カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

「信頼できない」→「無関心」

2016年11月01日 04時42分11秒 | 社会

何を警戒何を信頼するか、あるいは無関心を装うか、それらの歴史的推移はどうか、など興味あることが多いようです。

台湾では

中国系に毒されでっち上げが多いとされるマスメディアを信頼できない人がいるようで、確かに「選挙で勝った党」の変遷をみていると、揺れ動いています。

中国に接近しようとする党と距離をおこうとする党があり、前の馬総統の場合は前者で、2016年5月からの蔡総統は後者なのでしょう。

大陸から台湾へ逃げてきた中国系が多かったのは事実ですが

もともと台湾が中国の領土であったという歴史は、どうやらなかったようです。

「現在の中国がでっちあげを根拠に自分勝手な主張を繰り返す」ので、「過去の中国もやはり同様に支離滅裂だった」と断定できそうです。日頃の行ないが大切ですね(笑)。

でっち上げは

パクリ国家・だましあい集団である中国・韓国などでしばしば見られる現象で、しつこく繰り返されると、「慣れで、でっち上げさえ『真実』にみえてくる」らしい(笑)。

この分だと「ハワイは中国固有の領土」になりそうで、「南極は中国不可分の領土」となるのはもちろんのこと、「月は神聖にしておかすへからさる中国領土」になること必定か!

韓国では

人の話など「聞く価値がない」と判断する人たちが多いため、負けずに自分も「聞く価値がない」ことを延々としゃべり続けます(笑)。相手には無関心なのでしょう。

「自分の話に価値がない」≒「相手の話に価値がない

相手の話を「聞いている」なら、話の途中で割り込めませんが、相手の話を「聞いていない」からこそ平気で割り込めるのは、もう「人情」というべきか!

日本の場合

「自分の話に価値がある」≒「相手の話に価値がある

のでしょう。

韓国では、この結果

みんなが「聞く価値がない」ことを、同時にしゃべっているため、誰も聞けず、ただただ騒がしくて迷惑なだけなのです。

あの~ここで笑わないと、このあと笑うところがないので・・・・・・(大笑)。

中国では

他人がしゃべっているときにさえぎって割り込むことは、韓国ほど顕著ではありませんが、そうかと言って決して「相手の話を聞いている」のではありません

他人のことなどまったく興味がないこの中華民族の無関心は、この国の長い歴史の過程で醸成されてきました。

この無関心は、きっと「だましあいの社会」で相手に翻弄されるのを警戒する処世術として自然発生したものと思われます。

中国人の無関心は、下記に引用するようにもう100年以上前から何も変わっていないようです。

「中国はあと20年で軍事的にアメリカに追いつく」という話を聞くと私は次のような冗談を思い出さざるを得ません(笑)。


中国が10年以内にあらゆる面で日本を追い抜く、というのは100年前から変わらぬ真理だ。:JOKE AVENUE

上記リンク先の最後尾にこの冗談がみられます。

いくら政府が変わろうとも、従来の弾圧を続けている限り「中国が日本を追い越すことは、あり得ない」ことを見事に表現していますね。

これは韓国で、新しい政権が誕生した時に「日本に過去を問わない」で始まり、「日本は過去を謝罪しない」で終わる、のに似ていますね(笑)。←問わないのか問うのか、いつたいどちらだといふのだらうか? 


我々は既に、中国人の雑踏や騒音に対する無関心について指摘した〔第11章〕・・・・・・

ここまで述べてきた例は、中国人の快適さに対する無関心に関するものだ。・・・・・・

中国人は天然痘に対しては非常に無関心であり、天然痘に対する我々の恐れを彼らに分からせることはできない。・・・・・・

:アーサー・H・スミス著「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行〔原書は1890年上海で発行され、その後の改訂版を本書の底本とする。〕 


西洋人にとって関心のあること、とはいえ

中国人がいかに自分以外のことに無関心かということを示す、3例です。

自分の利益に関係がないとみるや、まったく興味を示さないのでした。まわりまわって自分の利益に関係するなどとは夢にも思いません!

どんなに悲惨なことでも、「慣れてしまえば平気」。よって今の中国共産党による強烈な締め付けでさえ、「慣れてしまえば平気」なのです(笑)。

何しろありがたい儒教のご指導ご鞭撻で、「改善」が禁じられているのですから、心の葛藤から逃れるためには無関心が一番。

あと周辺との対立時になすべき手法を心得ているなら、何とか生きていけるのでした。

パクリ精神は表面だけをマネすることであり「改善」ではありません。

中国で共産党支配を「改善」されてはたまりませんね(大笑)。

日本では

  • 戦前の「大本営発表をそのまま報道し日本の戦意高揚(せんいこうよう)に荷担してきた」反省からか、戦後になってからは、政府批判を旨とするところが見られたのですが
  • そういうマスメディアが戦後ずっと、「中国共産党の発表をそのまま報道し中国の戦意高揚に荷担してきた

とは、落語のようにおもしろい!

ある種のマスメディア人たちは

戦前は日本政府にヨイショ

戦後は中国共産党政府にヨイショ

いつも何かにヨイショしなければ生きていけないという運命(さだめ)をもっているようです。

挙国一致ではなく、各自が自由に意志を表明することの重要さをあらわしている、と思いませんか。

さてさて、皆様はどう思われますか。