皆様よくご存じの通り2016年12月に
- フランスで日本人女子留学生が失踪し
- 事情を知っていそうな男子留学生がチリに帰国したらしい
被害者らしい行方不明の女子留学生の「本人」も「遺体」も見られず、また加害者らしい男子留学生についての正式な発表「氏名」や「国籍」などがない、ことです。
フランス当局の詳しい発表がないので、様々な憶測があるのも、やむを得ません。そこで私も尻馬に乗って、さまざまな想像をしてみました。
どの国の人たちにも共通することで、母国を離れると
- どうしても気が緩む
- 知人友人に知られないで済む
- 自分をよく知る家族や実家の監視が減る
- 芸能人等なら週刊誌やパパラッチから解放される
と「いいことずくめ」のようでも
誰でも母国の様々なしきたりには熟達しているか、あるいは熟達してはいなくても、境界線を理解しているので、適度に自分を保護できるようで
異国に移った場合
分ってはいても、いままでとは価値観と風習が全く異なるもの。
当然だと思っていたことが当然ではなくなるし、本に書いていることをすべて理解しても、90%以上は未知の世界なのです。
更に異国から来た人たちがひしめくような場所では、生活上での認識に極端な違いがあるでしょうから、この熟達度合いはおろか、境界線さえもバラバラになってしまい、そうとうな知恵がないと、誤解の積み重ねがこうじて大きな対立にいたり、場合によってはとても危険な状態になるかも知れません。
そういった時、自分が「だました」つもりはないのに、相手が「だまされた」と感じるかも知れず、それが重なると凶悪な犯行に及ぶ人があらわれるのかも知れません。
そう考えると
- うちに籠もる人たちは、こういった恐怖から身を守っているのでしょうが、やはり「立てこもり」は推奨できません。こういった人が、人間としてもつはずの「免疫力」が育たないため大いに危険なのは、完全な箱入り娘の「O157」は出荷されてからが危ない、のと同じです。
- かといって、好き放題にしていいとも限りません。要は、うちに籠もらず外に向かって行動範囲を広げながらも、常に危険に対する対応を忘れてはいけないのです。
- これは、地震や台風などの自然災害に対する心構えと同じで、ちょっとした心構え次第で、結果は大きく変わるものなんです。また「便利なものが普及したら100%(90%ではない)それを悪用する人間がいる」ので最大限注意しなければならない、のと同じです。
「野望はもつべきでしょうが、無茶をしてはいけない」
そして自分の判断で「野望」と「無茶」の区別をすべきで、これが結果論ではないことに、一刻も早く気づいて欲しいのです。
もし「野望」と「無茶」の区別を明確にできる人がいたら、それはその人が経験した範囲内でのみ成り立つことであり、他の多くの人にも適用できるとは限らない、と考えておきたいものです。
1%の「成功例を真似」して、99%の「失敗例を排除」するのは、ダメなんです。
99%の失敗が1%の成功に結びついているかも知れませんし、1%の成功を真似するからこそ99%の失敗に至っているかも知れません。
参照先:「毎日新聞2017年1月4日」
さてさて、皆様はどう思われますか。