カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

韓国の醜聞181 楊相勲(ヤン・サンフン)

2017年01月10日 05時58分33秒 | アジア

誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクさえ提示しています。


私にとって尊敬に値する人

朝鮮半島には決して多くはないものの、います。そんな人の中に入りそうなのが、最近の朝鮮日報論説主幹「楊相勲(ヤン・サンフン)」。

必ずしもその考え方にすべて賛同するわけではありませんが、しっかりしたものの見方をする人のようです。

つまり今、韓国人にとって大切な事は何なのか、について鋭い指摘をしています。韓国人としては、しかもメディア関係者としては、とても珍しいと言えます。

すこし引用してみましょうか。 


 【コラム】韓米同盟の解消、韓国人に覚悟はあるのか 

朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の辞任を求めるキャンドル集会が最高潮に達していた頃、ある元野党議員が記者に

「大統領が権威を失い、その権限も行使できなくなった状況で、毎週土曜日に数十万人の市民が集まり大統領の辞任を求めている。これは国家非常事態に当たるのではないか」

北朝鮮がいつ軍事挑発を仕掛けてくるか分からない国で、このような政治の空白に加え、数十万人がデモに参加するというのは非常に深刻な事態だ」

「ところがこの非常事態に祭り感覚で家族がデモに参加し、記念写真を撮影し、歌手の歌を聴き、歩きながら食事して楽しむことがどうやって可能になるのか」

と語り掛けてきた。楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹 朝鮮日報日本語版 2017/01/06


いつ、リンク切れ・メールマガジン登録者専用・有料記事、になるか分かりませんが、いまのところリンクは生きているようです。

私のところには全文が残されていますので、いつでも提供できます。もしも必要なら、お知らせ下さい。

一部の引用だけでは、分りにくいことでしょうが、ぜひともリンク先で全てを読んでいただきたいと思います。

2016年が終わろうとする頃、北朝鮮がいつ攻めてくるか分らないのに、権力の空白を生んでしまい、そして気楽に「平和デモ」をしている時か、という問いかけだと私は受け止めました。

つまりアメリカで新大統領に就任しようとするトランプを見ていると、いつ米軍が韓国から撤退するかわからないとし、そんな時に、のんびりと反米・反日を唱えていていいのか、ということでしょう。

在韓米軍がいつまでも存在するというのは間違った信仰であり、アメリカが自分の「利益のため」だけで軍隊を韓国に置いてきたのではないとし、トランプになればそれこそ「利益だけのため」に撤退するかもしれない、と言うのです。

この人の現実直視の姿勢が、題名の「韓国人に覚悟はあるのか」となってあらわれました。

もしも米軍が韓国から撤退しても

なおかつ、韓国が中国や北朝鮮の干渉を受けずに発展し続ける事ができるのかどうか、韓国自身が今いちど考え直すべきなのでしょう。

いや考え直すと言っても、もう遅すぎるかも知れませんが・・・・・・

慰安婦合意の精神に反して、ソウルの大使館前の少女像を撤去するどころか、釜山の領事館前に少女像を新しく設置したため、日本政府が領事などの一時帰国やら行事参加中止・スワップ協議中止など制裁をしたのは、日本政府としては、やむにやまれぬ行為だったのでしょう。

私も、積極的とは言えないものの、賛成します。

韓国が中国ばかり気にして、調子に乗って日韓政府間合意を無視するような姿勢を見せていることに、日本が抗議する意志をみせたのは、「韓国よ目を覚せ」、という警告のようなものであり、決して悪いことではなかったと思います。

にもかかわらず、きっと韓国は、例によって感情的な反発をするでしょう。

いくら脅迫があっても中国には何も言えないのが韓国の伝統ですから、日本との亀裂がより深まるのも、やむを得ないのでしょうか。

私も昨年の

韓国でのろうそくデモが「韓国の民主主義の成熟度をあらわしている」などとは、まったく考えていませんでした。

せっかく「整然としたデモ」だったにもかかわらず、まことに残念なことですが、まだまだ韓国には、全体主義国家的なムードが漂っており、民主化などとても無理で、あったとしても100年ほど先ではないか、と考えています。


