別な存在ではなく、その辺にいる「当たり前の」人なんですね(笑)。


ペルシア人の政治論議:

(民主主義論者)この世で最もすぐれた人物ですら、いったん君主の地位に座れば、かつての心情を忘れてしまう。現在の栄華によって驕慢(きょうまん)の心が生ずるからで、さらには人間に生得の嫉妬心というものがある。このふたつの弱点を持つことにより、独裁者はあらゆる悪徳を身にそなえることになるのだ。・・・・

市民のうちの最も下賤な者たちを好んで寵愛し、また讒訴(ざんそ)を容れるにかけては決して人後に落ちぬ。・・・・

独裁者というものは、ほどほどに誉めておくと仕えかたが足らぬといって機嫌をそこねるし、あまり大切に扱いすぎれば、へつらい者としてやはり不興をかう。・・・・

されば私としては、独裁制を断念して大衆の主権を確立すべしとの意見をここに提出する。:P.147 ヘロドトス「歴史」世界の名著5 中央公論  

たしかに世の中には、大岡越前守のような「立派な人」もいるのでしょうが、一旦君主の地位に就くと、持ち前の嫉妬心が頭をもたげ、豹変するものだ、ということでしょう。

民主主義には深刻な問題も多く混乱がつきものですが、それでも独裁主義よりもはるかに優れている、ということでしょう。 


ある人がこう言っているのを聞いたことがある。

「壷つくりは壷つくりを(ねた)む。歌うたいは歌うたいを、乞食は乞食を」というわけで、その他のものもすべて、一番似ているもの同士がいちばん相手に対して嫉妬や競争心や敵意をもち、一番似ていないもの同士が一番相手に対して友情をもつようになるのが、必然である。 :P.82 ソクラテスが語る 世界の名著6プラトン 中央公論社

同病相哀れむ(どうびょうあいあわれむ)というのは、理解しあえるという意味であり、互いに益がないどころか反発も強いとし、むしろ似ていないもの同士が友情をもちやすい、とソクラテスは考えたようです。

たしかに両極端同士の間に友情が生まれやすいと言えそうで、「その格差を埋める方向への手引きとなるはず」、という程度ならば言えるでしょうか。

現代人としてどれが一番適切かは一言では言えませんが、それぞれに一理があり、それぞれに意義がある、と思います。 


ちょっとでも学問のある女にとって清少納言の行動は決定的に嫉妬の対象であった。:P.295 大野晋 大野晋/丸谷才一 光る源氏の物語(上)中央公論社 

清少納言のほうが紫式部より10歳ほど年上だったようですが、ともに朝廷に使える女官でした。

このころはどうも近親の関係が続いたようで、藤原兼家の息子である道隆(その娘が定子でこれに仕えたのが清少納言)道長(その娘が彰子でこれに仕えたのが紫式部)がいました。

一条天皇の皇后が定子・中宮が彰子、その定子彰子いとこ(親が兄弟)。一条天皇の周辺になるともっと複雑で、もうイヤッ、こんな生活!

  • とにかく、男同士の危険な関係を引きずっていたのが「定子」と「彰子」で、同時にその女官だった「清少納言」と「紫式部」も対比され、いわば男同士の対立が女同士の嫉妬に置き換わってしまったという見方ができます。
  • 別の言い方をすると、小さい頃は仲がよかった男の兄弟が長じて対立に至る主な原因は、その嫁同士の争いにある、とも言います。

どちらが正しいのでしょうか(笑)。また「皇后」と「中宮」の違いは、何なんでしょうね! 


韓国における在日差別意識は、1970年代から1980年代にかけて顕著になったと言われている。日本で成功した在日1世の子弟が続々と韓国に渡り、祖国での生き方を模索し始めた時代だ。在韓ジャーナリストの藤原修平氏は、「在日への差別意識が高まった背景には韓国社会に充満する嫉妬心がある」と分析する。:NEWS ポストセブン 2016年10月6日(木)7時0分配信

在日韓国人のうちで成功した人が、母国韓国へ墓参で帰ると、たちまちのうちに、嫉妬されるとのこと。

1年前に日韓政府間合意があり、韓国では、かつての日韓基本条約と共にこの合意を破棄せよという声もあるようですが、まだ表だって叫ぶのに「少しだけ」ちゅうちょしている現在の韓国です。こんなのは危険な状態かも知れませんね!

かといって現在の経済不況を中国のせいにすることは断じて許されず、従って韓国人の不満の矛先を在日韓国人に向け始めた、というのです。

韓国人の中には、日本で起った嫌韓の責任は在日韓国人にある、とピントはずれな主張をする人もいるようで、とにかく自分に責任はない、自分たちは被害者だ、悪いのは在日韓国人たちだ、とするのが正調韓国節でした。

日本で嫌韓が起ってきた原因が、韓国での不可解な反日にあったとは、お釈迦様でも気がつくめぇ! 

「自らに責任があるとはまず考えない」韓族が「嫌韓の責任が在日同胞にある」と思い至ったという次第です。はい、お疲れさん! 次のかた、どうぞ(笑)。

日本で成功したロッテを徹底的にこき下ろしたり、「在日韓国人たちが日本国籍を取らないのは、そのほうが甘い汁を吸えるからだ」とまで同胞を足蹴(あしげ)にする陰湿さ・差別意識には、ウンザリします。

韓国人の「自分の尋常ならぬ言動を棚に上げて相手に責任がある」と騒ぐ姿は、中国共産党の言動そっくり、私はそうみています。

きっとこういう人たちが、不満をエネルギーにできないまま憤怒調節障害(火病:かびょう)に陥って無分別な行動に走るのでしょう。 


下をみて安心させ、上を見て嫉妬させる・・・・・・部下を

下をみて安心し、上を見て嫉妬す・・・・・・自分で

これが「人間の向上心につながる」と信じ込み(信じ込まされ)、そんなものの見方がすっかり身についてしまい、その視点でしかを判断できなくなった。

はっと気づくと「まわりは敵ばかり」、しかし時すでに遅し。

韓国に限らず、周辺にこんな人、いませんか(笑)。 


さてさて、皆様はどう思われますか。