本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。
中国の憲法は、こちらによると、次のようです。
中国(中華人民共和国)の憲法
第33条(法律の前の平等、人権・権利及び義務)
- およそ中華人民共和国国籍を有する人は、中華人民共和国市民である。
- 中華人民共和国市民は、法律の前において一律に平等である。
- 国家は、人権を尊重し、及び、保障する。
- いかなる市民も、憲法及び法律が定める権利を享有し、同時に、憲法及び法律が定める義務を履行しなければならない。
第35条(表現の自由)
中華人民共和国は、言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する。
第36条(宗教信仰の自由)
- 中華人民共和国市民は、宗教信仰の自由を有する。
- いかなる国家機関、社会団体及び個人も、市民に宗教を信仰すること、または宗教を信仰しないことを強制してはならず、宗教を信仰する市民及び宗教を信仰しない市民を差別してはならない。
- 国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、市民の身体の健康を害し、国家教育制度を妨害する活動を行ってはならない。
- 宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない。
こんな程度のことなど、もう衆知のことですが、まるで演劇か落語のようでして、笑いが止まりません(笑)。順にみていきましょうか。
第33条(法律の前の平等、人権・権利及び義務)
「法律の前において一律に平等である」・・・・・・
これは、中国国旗よりもっと赤い「真っ赤(まっか)なうそ」でした。この表現は、中国では利益にならない場合親戚縁者も「赤の他人」になるようですから、言い得て妙ですね。
- 中国は伝統的に階級社会であり、敢えて言うならば差別社会でしょうが、近年の歴史で言えば中国共産党が中華人民共和国を建国したことに起因しています。
- よって「一律に平等」ではあり得ず、中国共産党党員が、特別な権利をもっているのです。非効率社会の典型ですね。
なぜ、実体とはまったく異なることを憲法に記載しているかですが、これは中国の「偽りの社会」そのものの反映でしょう。
儒教の教えでは、「平気でウソをつくことが正しい」のだと思われますが、これがうぬぼれ体質へと変身しました。
中国で「真実」「正義」など、あり得ないことなんです。
中国が必要とするものは正義だ。そして中国が正義を獲得するためには、神の存在を認識し、人間についての概念を変革させ、人間と神の関わりを理解することが絶対に必要である。中国は、全ての人々や、家庭や、社会に新しい生き方を必要としている。この時我々は、中国に必要とされる多様なものが、実はただ1つのものであることに気付く。正義を恒久的に完全に実現し得るもの、それはキリスト教文明のみであろう。:アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書
「中国人的性格」の最後の文章で、いかにもアメリカの「キリスト教宣教師」らしい言葉で結んでおります。
そもそも私は、キリスト教にも疑惑があり、こういうことを言っているからイスラム教との確執が極限に達するのだと思いますが、しかし、それ以上に中国に大きな疑惑を感じているのです。
分りやすくいえば、私はいまのアメリカにも中国にも、違和感を持っているのです(笑)。
中国では、憲法というものは
近代国家を装うための「体裁(ていさい)」に過ぎないどころか、憲法内容を実現しようという意図さえまったくないと言え、文字通り「飾りもの」でした。
「偽りの社会」そのものであり、120年前にスミスが中国には「正義がない」と断定したのもうなずけます。いまでもまったく同じでからです。
現代中国では
中華人民共和国憲法が最高法規ではなく、あくまでも「中国共産党の判断が最高法規」なのです。
イスラム国家で、様々な法律があるでしょうが、最終的にイスラム教最高指導者の「コーラン解釈」が最高法規なのと同じですね。
中国共産党が中華人民共和国を建国したのは、まさにその通りでした。
共産主義は「偏屈な」宗教ですから、納得されるかたも多いのではないでしょうか。
第35条(表現の自由)
「言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由を有する」もまた現実離れしており、まったく架空の絵空事(えそらごと)でした。
あくまでも中国共産党が認めた範囲内での「言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由」があるだけで、どんな失政を重ねてもこれを退陣させることはできません。
まさにペテン国家ですね。
第36条(宗教信仰の自由)
もしも中国に信仰の自由があるなら、ウイグルやチベットでの暴動も、そうとう少なくなるはずです。
繰り返すならば、それもあくまでも中国共産党の認めた範囲内で成立する「信仰の自由」に過ぎないのです。
このため中国共産党の支配に邪魔となる信仰を、暴力で弾圧しなければならず、この調査検閲のために莫大な費用をかけており、それぞれに袖の下があるため、極端に非効率なシステムとなっており、不正蓄財が絶えません。
この袖の下も、中国共産党に忠実ならば黙認されるのですが、中国共産党主流派の邪魔になるような「異論」を唱え始めると、突然、過去の不正蓄財が問題にされます。
かつての失脚者をみていると、納得できるのではないでしょうか。
近代国家を装いながら実体は、日本で言えば江戸時代にも至らない未熟国家、それが中国でした。
さてさて、皆様はどう思われますか。