カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

韓国の醜聞159 雑な見方

2016年11月15日 07時45分58秒 | アジア

誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。


 【取材日記】 「韓国がなかったら廃刊していた産経新聞」 

日本赴任前、東京特派員だった先輩に聞いた忠告を今でも記憶している。「産経は絶対引用するなよ。全部ウソだから」:2014年06月25日[中央日報日本語版] 


本ブログの立場ですが

引用したからと言って、それを支持しているわけではありません。

いくら「ヒドイ」新聞社といえども、引用することがあります。

また私が産経新聞や朝日新聞などを支持していることなど、あり得ません。そもそも私には「支持する新聞社」なるものが、ないのです(笑)。「いや、あるはずだ、隠しても無駄だ」というのは、見当がずれているとしか言えません。野球球団のひいきに似て、個々の選手・個別の記事に注目しているだけ、なのです。その場合、その新聞社にはあまり意味はないのですが、お分かりでしょうか。

このあたりが、私と韓国紙の違いでしょうか。

自分に都合が悪いから「ウソ自分に都合がいいから「引用する、なんてことは、まったくあり得ません。

こんな結論に至るのは、

  • 好意的に見れば「何かの勘違い」
  • 悪意的に見れば「これが韓族のうぬぼれ体質」

となります。

どんなに否定する相手であっても「自分に都合のいいことばかりを寄せ集めて何かを言っている」という矛盾を感じることが多いだけであり、言っていることのすべてを「ウソだ」とは考えていないのです。

このあたりが、ささやかなブログでの主張とはいえ、「薄汚い」韓国のマスコミとの決定的な違いなのでしょうか(笑)。

自分を絶対視し自分が正しく、相手が間違っている、といったことを平気で言えるのは、韓族特有なのでしょう。

これは同じ病気にかかっている人には、効果のある「助言」でした。

今回のアメリカ大統領選挙では

  • 暴言のトランプ
  • ウソのクリントン

という低レベルの争いになり、アメリカ社会の矛盾が噴出しましたが、もしも選挙に不正がなかったとすれば、

アメリカ選挙民は

通常許される範囲 ≪ 暴言 ≪ ウソ

とみなして、トランプの暴言のほうがまだマシで、クリントンのウソをより陰湿と判断したようです。

これを韓国に適用するとすれば

通常許される範囲≒ウソ ≪ 暴言

なんでしょうか(笑)。

巧妙に仕組まれたウソには自分との同質を感じるため問題視せず、ひたすら法を逸脱した「暴言」を問題視しがちなので、同じことを言っていたにもかかわらず、言葉巧みに表現した韓国紙には問題がなく、それを引用した産経紙だけに敵意をむき出しにしたのでしょう。

2年以上前の記事とはいえ

こんな低レベルのことを言っている限り、もう救いようがない韓国メディア、と感じてしまうのです。

とは言っても、誰でも「自分自身の思考レベルが低い」と認識できるはずがありません。自分のレベルは「高く」、他人のレベルは「低い」、こうでなければ韓族とは言えません(笑)。

  • 引用した記事は、まるで「自分自身の発言内容が全部ウソだ」と告白しているようなものです。これは他人の話を聞かない韓国人を代表しているようで、「自分の雑なうぬぼれが原因で、他人の発言内容も雑と考えてしまう」のでしょう。自分が「雑(ざつ)」な人間なので、他人も同じように「雑」なはずと考える、これが「雑な」思考なのでした(笑)。
  • 韓国メディアでは「先輩も韓国病にかかっている」らしく、後輩がその忠告をしっかり守っている、これは立派なものです(笑)。
  • 鏡で自分自身を映してみるという習慣が生まれない限り、いくら何を言っても、無理なんでしょう。自分がいつも一番正しく、他はすべて間違っている、という固い信念があるからこそ、「産経は絶対引用するなよ。全部ウソだから」などと言えるのでしょう。
  • 自分にとって都合のいいことを「正しい」とみなして、自分にとって都合の悪いことは「ウソ」とみなす体質がなければ、こんなことは決して言えません。

時期としては次のようになるでしょうか。

  • セウォル号が発生(2014年4月16日)
  • 2ヶ月後、同記事が掲載される(2014年06月25日)
  • さらに2ヶ月後、産経に記事掲載(2014年8月3日)
  • さらに2ヶ月後、産経の加藤を在宅起訴(2014年10月8日)
  • 起訴後1年強で加藤へ無罪判決(2015年12月17日)

上で引用したのは、セウォル号沈没事件のあと

関連記事が韓国紙に掲載された頃の「韓国中央日報社の記事」でしたが、産経紙に対する敵意があらわですね。

自国紙に咎はなく産経紙の記事に特化して起訴したのですが、結局は無罪とせざるを得なかったものです。

韓国では中国とまったく同じですが

法律は外国人を処罰する目的のために存在するようです。

同国人は、しっかり法によって守られているというわけですね。

この裁判の結果、「韓国司法レベルがあまりにも低すぎると世界中に知られてしまったのは痛恨の極み」と言えることでしたか(笑)。

いくら産経新聞を攻撃しても構いませんが

「感情的」に攻撃するのではなく、「論理的」に誰でも納得できる攻撃をしないと、あいかわらず「レベルが低い」とみなされ続けます。

産経紙を感情的に攻撃することで、中央日報のレベルが明確になってしまったのです。

  • 「感情」だとあまりにも個人差が大き過ぎるため、賛成する人には受け入れられやすい反面、反対する人には感性の段階で拒絶される傾向があります。まだ「論理」のほうがマシではありませんか?
  • 韓国紙の「感情的なでっち上げ」に対して「冷静に反論」しても、これまた感情的に反発するだけ」ですから、韓族の宿命とはいえ情けないですね。

客観性のないところに民主主義は育たず、韓国にはその兆(きざ)しさえ見えないと申し上げておきましょうか。 


さてさて、皆様はどう思われますか。