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N響定期 「ストラヴィンスキー:エディプス王」他 デュトワ

NHK交響楽団 第1634回定期公演 Aプログラム2日目

ストラヴィンスキー バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」
ストラヴィンスキー オペラ・オラトリオ「エディプス王」

キャスト
 エディプス王 ポール・グローヴズ
 ヨカスタ ペトラ・ラング
 クレオン/伝令 ロベルト・ギェルラフ
 ティレシアス デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン
 羊飼い 大槻孝志
 語り 平幹二朗
管弦楽 NHK交響楽団(コンサートマスター 篠崎史紀)
合唱 東京混声合唱団
指揮 シャルル・デュトワ

2008/12/7 15:00 NHKホール

思えば、NHKホールでデュトワを聴くのは4年ぶりのことです。ストラヴィンスキーのオペラ・オラトリオ、「エディプス王」(コンサート形式)の公演へ行ってきました。

詳しい方には今更かもしれませんが、「エディプス王」は上演形態からして一風変わっています。ステージ上に管弦楽、合唱、またキャストが並ぶのは通常のコンサート形式と同じですが、その形の内容如何を問わず、舞台進行についてはストラヴィンスキー自身による細かい指定がついているわけです。つまりそれは劇の進行役を上演地の母国語の台詞、ようは日本語で話す『語り』がつとめ、その粗筋の紹介に続いて、各場面の音楽劇が進むという形でした。しかも劇は日本語はおろか、ストラヴィンスキーの母語であるロシア語でもなく、全てラテン語により歌われることが義務づけられています。率直なところ、「エディプス」という、ギリシャ悲劇の名作にあえて『語り役』を用いる設定と、母語とラテン語との交錯するスタイルにはやや違和感がありましたが、理解するという点において歌を大きく上回る『語り』の力を借りて、聴き手が劇中世界へスムーズに入るには不足のない舞台が作り上げられていたのは事実でした。母国語の『語り』でドラマの筋を頭で理解し、ラテン語とオーケストラという記号と音楽よって感覚的に受け止める二重の体験は、また通常のオペラ上演とは異なって新鮮だと言えるでしょう。ストラヴィンスキーの意図も大いに気になるところです。

デュトワだから無条件に良いと言うつもりはありませんが、何故に彼がN響の指揮台に立つと、こうもオーケストラが快活に、また見事なリズム感を披露しながら華やかな音を奏でていくのでしょうか。デュトワの指揮はオーケストラはおろか、ホール全体を圧倒するほどの声の力でもって『場』を作り上げた合唱に対しても極めて的確です。瑞々しい弦、刹那的でありながらも芯の通ったクラリネット、または一部トランペットの高らかな響き、そして小気味良いティンパニは、安定した時のN響を聴いた時にだけ得られるような充足感に満ちあふれていました。またキャストでは、呪われた役の凄みこそ不足しながらも、ホールに豊かな声を響かせたエディプスのグローヴズ、そして彼の許されない妻で、悲劇性を強調したドラマテックな歌を聴かせたヨカスタ役のペトラ・ラングが秀逸です。そして何よりも特筆すべきは、前述の通り、ステージ上に神々の響宴の場を音で生み出した東京混声合唱団でしょう。言葉に魂のこもった平の語りに唯一対峙出来ていたのは、彼らの巧みな合唱だけであったかもしれません。見事な迫力でした。

一曲目の弦楽合奏によるバレエ音楽、「ミューズの神を率いるアポロ」も、デュトワならではの清々しい響きが音楽の持ち味を素直に引き出した好演です。ただし弦のピチカート、もしくはヴァイオリンとコントラバスの静かな語り合いなど、その繊細な音楽を肌で感じるにはキャパシティが大きすぎました。篠崎の切々としたソロを味わうのにこのホールは相応しくありません。

「Jessye Norman - Oedipus Rex」

*こちらはジェシー・ノーマンの「エディプス王」。王がかつて三叉路で先王を殺してしまったことに気がつきます。

今年のコンサートはこれで終わりです。あまり通えませんでしたが、また一年を通して振り返りを別エントリにて書きたいと思います。
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