今の時代状況のもと、加藤周一さんの言葉を私たちの世代は真正面から受け止めた生き方を自覚すべきだと思っています。
「戦後世代の戦争に至る責任というのは直接にはない…しかし戦争をかつて生み出したような考え方、あるいは文化が今日持続していれば、それの持続か断絶かということは戦後世代に責任があります…戦後の人も、戦争を生み出した、あるいは戦争犯罪の背景にある文化は持続している。そしてその中で育っているわけですから、その文化に対してどういう態度を取るのかについては、もちろん責任があります…過去に対して責任はないけれども、未来に対して責任がある」(岩波現代文庫『私にとっての20世紀』51~52㌻)。
海賊対処を理由にしながら、軍隊をいつでもどこでも海外へ派兵し、任務遂行のためなら武器を使用できるしくみを自民・公明・民主がつくろうとしている今、一人ひとりが向き合うべき言葉だと思います。
「もう少し具体的にいうと…大勢順応主義に対して責任がある。大勢順応主義が最も危険なのは、その大勢が戦争に向かったときですから」。
「沈黙とは、現在進行していることの、少なくとも民主主義社会では容認です…沈黙は保守への支持発言です。うんざりするほど、『現状維持に私は力を貸します』ということです…『うんざりしたら変えよう』でなければまずい」。
「戦後世代の戦争に至る責任というのは直接にはない…しかし戦争をかつて生み出したような考え方、あるいは文化が今日持続していれば、それの持続か断絶かということは戦後世代に責任があります…戦後の人も、戦争を生み出した、あるいは戦争犯罪の背景にある文化は持続している。そしてその中で育っているわけですから、その文化に対してどういう態度を取るのかについては、もちろん責任があります…過去に対して責任はないけれども、未来に対して責任がある」(岩波現代文庫『私にとっての20世紀』51~52㌻)。
海賊対処を理由にしながら、軍隊をいつでもどこでも海外へ派兵し、任務遂行のためなら武器を使用できるしくみを自民・公明・民主がつくろうとしている今、一人ひとりが向き合うべき言葉だと思います。
「もう少し具体的にいうと…大勢順応主義に対して責任がある。大勢順応主義が最も危険なのは、その大勢が戦争に向かったときですから」。
「沈黙とは、現在進行していることの、少なくとも民主主義社会では容認です…沈黙は保守への支持発言です。うんざりするほど、『現状維持に私は力を貸します』ということです…『うんざりしたら変えよう』でなければまずい」。