なかなかツボだった『張飛廟』から次に向かうは、そこから車で数分の。
『三義宮』
隋の時代に建てられ1400年もの歴史があるこのスポットで、まさか・・・。
お腹がよじれ、涙がちょちょぎれるほど笑い転げるとは夢にも思わなかった。
入場するや私たちを出迎えてくれたのは。
案内板。
ご丁寧に中国語の他、英語、韓国語、そして日本語表記まであるのですが、その日本語が私たちを延々笑かしてくれたのであります。
"絵画と書道協会"
"バスルーム"
・・・う~ん、微妙や。
がしかし、これはまだまだ序の口に過ぎなかったのでした。
(ちなみに"バスルーム"は扉がないニーハオトイレでありました)
場内全体の案内図。
"竹のタブレットの嵐"
?????
気を取り直して更に奥へ。
そこには、これまで見たこともないような。
ワル顔の象がメンチ切っとった。
さて、このスポットでは各建物にそれぞれ説明がついていまして。
中国語の他に英語、韓国語、日本語の翻訳が。
そしてもれなく。
日本語がおかしい。
"桃園トリオ"って、お笑いかっ!
『桓侯殿』。
全体が意味不明。
"民族コールフルーク神"
"単語Yide"
"忠誠心、正義のライブ心の死にもかかわらず"
なんかめっちゃイケてるような錯覚に陥ってしまう翻訳。
『関羽殿』では、主役の関羽に並んで。
”関羽、単語クン”
・・・”単語クン”って、誰?
ここで一息。
『桃園三結義』と書かれた石柱。
そのすぐ隣の壁には三国志の英傑の絵が描かれていました。
右から諸葛亮、関羽、劉備、張飛・・・。 うんうん、みな有名な三国志の人物ですね。
で、最後は。
も~たくとぉ~???
・・・・・え? なんで? (しかもめっちゃイケメン)
一息つくどころではなかった。
改めて参観開始。
『五侯殿』の日本語説明。 とりわけカタカナが多いのが特徴ですが。
"そして諸葛孔明のパーであるが"
というのもたいがいだけど、
"猿の軍事顧問"
というのも興味深い。
『後殿』では他の英傑たちもなかなかの呼び名がつけられていて。
"ホール劉、関羽、張カジュアル"
さきほどの"桃園トリオ"はここにつながるのか!
『少三義殿』に至っては、その建物名からしてあまりの言われようでして。
"三義の寺未満"
・・・泣ける。
いやいや・・・。
翻訳技術が発達した今、これだけのふしぎ日本語を目にしたのはほんま、久しぶり。
そして、私たちの度肝を抜いたのはこれら翻訳だけでなく、各建物に配置された人形。
誰やっ!!!
へんな人形、放り込んだ奴はっ!!!
そんなこんなで、北京原人&三国志・桃園の誓いを巡る1DAYトリップは終了。
最後はこの像の前でみんなで記念写真を撮ろうとしたら。
周りでは絶賛青空カラオケ中だった。
先ほど見学した"張飛カラオケ"、誰も使ってへんやん!
いやぁ、三義宮。
嫌なことがあったらここに来て大笑いしたいくらいの、爆笑おすすめスポットでした。
ところで。
三義宮で私たちが笑い転げているのを不思議に思った係員がやってきて
「やっぱり、翻訳間違ってるの? どこが間違ってるか教えて」
と聞いてきたのですが。
「全部、変」
としか答えようがない、ふしぎ日本語。
だけど、これだけのオモシロ遺跡、ぜひとも今後も残していただきたい!というわけで。
「変だけど、面白いからこのままでいいです」と伝えておきました。
きっと、それなりに、職務に忠実な真面目な人だったのでありましょう。
その、真面目な人に、「全部、変」と教えるのは・・・可哀想でございます、はい(笑)
それに、確かに、面白いから・・・このままのほうがいいかも。
いろんな意味で(笑)
きっと、これまでも各国の観光客が説明を見るたび笑い転げてたんでしょうね。
うすうす「きっと何かが変なんだ」と勘づいていたはず。
一応全部変だとは伝えたのですが、でも、それでも変えなくてよいよと念をおしておきました。
三国志好きだけでなく、すべての観光客に笑いと癒しを与えてくれる、貴重なパワースポットですもん!!!
怪しい日本語最高ですね!
北京旅行後、三国志を(漫画で)読みだしたのですが、これから「桃園トリオ」が頭から離れません(笑)
孔明のパーと猿は、さらにツボにはまりました。
楽しく、トリオとパーの物語を読めそうです。
また北京情報や食べ物、かわいいにゃんこたちの写真を楽しみにしてますね~♪
この三国志スポット、めちゃめちゃツボでした!!!
どの説明を読んでも、涙が出るくらい笑ってしまいます。
私はちゃんと三国志を読んだことがなく全然詳しくないのですが、詳しい友人はもちろん、知識のない私でも存分に楽しめるスポットでした。
とは言え、実際に読み始めたら、ますますこの不思議日本語訳を楽しめるのでしょうね(笑)
こんなに楽しい案内板、どうか訂正とかしないで残してほしいです!
このスポットは今思い出しても突っ込みどころ満載の、実に楽しい場所でした。
あれから数年。翻訳はそのままなのかなぁ?