 【コラム】それでも世界から愛される日本

・・・・・・

少し前に訪れた日本のある地方都市では、違法駐車を1台も見掛けなかった。道路に唾を吐く人も、車の外にたばこの吸い殻を投げ捨てる人も、1人としていなかった。歩道のブロックがずれている場所も、ほとんど見掛けなかった。タクシーに乗った際には、後から来る仲間に電話をかけ、運転手に電話を渡して相手に現在地を伝えるよう頼んだが、運転手は「運転中には電話できないことになっています」と言って、丁重に断った。道を探すのに苦労したが、私たちは誰も不平を言えなかった。国に対する評判というものは、何か大層なものから生ずるわけではない。楊相勲(ヤン・サンフン)朝鮮日報論説委員 2013/06/02 


これは孫引きですが、やはり楊相勲(ヤン・サンフン)が述べています。

省略した前半の記事から考えて、著者は戦後のドイツと日本の違いを、他の韓国人とは違って、「まともに把握している」ように思われました。

かつてドイツの敵だった周辺国もドイツ共々好かれる国の上位にランクされています。

一方アジアでは、日本の敵だった国が好かれておらず、ただ日本だけが好かれる国の上位にランクされているのはなぜなのか、とも言っております。

ただ気になるのは、日本の悪い面を知っているはずなのに、それを言っていないのが心配です。

誰にもいいところと悪いところがあるものです。悪いところばかりを伝えたり、いいところにしか関心がない、そういうのが現実を直視できない方向へ誘導する巧みな方法を、私たちは見破らねばならないようです。


 韓国紙論説主幹、ノーベル賞ゼロに「ふがいなさ批判する前に、日本の100年越しの執念知れ!」の残念

今年もノーベル賞の自然科学分野の受賞者に韓国人の名前はなかった。韓国メディアはこれを受け、さまざまな論評を出した。

その中で、朝鮮日報の論説主幹のコラムはまさに正論で、痛快だった。日本人の近代科学研究への100年越しの執念を知れば、「韓国は何をしているのかと、批判できないはずだ」と嘆いたのである。

一方でインターネット上では「韓国出身のノーベル賞受賞者」が注目を集めているという。ただし韓国・釜山で生まれたというだけで、父親はノルウェー人、母親は日本人。滑稽(こっけい)というか、残念である。 :産経新聞 2016.10.18  


これも朝鮮日報論説主幹の楊相勲(ヤン・サンフン)の記事でした。

しばしば伝わってきますが

  • 韓国のふがいなさを指摘するだけ
  • 日本人にはできるのに、なぜ韓国にはできない

という議論がいかに虚しいかということでしょうか。すごい指摘であり、同感する次第です。

日本の100年がかりの執念がノーベル賞に結びついている」、という指摘は鋭いと言えます。ただし「日本の」ではなく「日本人研究者」とすれば、さらに鋭い指摘になりそうです。日本人が執念をもっていたのではなく、日本の研究者が執念をもっていたのでした。

韓国人読者ウケをねらった、いかにも旧両班にヨイショするような「ふがいなさ」論は、もう韓国では通用しない、と指摘しているのでしょう。

つまり日本人にできてなぜ韓国人にできないのだ、という発想そのものが、上から目線でしかとらえられない勘違いなんでしょうが、これは身に染みついており、そう簡単にはなくせる勘違いではなさそうです。


ひさびさに自分自身を見つめ直す韓国人に出会えたようで、すっきりし晴れ晴れとした感じがしました。

釜山の少女像問題で、ソウルの日本大使や釜山の日本領事などが一時帰国し、何かと揺れ動く日韓関係ですが、まだまだ捨てたものじゃない、という印象です。

さてさて、皆様はどう思われますか。 


中国に関する醜聞 180 憲法の実体

2017年01月10日 04時55分29秒 | アジア

本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。


中国の憲法は、こちらによると、次のようです。 

中国(中華人民共和国)の憲法 

第33条(法律の前の平等、人権・権利及び義務)

  1. およそ中華人民共和国国籍を有する人は、中華人民共和国市民である。
  2. 中華人民共和国市民は、法律の前において一律に平等である。
  3. 国家は、人権を尊重し、及び、保障する。
  4. いかなる市民も、憲法及び法律が定める権利を享有し、同時に、憲法及び法律が定める義務を履行しなければならない。 

第35条(表現の自由)

中華人民共和国は、言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する。 

第36条(宗教信仰の自由)

