西洋人が罵(ののし)る時は、大声ではないが意味深長なことが多い。だが中国人の罵声(ばせい)は、大声でなければ意味はない。
イギリス人の罵言が翼の付いた弾丸だとすれば、中国人の罵言は汚物の塊である。:P.245 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書
罵詈雑言(ばりぞうごん)とは中国語のためにあるようなものらしいですね。
もちろん亜流である韓国社会の韓国語もその例から漏(洩)れることはありません。
とにかく中国語・韓国語にはケンカ言葉が相当あるようで、日本語の悪口言葉など、かわいいものらしい(笑)。
罵詈雑言の語彙が豊富ということですが、高度に発達した「差別社会」を反映した言語体系のマネをする必要はまったくありません。ぼやっとしていると、だまされますよ、注意・注意!
中国から陰に陽に影響を受け続けた日本ですが
日本が科挙制度や纏足などの悪しき風習の受け入れを拒否してきたことは、立派な判断だったと思います。
特に今の中国・韓国を象徴する悪しき『儒教』の一部だけを形式的に取り入れただけだったのは正解だと言えるでしょう。
いつの時代であっても、いいものは「どんなところからも取り入れ」、悪しきものは「取り入れざるを得ない理由があったとしても広く普及させないことが大切」でしょう。
白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く
その1 その2
罵詈雑言は、けんかが絶えない地域で発達しますが、なぜこれが日本で育たなかったかと言えば、対立を押えるような力が働いたからだと思います。
もちろんケンカ対立が多いところでも対立を好まない人もいますし、対立が少ないところでもケンカ好きな人がいますね(笑)。
白だ黒だとは言っていますが、人種問題のことを言っているのではなく、対立の原点について述べております。日本語でいう「白か黒か」は、「無罪か有罪か」、厳密に言うと「あやしくないかあやしいか」の別表現なのです。
これには、ひょっとすると、儒教ではなく仏教が影響しているのかも知れません。対立をむしろ推奨する儒教と、どちらかというと対立を忌避(きひ)する仏教でしょうから。
尤も仏教もいいことばかりではなさそうですが、儒教よりは遥かにマシだった、というのが私のとらえ方です。
北京の有名ホテル廊下で何があった? 暴行される女性を従業員も客も見て見ぬふり…
北京市内のホテルの廊下で、女性が見ず知らずの男に襲われているにもかかわらず、通りかかった宿泊客は誰も男を阻止しようとしない-。こんな様子を記録した監視カメラの映像がネット上にアップされ、宿泊客の冷淡さやホテル側の安全管理に対し、激しい批判が巻き起こった。・・・・・・
騒ぎに気づいたホテルの男性従業員に対し、女性は「知らない人だ」と助けを求めた。だが、従業員はカップルのけんかだと思い、「ここでけんかはしないで」などと優しく言うだけで、男を制止しなかった。男が何者かに電話した際は、何人かを呼んで、女性を拉致するような口ぶりだったという。:産経新聞 2016年4月20日
中国では「けんか」と「見ぬふり」が
地域をあらわす典型のようですから、なにも驚くことはありませんが、監視カメラの映像が中国社会を変える可能性を示しています。いままで不明だった社会の未熟さが如実にあらわれることによって、社会を変えなければならないと気づく人が増えるかも知れない、という意味です。
しかし一方では、この種の映像が火の目を浴びるということは、中国共産党の弾圧が足りないからだとなり、ますます規制と弾圧が泥沼化する可能性もあります。今でもすでに泥沼ですから、「足の立たない深刻な泥沼」とすべきでしょうか(笑)。
いつの時代でも、便利な道具を弾圧強化に役立てる工夫をするのが、中国共産党でした。
さてさて、皆様はどう思われますか。