  1. 中華人民共和国市民は、宗教信仰の自由を有する。
  2. いかなる国家機関、社会団体及び個人も、市民に宗教を信仰すること、または宗教を信仰しないことを強制してはならず、宗教を信仰する市民及び宗教を信仰しない市民を差別してはならない。
  3. 国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、市民の身体の健康を害し、国家教育制度を妨害する活動を行ってはならない。
  4. 宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない。

こんな程度のことなど、もう衆知のことですが、まるで演劇か落語のようでして、笑いが止まりません(笑)。順にみていきましょうか。

第33条(法律の前の平等、人権・権利及び義務)

法律の前において一律に平等である」・・・・・・

これは、中国国旗よりもっとい「真っ(まっか)なうそ」でした。この表現は、中国では利益にならない場合親戚縁者も「の他人」になるようですから、言い得て妙ですね。

  • 中国は伝統的に階級社会であり、敢えて言うならば差別社会でしょうが、近年の歴史で言えば中国共産党が中華人民共和国を建国したことに起因しています。
  • よって「一律に平等」ではあり得ず、中国共産党党員が、特別な権利をもっているのです。非効率社会の典型ですね。

なぜ、実体とはまったく異なることを憲法に記載しているかですが、これは中国の「偽りの社会」そのものの反映でしょう。

儒教の教えでは、「平気でウソをつくことが正しい」のだと思われますが、これがうぬぼれ体質へと変身しました。

中国で「真実」「正義」など、あり得ないことなんです。


中国が必要とするものは正義だ。そして中国が正義を獲得するためには、神の存在を認識し、人間についての概念を変革させ、人間と神の関わりを理解することが絶対に必要である。中国は、全ての人々や、家庭や、社会に新しい生き方を必要としている。この時我々は、中国に必要とされる多様なものが、実はただ1つのものであることに気付く。正義を恒久的に完全に実現し得るもの、それはキリスト教文明のみであろう。:アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書

「中国人的性格」の最後の文章で、いかにもアメリカの「キリスト教宣教師」らしい言葉で結んでおります。

そもそも私は、キリスト教にも疑惑があり、こういうことを言っているからイスラム教との確執が極限に達するのだと思いますが、しかし、それ以上に中国に大きな疑惑を感じているのです。

分りやすくいえば、私はいまのアメリカにも中国にも、違和感を持っているのです(笑)。 


中国では、憲法というものは

近代国家を装うための「体裁(ていさい)」に過ぎないどころか、憲法内容を実現しようという意図さえまったくないと言え、文字通り「飾りもの」でした。

「偽りの社会」そのものであり、120年前にスミスが中国には「正義がない」と断定したのもうなずけます。いまでもまったく同じでからです。

現代中国では

中華人民共和国憲法が最高法規ではなく、あくまでも「中国共産党の判断が最高法規」なのです。

イスラム国家で、様々な法律があるでしょうが、最終的にイスラム教最高指導者の「コーラン解釈」が最高法規なのと同じですね。

中国共産党が中華人民共和国を建国したのは、まさにその通りでした。

共産主義は「偏屈な」宗教ですから、納得されるかたも多いのではないでしょうか。

第35条(表現の自由)

「言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する」もまた現実離れしており、まったく架空の絵空事(えそらごと)でした。

あくまでも中国共産党が認めた範囲内での「言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由」があるだけで、どんな失政を重ねてもこれを退陣させることはできません。

まさにペテン国家ですね。 

第36条(宗教信仰の自由)

もしも中国に信仰の自由があるなら、ウイグルやチベットでの暴動も、そうとう少なくなるはずです。

繰り返すならば、それもあくまでも中国共産党の認めた範囲内で成立する「信仰の自由」に過ぎないのです。

このため中国共産党の支配に邪魔となる信仰を、暴力で弾圧しなければならず、この調査検閲のために莫大な費用をかけており、それぞれに袖の下があるため、極端に非効率なシステムとなっており、不正蓄財が絶えません。

この袖の下も、中国共産党に忠実ならば黙認されるのですが、中国共産党主流派の邪魔になるような「異論」を唱え始めると、突然、過去の不正蓄財が問題にされます

かつての失脚者をみていると、納得できるのではないでしょうか。 


近代国家を装いながら実体は、日本で言えば江戸時代にも至らない未熟国家、それが中国でした。

さてさて、皆様はどう思われますか。